おおかみこどもの雨と雪って、見返すたびに心がぎゅっとなる作品ですよね。今回は、ママ目線で“雨はなぜ狼として生きる道を選んだのか”を、相関図の流れにそってじっくり追っていきますね。雪と雨、それぞれが自分の生き方を見つけていく過程は、子育てしていると胸にくるものが多すぎて…もうママ、何回うるっとしたか。では、一緒に紐解いていきましょう。
相関図①|雪と雨が生まれるまで
おおかみこどもの雨と雪。オープニングは雪の母、花が父親である「おおかみおとこ」と出会い、子供たちを授かるまでの話がテンポよく描かれるの。
ネットの情報によると、花は高校生の時に父親を無くしてしまって、身寄りがない状態だったらしいの。父子家庭で母親もいないし、親戚というものも見当たらない。
彼女の大学生活は、何とか一人で生き抜いていく覚悟の上になりたっていたのかな。そこに、きっと何か惹かれるものを感じちゃったんでしょうね、「おおかみおとこ」の彼が目の前に現れ、彼と家庭を築いていきたいという意識が芽生えていたようなの。
彼も天涯孤独な状況の中で、何とか生き抜いてきたみたい。だって、彼は、おおかみおとこ。
花はまだ社会的な助けも得られたかもしれないけど、おおかみおとこの彼は、きっと、何もなかったと思うの。彼が花が妊娠して、大喜びしていたけど、その夜に、キジのようなものを片手に帰宅したじゃない。
あれって、彼がこれまで、あのようにして生きてきたっていう証じゃないかと思うの。まさに、生き抜いてきたって感じよね。でも、冒頭のあまりのテンポ感に、面くらってしまう。
だって、最初の子どもである雪は無事に生まれて、お父さんの肩車で散歩していたり、幸せそうな日常があったんだけど、弟の雨は、生まれて間もなく、ある雨の日に、お父さんが狼の姿で、それもゴミ収集車に回収されて連れていかれてしまうという衝撃的な場面が描かれたんだから。
おおかみおとこの彼の周りには、例のキジにもにた鳥の羽がいくつも落ちていた。雨の日に、狩りをしようとして、誤って死んでしまったのか。

原因は定かではないんだけど、彼が人としてではない姿、扱いで、花たちのもとを去らねばならなかったシーンは衝撃的だった。
でも、その後の花の日常も尋常じゃない。花によると、子供たちはオオカミとして生きればいいのか、人として生きればいいのか、ずっと迷っていたように見えてたんだって。
もちろん、狼の姿を人前に晒すわけにはいかず、子供たちが病気になったり、ぐずったり、お隣さんからはどなられるし、遠吠えするし、児童相談所はやってくるしって、もう町で暮らしていくのも限界という雰囲気が見え始めていた。
あるとき、狼の姿で元気に走り回る雪と雨に、花が問いかけるの。「ねえ、これからどうしたい?人として生きていくか、狼として生きていくか。引っ越そうと思うんだ。どちらでも選べるように」って。
ところで、ネットに、どうしてこの映画のタイトルはおおかみこどもの雪と雨じゃなくて雨と雪なんだ?って疑問があげられていたの。
ママ的には、なんとなく雨と雪という順番でしっくりくるような感じがしたの。先走りだけど、雪は人間として生きていくことを選んだように思うの。
映画のナレーションも雪だしね。生き方を選ぶということに関して言えば、人間の母親としての花がいて、お父さんもどちらかといえば、人として生きることを選んだようにも思える。
その環境の中で、雪が選んだ選択は、自然な成り行きのようにも感じる。
でも、雨は狼として生きることを選んだ。
どちらかというと、自分の生きざまというものを、大きな葛藤を乗り越え、自分の感じるままに、自らの意志で選択したという点で、雨はこのテーマの主役のようにも感じるの。
映画が伝えようとしたことはいろいろあると思うんだけど、「誰かのために、自分らしく生きる選択」なんてのもあるんじゃないかと思うの。
雨も雪も、彼らがした選択はどちらも大きな選択だったとは思うんだけど、見る側にとってインパクトが大きかったのはやっぱり雨の選択だったんじゃないかな。
生きるために何を選ぶかっていうテーマがあったとするなら、雨の生きざまというのが、見る者の心をより大きく動かす可能性があるようにも感じたの。ママ的には、そんな理由で、雪の名前よりも雨の名前が先に来たのかなってそんな気がしています。
相関②|おみやげみっつ、たこみっつ
花は人里離れた一軒家に引っ越すことにした。雪5歳、雨4歳。なんだろうねえ。。雨、狼の姿の時の方が、何か解放されるのかな。
雪の中でヤマセミを捕らえた雨。ヤマセミを捕らえる前に、雪の後を追って、雪山の木立の中を駆け回っていたの。
その時の彼は、いつものような怖い怖いという思いから解放され、何でもできそうな気がしたんだって。
この時、もしかしたら雨の中に、おおかみとして生きていこうという心の中の芽のようなものが生まれたのかもしれないわね。
花は小学校に行きたくてしょうがない。小学校に行くためには、狼になることをやめなければいけない。当然よね。
雪は人間になることを望んでいたのね。でも、雨にとっては、おおかみの姿の時の自由と自分に自信を得た感覚を忘れられないんだと思うのよね。
さて、小学校に行けることになった雪。もちろん、みんなの前で決して狼の姿になってはいけない。感情が高ぶると、気づけばおおかみになっている雪。
そんな雪を案じて、花は雪にあるおまじないを授けるの。「おみやげみっつ たこみっつ」何それ?って
この「おみやげみっつ たこみっつ」、ちょっとネットで調べてみたら、どうやらいくつか由来っぽいものがあるみたいなのよ。
昭和初期の童謡に「おみやげ三つ」という歌があって、その歌詞の中に“おみやげ三つに たこ三つ”っていうフレーズが出てくるらしいの。
しかも歌の中では「せなかをたたいて ぽんぽんぽん」という動きまで出てくるんだって。雪が胸を3回トンってたたいて気持ちを落ち着かせるあの仕草、もしかしたらここからヒントを得ているのかもしれないわね。
それと、昔の遊び歌や子どもの約束ごとで、数字や食べ物を並べた“リズム言葉”が地方に残っている、という話も見かけたの。
指切りげんまんのあとに続けて言う地域があった、なんて説もちらっと出てきたりして。
映画の中にそのままの根拠は見つけられなかったんだけど、ネットの記事を読んでいると「こういう言葉は、気持ちを落ち着かせたり、約束を守るためのちょっとしたおまじないとして使われていたようです」って説明されていることが多かったわ。
花もきっと、雪が自分をコントロールできるように…って思って、この可愛らしいリズム言葉をそっと教えたのよね。
相関③|雨と雪、それぞれの出会いと生きる世界
雨と雪、それぞれに自分の生きる世界を決定づける出会いがあった。雨は学校という人の世界に別れを告げ(ずる休み)、花と一緒にオオカミが飼われている職場へ通う毎日。
そして、極めつけは、山の主。あれはキツネよね。雨はそのキツネを先生と呼んでいる。
もちろん、先生と呼んでいる理由は、雨はキツネの先生と行動をともにすることで、彼がそこで生きていくために必要なことを学んでいるということよね。
花は、雨たちのお父さんと出会ったときに感じた「知らない世界」があることを、雨を通して再び感じることになったんだと思う。
でも、雨のお父さんと出会った時とは違うわよね。だって、雨は、その知らない世界の方へ行ってしまおうとしているんだから。
花にとっての救いは、逆に人間の世界で生きることを決めたように見える雪の存在かな。雪は転校生、藤井草平と出会い、人として生きていくことが益々確実になっていったわ。
ある時、人間になろうとする雪と、オオカミであろうとする雨が、その選ぼうとしている生き方を巡って争った。制御を失ったときは、二人とも、おおかみの姿になってしまうのは、やっぱり二人の仲のオオカミの部分が優勢ということなのかな?
花は、二人がそれぞれに生きていこうとする世界をはっきり持ち始めたことを知り、それは、花自身、子供たちに望んでいたことだと理解していたが、それでも、そこに恐れや不安を感じていたようなの。
そりゃそうでしょ。だって、花は人間なんだもの。雨が山に行ってしまったら、花は雨に会うこともままならない。
今はまだ人間の姿の時もあるから、一緒に過ごす時間もある。でも、オオカミへの道を選び、山に拠点を移したら、愛する我が子を失ってしまう…そんなきもちだったのかな… でも、雨、まだ10歳なのよね。親にとっては、まだまだかわいい盛り。つらいわよね..
相関④|雨が“山”を選んだ瞬間と、花が受け入れた別れ
花が雨の変化を決定的に感じたのは、あの嵐の夜よね。山が荒れ狂う中、雨は学校にも行かず、先生であるキツネのもとへ走っていく。
まるで呼ばれたみたいに迷いなく山へ向かっていく姿を見て、ママは「ああ、この子、もう答えを決めてるんだな…」って感じてしまったのよね。
雪は人間としての生活に軸足を置き始めているのに、雨はその真逆。人の世界と山の世界、二つの世界を行き来していた雨の心が、完全に“山”へ傾いていく瞬間だったと思うの。
嵐の中で倒れてしまった花を、雨がオオカミの姿で必死に引きずり、救い出したあのシーン。あれ、雨なりの「最後の決意表明」だったのかな。
花を置いていくわけじゃなくて、ちゃんと守ったうえで、自分は自分の道を行くっていう。
雨はずっと“弱い子”“泣き虫の弟”っていうイメージがあったけど、あの夜に、完全にそれを脱ぎ捨てたのよね。あれは花にとってもショックだったと思うわ。
だって、まだ10歳よ。まだ抱っこされてもいいような年頃なのに、…でも、オオカミ年齢では大人なのか..
確かに雨、決断の仕方がもう大人なのよ……。雪にも、花にも、誰にも相談することもなく、心の奥底で「自分が生きたい場所はここ」と決めてしまう。
花から見たら、それは“突然の反抗期”にも見えたかもしれないけど、雨にとっては、ずっと葛藤し続けてきた先にやっと見つけた“答え”だったんだと思うの。
小さい頃から、自由に走り回るオオカミの感覚に生きやすさを感じていたし、山の生き物たちに学んできたことで、「人としてのルール」より「自然のルール」のほうが自分に合っているって気づいてしまったのよね。
そして極めつけは、山の主が倒れたときのこと。あれ、雨にとっては人生の分岐点だったと思うの。人間の世界では、子どもが“誰かの後継ぎ”になるなんて考えないけど、山の世界は違う。
必要なら、誰かが役目を継ぐ。その“必要”を、雨は敏感に受け止めてしまったんだと思うわ。だって、雨は優しい子だもの。
“自分がやらなきゃ”っていう気持ちが、彼の背中を押してしまったんじゃないかな。
あとは、あの瞬間よね……雨が人間の世界に“帰らない”ことを選んだって、母親である花が完全に理解したのは。
雨の遠吠え、花にはこんな風に聞こえたのかな..
「僕はここでちゃんと生きるよ」
「心配しないで」
「お母さん、ありがとう」
花もそれを聞いて、泣きながらも笑っていた?あれはもう、“受け入れた”ってことなのよね。
母親としては苦しいけど、でも、子どもが自分の人生を見つけたのなら、それを応援するしかない。雨は人としての幸せではなく、“オオカミとしての幸せ”を自分の足で選んだのよね。
そして、雪が草ちゃんの前で一瞬だけオオカミの姿になるあの場面。ともにいてくれる、心許したい草ちゃんに、全てを見せておきたいという思いもあったんでしょうし、同時に、「私は人として生きる。でも、このオオカミの部分は、ちゃんと自分の中にある」そんなふうに、自分の足で立っていく雪の決意が感じられたの。
……ママ的には思うのよ。雨が選んだのは“野生”じゃなくて、“自由”だったんじゃない?自分が一番呼吸しやすい場所、痛みに素直でいられる場所、誰も嘘をつかない世界。それが、雨にとっては山だっただけの話。
花は人間として、雪は人間として、雨はオオカミとして。家族なのに、同じ場所では生きられない。でも、離れてもつながっている……そんな関係が、とても美しく描かれていたわ。
まとめ|
今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。雨と雪、それぞれが“自分の生き方”を選んでいく姿って、親としては胸がしめつけられるんだけど、同時にすごく尊く感じるのよね。花は人の世界で、雪も人として、そして雨はオオカミとして。それぞれ違う場所で生きることになっても、家族がちゃんとつながっているって信じられるラストだったと思うの。ママもつい、自分の子どもたちのことを重ねて見ちゃったわ。


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