『君たちはどう生きるか』の世界って、不思議でちょっと怖い…でも、目をそらせない深さがありましたよね。
なかでも「黒い人」たちと「ワラワラ」って、一体何者なの?って思いませんでした?ふわふわ漂ってるワラワラに、存在感のよくわからない黒い人たち――あのシーン、何かとても大切なことが隠れていたような気がしてなりません。
ということで今回は、映画の中の黒い人が殺生できないってどういう意味?」「なんでワラワラは飛べなかったの?」そんな素朴な疑問を、読み解いてみたいと思います♪
黒い人とは何者だったのか?|“殺生できない存在”が象徴するもの
まずはあの「黒い人」たちからいきましょう。
ちょっと不気味な見た目、この黒い人たち、「殺生できない存在」として描かれているんです。つまり、誰かを傷つけたり奪ったりすることができない――それって、ある意味すごく“ピュアな存在”と言えたりもするのかな?
でも、実体は、本来の心の働きというのを失ってしまった人たちを描いたのかもと感じました。どうしても私の心に入り込んでくる印象というのが「誰かのために」というマインドが全く感じられない存在。
あの黒い存在が、互いに会話したり、交わっている姿というのは想像つかないんですよね。別の記事でも少し書いたんですけど、人は生きていくために別の生き物をいただくということをしています。このこと自体がどうこうというのは、私はここでは全く述べることはできないんですけども、少なくとも、そこでは、感謝していただかないとというのが普通に言われていることですよね。
でも、日常を過ごす中で、そういったものを提供してくださる場所からは遠く離れ、思い出すこともまれになってきているんだと思います。この映画では、眞人が成長していく過程が描かれていると思うんですけど、どういったところでの成長が描かれるかと言えば、そういった感謝であったり、自分とは別の存在を思いやったりだとか、自分の都合だけで隣にいる人の価値判断をしないようにだとか、そんなことに気づいていく過程として、まず最初に、「無機質な」黒い人が描かれたのかな。。そんな気がしています。
ワラワラとはどんな存在?|光を目指す“未熟な魂”の象徴として
続いてワラワラ。あの小さくてキラキラした子たち、もう見てるだけで癒される…けど、その存在にも深い意味がありそうですよね。設定は、成熟したら上の世界に人として生まれ出ていく存在。
彼らは「成熟したら飛ぶ」って言われてました。つまり、あのふわふわした状態は“成長途中”だったってこと。
人間でいうと、心がまだ傷ついたままだったり、癒されていなかったりする子どもたちのようなイメージかもしれません。
でも彼らは無垢で、穏やかで、そしてとっても大切な存在。光を目指してゆっくりと成長していく姿は、私たち自身の心の成長とも重なる気がしました。
なぜワラワラは熟せなかった?|戦争の影が落とした下の世界の欠乏
で、本題です。「なぜこのところ熟して飛べなかったの?」って話。ここ、実はすごく切ない感じが漂います。
キリコさんが「腹いっぱい食わせてやれてよかった」って言っていましたね。あれってつまり、最近は十分に食べさせてあげられていなかったってことなんですよね。
じゃあ、なぜ?――その原因は「上の世界の戦争」にあったんかなあって思ったりします。上の世界で人々が争い、恐れや欠乏に包まれていたから、下の世界にもその影が及んで(?)、魚が取れない=滋養が足りないという状態になっていた。
下の世界は基本的には大叔父の想念が作り上げていた世界だと思っているんです。では、そこに存在するかに見えていたものたちは、単なる大叔父の描いた幻想?っていうとそうではないと思っています。ワラワラに描かれていたように、別々に分化したこころみたいなものが、描かれた人や生物の数だけ存在していて、その心のごく一部の部分が大叔父の心と繋がり、そこにあのような姿や状況を生み出していたんじゃないかと思うんですよね。
大叔父は、積み木のバランスを維持するのが難しくなってきたと言っていました。もしかすると、ワラワラの中には、上の世界で既に戦争を経験し、下の世界にやってきたものもいたのかもしれません。そういった形で、多くのワラワラやその他の存在の心の波動のようなものを受けて、下の世界までがその影響を受けたというようなストーリー設定?そんな妄想をしながらワラワラのことを見ていました。
キリコの言葉「腹いっぱい食わせてあげられてよかった」に込められた想い
最後にもう一度、キリコさんの言葉。
「腹いっぱい食わせてあげられてよかったよ」
このセリフ、ほんっとうに泣けました…。ただのごはんじゃなくて、**「愛を届けられた」**っていう、キリコさんの満ち足りた気持ちが伝わってくるんですよね。
それまで十分に食べられなかったワラワラたち。でも今、魚のはらわたを通して“愛”をたっぷり受け取って、ようやく飛び立つことができた。
それを見届けたキリコの安堵と喜び。ああ、よかったなあ…って、心の底から思いました。
たとえ戦争や混乱で世界がボロボロになっても、誰かがちゃんと“愛を注ぐ”ことで、救われる命がある。そんなことを今改めて感じさせるシーンだったように感じました。
この“殺生できない”存在と“飛べない魂”が意味する心の成長の比喩はこちら

まとめ|ワラワラは小さな魂。愛をもらって、ようやく飛び立てる存在
黒い人とワラワラが象徴していたのは、分離した心とこれから思いやりだとか与えることを学んでいく心。でもそのためには、滋養(愛)を与えられなければ、学びは始まらない。そして「飛べなかった理由」は、世界の争い(奪い合い)によって“愛が届かなかった”から。
でも最後にようやく、魚のはらわたという“心の滋養”が届き、ワラワラたちは飛び立っていきました。それはただのファンタジーじゃなくて、きっと私たちにもできることのヒントなんだと思います。
今日、ちょっとだけ誰かにやさしくできたら――それだけで、ワラワラのような誰かの心が、またひとつ“熟して”飛び立てるのかもしれません。
今日も最後までご覧いただいてありがとうございます。
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