インディ・ジョーンズシリーズの中でも人気の高い「最後の聖戦」。若きインディの原点が描かれたり、父ヘンリーとの親子関係が大きなテーマになっていたりと、見どころがぎゅっと詰まっているのよね。
この記事では、登場人物の関係や聖杯をめぐる物語を相関図にそって整理しながら、ストーリーの流れと見逃せないポイントをたっぷり紹介していくわ。
相関図①|若きインディ、帽子やあごの傷、蛇嫌い

インディジョーンズシリーズで冒頭にいきなりお宝が出てくるのはお決まりなんだけど、ロケーションとかお宝も結構な代物っぽいのがでてくるのよね。
でも例によって、この後のストーリーの展開にはあまり関係してないみたい。というよりも、その時代設定含め、インディアナの現在と過去を結ぶトリビアが秘められているようなの。
お宝はコロナドの十字架とよばれるもの。見た目にもお宝感が凄いんだけど、それに負けず劣らず凄いのが、このお宝争奪の舞台となったロケーションよね。
奇妙な形をした巨岩がそそり立っているんだけど、日本人の感覚からすると、あれってフェイク?って思ってしまう。
インディジョーンズ、巨岩をキーワードに検索してみると、まず最初に出てくるのはシリーズ1作目、レイダース失われたアークでインディーを追いかけ迫ってくる丸い巨岩。
検索を少し下に目を落とすと、あったあった。実存の岩だったわ。アメリカユタ州のアーチーズ国立公園にあるらしいの。こういうロケ地で楽しませてくれるのも、インディジョーンズシリーズの楽しみの一つね。
それに今作ではインディーの象徴ともいえる特徴などの起源が明かされている。今回作品「最後の聖戦」のオープニングは少年時代のインディが登場。
ボーイスカウト時代を描いているんだけど、まず驚きなのは、少年インディ役の顔、それも特に目が大人になったインディにそっくりなの。
インディの少年時代を演じたのはリヴァー・フェニックス。インディの主役ハリソン・フォードお墨付きの抜擢だったらしいの。
そんな彼が演じたインディがボーイスカウト仲間と洞窟の中でコロナドの十字架が盗掘されようとしているところに出くわし阻止しようとするんだけど、洞窟あるあるの蛇の出現。
友達のお腹に一匹の蛇が這いあがってきたんだけど、インディは「蛇がなんだ」って素手で捕まえて放り投げてしまうの。
どうやらこの時までは蛇に対する苦手意識はなかったみたいなのよね。でも、このあとほどなくして、彼が蛇嫌いになる出来事が起こるの。
盗掘団とのお宝奪い合いで、何とかコロナドの十字架を奪い逃げる途中、サーカス団の荷物を移送中の列車の屋根に飛び乗ったの。
そこで追っ手と格闘があるんだけど、誤って列車の屋根を突き破り中に転落。そこで無数の蛇に取り囲まれ…そこでトラウマに..という展開なんだけど、サーカス団の荷物の中に、あれだけの蛇がいるって、どんなサーカスなんだろう..って多少の疑問が残ったわ。
時代は1912年。今から100年以上も前だものね。サーカス団も人々の度肝を抜くのに苦労をしていたってことかしら。もちろん荷物は蛇だけではないわ。
次に落っこちた場所はライオンのいる車両だった。ここでライオンを撃退したのが、調教用に置かれていた鞭だったの。
初めて触る鞭だったのかしら。ビシッて見事にライオンを退けるんだけど、最初の一振りが自分の顎を直撃、傷ができたようなの。
わずか数分の間に、インディが今も持つ鞭や顎の傷のルーツが明かされたの。
結局、コロナドの十字架は、ジョーンズが家まで持ち帰ったところで、当時アメリカの大富豪とそれにやとわれた先の盗賊団の手によって奪われてしまうんだけど、ここで何だかほっこりした出来事が起こるの。
盗賊団のリーダーはインディに「お前の負けだ」といいながらも、「でもめげるなよ」って、インディのその後の一番の象徴ともいえる帽子をインディの頭にかぶせてやるの。
その直後、1938年の大人のインディーのシーンに移り変わるんだけど、その時のインディの顔が、殴られながらもニヤリと笑みを浮かべるの。
なんかあの「めげるなよ」と声かけてきた盗賊リーダーとのやり取りの余韻のようにも感じたわ。粋だし、ちょっと惹かれちゃうシーンよね。
因みにこの盗賊団のリーダーの名前はリチャード・ヤング演ずるフェドーラ(ガース)。なんかかっこいいし、かれもまたインディージョーンズに似てるわよね。
ところで、インディが現代で、大学で考古学授業をやってるんだけど、面白いこと言うのよね。「考古学が求めるものは”事実”だ。…失われた都市とか埋もれた宝は存在しない。地図の×印を掘って宝が出たためしはないのだ」って、まあ確かに地図に既に示されているようなところにはお宝はなかったかもしれないけど、アンタさんざん失われた都市とか埋もれた宝を掘り起こしてたんじゃないの?って。
あろうことか、次に彼のくちを突いて出てきたのは「来週の授業は古代エジプトの墓所発掘の話」だってさ。
なるほどね。レイダースでの出来事を授業で話すわけにはいかないわよね。まるでオカルトだものね。だから、考古学とは”事実”だけを探求するとかなんとか片ぐるしい前振りをしていたって訳かしら。
本音でいえば、話したくてしょうがないんじゃないの…って感じがするわ(笑)。今回のインディジョーンズにはお金持ちがよく出てくるわね。
初見だけだと紛らわしいわね。最初に出てきたお金持ち。コロナドの十字架の奪い合いをしていた人物は、その名もCORONADOという船でインディから再び十字架を奪い取った直後、嵐の中で爆発を起こした舟と共に消えていったわね。
次に登場するお金持ちはドノバンという初老の男性。
イエス・キリストにまつわる聖杯を求め、インディの父であるヘンリー・ジョーンズを調査隊に雇い調べを勧めさせていたんだけど、ヘンリーが行方不明になってしまったということで、彼を探し出し、目的の聖杯を手に入れるためにインディを尋ねてきたってわけ。
インディは父親とうまくいっていなかったといわれるけど、それはそうよね。あの若かりしインディーが、父のもとに十字架を手に顔を上気させながか行ったときのあの対応。
あれじゃあねえ…。そんな父親の行方不明を聞いて、それならと助けに向かうインディ。
彼ほんと優しいわ。ここで簡単にドノバンの依頼を整理しておくとこんな感じ。聖杯のありかは石板に描かれている。でもその石板は割れてしまっており、手元にはその半分しかない。
残りはどうやらベニスのある墓所にあるようなの。その墓所を調べて、聖杯のありかを確認して手に入れてほしいのというのがドノバンの依頼ね。
気がかりの父の手がかりを求めて、インディは父の古くからの友マーカスと共に父に家を訪ねたの。
何者かに荒らされたその家で、マーカスがなんかいいこというのよね。
インディが父が送ってきた詳細な調査資料(手帳)を見た時、「聖杯は実在するのか」みたいなことを言うんだけど、それに対してマーカスが、「聖杯を求めることは神を求めることだ。どこにあるかは知らんが、私はこの年だ。信じたいね」って。
年取ってくると、何かよりどころを見つけたくなるのかもね。
神様って、もしいてくれるなら心強いんだけど、多くは確信を持てないまま年取っていくんでしょうね。
でも、聖杯が実際に存在していたのだとしたら、それにまつわる伝説を含めて、目に見えない世界もあるのかもって希望を持たせてくれる、そんな風に感じたのかもしれないわね。
相関図②|ヴェネツィアの碑文と十字剣兄弟団の影
さて、ヴェネチア(ベニス)に向かったインディを出迎えたのはエルザ・シュナイダー。
彼女はオーストラリアの考古学者。ヘンリー・ジョーンズと共に図書館で騎士の墓所の調査を行っていたっていうのよね。
そしてヘンリーが核心に迫ろうとしていた矢先、突然の行方不明。彼女はナチスと手を結んでいたといわれるんだけど、なぜ、どのように絡んでいたのか、初見ではいまいち明確な記憶に残らなかったのよね。
それに、彼女たちが最初に訪れた場所の教会。ステンドグラスに3と7と10を表すローマ文字X。
Xはバツ印て、よくある、「ここだよ」を示すマークと考えられ、そこを掘ったら目的である墓が出てきたというのはいいんだけど、そもそもステンドグラスに描かれた3と7は何だったの?って気になって調べるんだけど、なかなか情報が出てこないの。
で、いつもどこまで信用してよいものやら回答が多いAIにダメもとで聞いてみたわけ。
すると、3と7はダミーの数字。でも、本来必要な数字というか記号である10=X(バツ印)をどこかに記したいとなったときに、ダミーでカモフラージュしながらそこにXの文字を忍ばせるというもの。
ステンドグラスはもちろん宗教的な要素が多分に入っていたけど、その中に3と7と10は記載されても違和感がないそうなの。
3は三位一体の三。7は天地創造の7日間を表す意味のある数字。10は十戒。ステンドグラスにはダミーの3と7をおともに10=Xを忍ばせ、それと対比するようにバツの文字を柱や床に記したというのよね。
何となく納得してしまったけど、ほんとかしら?AIにしてはいい推測ね。
で、ここで目当ての石板の残りの文字を入手したの。このインディたちの行動はもちろん聖杯に通づるもの。実は聖杯を1000年以上も守り続ける存在がいた。
十字剣兄弟団というのがそれなんだけど、そこでカジムという男から父ヘンリーの居場所の情報を入手したの。
どうやらザルツブルグのブルンワルド城にとらわれているらしいと。でもなんでこの兄弟団がヘンリーの居場所を知っているんだろうと思ったんだけど、それは、彼らは聖杯を守るために、それにかかわる動きをウォッチしていたようなのね。
ナチスも聖杯を求める動きをとっていたから、兄弟団はヘンリーのこともナチスのこともウォッチしていたと考えられそう。
だからナチスがヘンリーを捕らえたという状況も把握していたのね。そしてインディたちは石板の情報から聖杯はイスケンデルンという地にあるというところまで読み解いたの。
でもそこはナチの基地なのよね。エルザの裏切りもあって、簡単にノートを奪われ囚われの身になってしまうインディとヘンリー。
ヘンリーはエルザのことを信じるなと助言したのにインディは聞かないの。ヘンリーがエルザの正体を知ったのはエルザの寝言。寝言をちゃんと聞き逃さないところが、さすがショーンコネリーって感じ。(笑)
相関③|父子の再会とベルリンへの危険な道行き
ザルツブルクの城からサイドカー付きのバイクで逃走するジョーンズ親子。
敵をなぎ倒すたびに、例のニヤリとかなり悪そうな顔するインディを横目に多少あきれ顔のヘンリーの表情が何とも言えないわね。
でも、毎回思うんだけど、インディーのあの悪い顔、どこから出てきたのかしらね。あの少年時代のインディ、真顔でとボケるところなんか現代のインディと全く同じなんだけど、人を倒してあの表情、少年時代にはなかった表情よね。
そんなある意味狂気を、ヘンリーの中にも見ることになるの。せっかく適地から逃げようとしているのに、ヘンリーはベルリンに戻るというの。
なぜなら、聖杯は3つの仕掛けに守られていて、それをかわして手に入れるためには、やり方があるらしいんだけど、それをヘンリーの手帳に記していたんですって。
手帖は今、エルザと共にベルリンという訳。「聖杯命!」で再び命の危険を冒すというんだから、ある意味ジョーンズがもっている狂気と通ずるものがあるのかもね。
でも、ショーンコネリーがかっこいいところ、飛行船から飛行機に移り乗り、地上に降り立ったジョーンズ親子を敵飛行機の機銃掃射が襲うんだけど、父ヘンリーが、浜辺にいた海鳥たちを一斉に飛び立たせ敵飛行機を退けたの。
まあ、戦わずしてというのとはちょっと違うから、ほめられたものではないんだけど、ショーンコネリーのかっこよさかしらね。なんか少し惹かれてしまうわ。
相関④|聖杯の試練、父子の絆、そして選ばれし一杯
さて物語はいよいよ聖杯の眠る神殿へ。そこにはナチスと手を結んだドノバン、そして裏切り者のエルザも姿を見せるの。
彼らに追い詰められたインディは、父ヘンリーをドノバンの銃弾に倒されてしまうという絶望的な状況に立たされるわ。
瀕死の父を救うためには聖杯の力が必要。そのためインディはついに神殿奥へ挑むことになるのよね。父の手帳に記されたヒント、それは三つの試練を突破するための鍵だったの。
まず一つ目は「神の息」。刃が回転する通路をくぐり抜けるためには謙虚さを示す必要があり、インディは父の助言を思い出して「ひざまずけ」という言葉通り身をかがめて通過。
二つ目は「神の言葉」。床にアルファベットが刻まれた通路を進むんだけど、神の名前を間違えると奈落に落ちる仕掛け。
インディは一瞬間違えかけながらも、正しい綴りを思い出し飛び石を踏んで進んだの。
三つ目は「神の道」。断崖絶壁に見える道を前に、彼は信じて一歩を踏み出すと、そこにはカモフラージュされた石の橋が隠されていた。
まさに信仰心の試練よね。こうして奥の部屋へたどり着くと、待っていたのは千年以上も聖杯を守り続けた老騎士の姿。
そこに並べられた数多の杯の中から本物を選ばなければならない。ドノバンはエルザの選んだ豪華絢爛な杯を口にするけど、それは偽物。本物を間違えた者には死が待っている。
ドノバンはたちまち灰となり果ててしまったの。老騎士の言葉「He chose poorly(彼は間違えた)」が皮肉すぎて印象に残るわね。
一方でインディは大工の息子であるイエスにふさわしい質素な木製の杯を選び、それが真の聖杯だった。
インディがその水を父の口に含ませると、瀕死だったヘンリーの傷が癒えて命がつながれるの。
ここでやっと父子の関係がつながった気がするのよね。でも欲深いエルザが聖杯を神殿の外へ持ち出そうとした瞬間、大地が裂けて奈落に飲み込まれてしまう。
人間の欲望は聖杯を外に連れ出すことを許さないのよ。
インディ自身も手を伸ばしかけるんだけど、その手を引き戻したのは父の声。「インディアナ…」と、初めて彼を愛情を込めて本名で呼ぶの。
父の言葉で、彼は聖杯よりも生きることを選ぶの。父子の関係修復を象徴する名場面だわね。
結局、聖杯は永遠に神殿に眠り続けることになったけれど、インディにとってはそれ以上に大切なものを取り戻したの。欲深さを戒め、家族の絆を選んだラスト。
派手なアクションのあとに、こんな人間臭い結末を持ってくるあたり、インディシリーズの良さがぎゅっと詰まっていると思うのよね。
まとめ|聖杯よりも大切なもの
「最後の聖戦」って、派手なアクションに目を奪われがちなんだけど、よくよく振り返ると物語の核心は親子の関係修復にあるのよね。
少年時代のインディが鞭や帽子を手に入れた起源から始まって、大学教授として“事実だけ”を語ろうとする姿、ヴェネツィアでの碑文発見や兄弟団との出会い、そしてナチスに囚われた父を救うまで、ずっと「冒険と学問」と「父と子」の二重構造で進んできた。
聖杯そのものは確かに神秘的で、命をも癒す力を持っていたけど、最後にインディが手放したのは“欲望”であって、“父の手”を選んだ瞬間だったの。
エルザの最期が欲に溺れる人間の弱さを示したとすれば、ジョーンズ親子が生還したのは絆を選んだから。聖杯は神殿に残されたけど、それ以上に大切な「親子のつながり」を取り戻すことができたんだと思うのよね。
だからタイトルの“最後の聖戦”は、実は聖杯をめぐる戦いではなく、ジョーンズ親子が互いの心を取り戻す戦いだったんじゃないかしら。
こういう人間臭さをラストに残すからこそ、インディ・ジョーンズシリーズはただのアクション映画じゃなくて、観る人の胸にしっかり残る作品になっているのよね。
今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。


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