前作のラストからそのまま続く『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』。舞台は1985年から30年後の未来――2015年。息子を救うはずが、マーティとドクは“歪んだ未来”と向き合うことに。
本作の相関図では、未来・過去・再び1955年へとめぐる時間の旅を通して、「マーティが本当に取り戻すべきもの」が何だったのか、老ビフはなぜピンポイントで1955年に戻ったのかなどを追っていきます。
相関図①|ドクとマーティが未来で救おうとしたものとは?

ドクがデロリアンでマーティとジェニファーを迎えに来るあのラストシーン、前作からそのまま続く形で始まるのがPART2。
1985年から30年後、つまり2015年の未来。空飛ぶ車に変わったデロリアンを操り、ドクが口にする「君たちの子どもが大変なことになるんだ!」の一言で、すでに物語は“未来を変える”方向に舵を切っていくのよね。
でも、最初からちょっと違和感があるの。ドクが本当に救おうとしていたのは「子ども」だったのかしら?
未来に着いたマーティたちが見たヒルバレーは、テクノロジーが進化して便利になった反面、人間の中身はそれほど変わっていない。
マクフライ家はどこか冴えない空気に包まれていて、マーティ自身は音楽の夢を諦め、会社員としてくすぶっている様子。
そんな中で問題になっているのが、息子マーティ・ジュニアの「今夜の一件」。これは、グリフ(ビフの孫)がジュニアをそそのかして、強盗か窃盗のような事件に巻き込もうとしていることを指しているの。
ドクによると、もしジュニアがその誘いに乗れば逮捕され、マーティ自身の人生も崩壊する――つまり、家族の未来を守るためにドクは2015年へ来たというわけ。
けれど、ママ的にはここがすでにおかしいと思うの。だって、ジュニアが人生を狂わせるのは、結局のところ父マーティが“何かを見失っている”からじゃない?
ドクが未来に来たのも、実はマーティ自身を助けるためだったんじゃないかと感じてしまうのよね。
そもそもマーティが「人生を棒に振った」きっかけは、ほんの小さな“プライド”だった。
「腰抜け(chicken)」という言葉に、どうしても反応してしまう。その一言にカッとなって無謀な行動を取る癖が、後の人生にまで尾を引いた。
物語の中では、マーティが交通事故を起こして手をケガし、ギターが弾けなくなったことが、人生を狂わせた原因とされている。
夢を諦めた彼は、かつての情熱を失い、家庭や仕事でもうまくいかない。つまり、腰抜けなんて言葉に反応してしまう“過去の選択”が未来を形づくってしまっていたのよ。
だから、ドクが2015年に向かった本当の理由は、「息子を助けるため」ではなく「父親であるマーティ自身に、自分の未来を見せるため」だったとも考えられる。
未来のマーティを見て、何が人生を狂わせたのかを悟ってほしかったのかもしれない。
ストーリー上の大きな転換点は、“スポーツ年鑑”が過去に持ち込まれるという設定ね。
未来で見つけた「1950〜2000年のスポーツ年鑑」を、マーティが手にしているのを見た瞬間、ドクは激しく叱りつける。
「時間旅行は金儲けのために使うものじゃない」と。
けれど、この年鑑のことを聞きつけた老人ビフが密かにデロリアンを盗み出し、過去の自分にそれを手渡してしまう。
過去の自分が成功すると、今現在の自分が豊かになると想像したのかしらね。当初、かなり悲劇的な老ビフの最後が描かれていたようだけど、ちょっとオカルトな雰囲気までただようものだから、そのシーンはカットされたみたいね。
未来を変える鍵は、タイムマシンではなく、いまこの瞬間の「選択」。息子ジュニアを助けることよりも、マーティ自身が自分の弱さと向き合うことこそが、本当の意味で“未来を救うこと”だったのかもしれないわね。
ドクはもしかしたら、それに気づいていたのかもしれないわね。
相関②|歪んだ1985年と「もう一人のマーティ」が見た未来
未来にやってきたマーティとジェニファー、そしてドク。彼らはマーティ・ジュニアを救うために2015年へ来たはずだったけれど、その未来は1985年の成功者としてのマクフライ家の雰囲気ではない。“どこかおかしい”。
未来のマーティの家に寝かされた彼女が、やがて目を覚ますと、そこに広がっていたのは信じられない光景。天井から逆さにつり下がっているのは――ジョージ・マクフライ。
未来の世界で、彼は腰を痛め、リハビリ機械で宙づりにされながら暮らしていたのよね。1985年、かつて「家族の中心」だった父が、今では“逆さ”に吊られてぶら下がっている。
ジェニファーは、目の前の現実を受け入れられず、いろんな意味で悲鳴を上げる。
因みに、マーティの娘――マーリーン・マクフライが登場。演じているのは、お察しの通りマイケル・J・フォックス本人!ジュニアも父と同じ顔、娘も父と同じ顔。何か意図があったのかしらね。
そして未来のマーティがモニター越しに話していたのが、ニードルス。高校時代から何かとマーティに絡んできている様子。
PART1のラストで、1955年から戻ったばかりのマーティがジェニファーと再会して、真新しい4WDでドライブデートに出かけるシーン。
あの直後にドラッグレースを仕掛けてきた相手がニードルスだった(Part3で改変(マーティ的には改善)されたシーンとして登場)。
しかもそのレースが、このタイムラインでは最悪の結果を生んでいる。
ジョージが作家として成功した未来――つまり理想の1985年で、マーティはドラッグレースでロールスロイスと衝突し、手を負傷。
ギターも弾けず、夢を諦め、未来の自分は仕事で行き詰まる。つまり、ニードルスは二度にわたってマーティの人生を狂わせる存在なんだよね。
1955年から帰った直後に彼を挑発し、30年後の未来でもまた同じ手口で落とし入れる。
どの時代でも、マーティの弱点――“挑発されると我を失う”――というところをいつもついてくる男なのよね。
でも、そういうのって、なんかあるような気がする。あの人との絡みがあると、なぜだか必ず失敗する..そんな経験、ママだけなのかな。
人生の学びを何度も何度も体験させてくれようとする、貴重な存在なのよね(笑)。
ニードルスはマーティに違法取引を持ちかけたのね。そのやり取りが上司のIto Fujitsuに監視されていて、次の瞬間には「You’re fired!」の宣告。
ほんの数秒でなされた軽率な選択が、未来を失わせる。それは、過去のドラッグレースとまったく同じ構図なの。
それと比較すると、悪事を持ち掛けられたマーティ・マクフライJr.ってとってもまともじゃない?だって、「お父さんに相談してから」っていって、まあ、暴力で押し切られそうにはなっていたんだけど、単に腹をたてるとかじゃなくて、ちゃんと誰かに相談しようとしていたんだから。
そして1985年に戻ってみると――そこはもう地獄。夜のヒルバレーは荒れ果て、暴走族が走り回り、看板には「BiffCo」のロゴ。
世界は金と権力を握ったビフ・タネンによって支配されていた。巨大な「ビフ・タワー」は、もと裁判所=あの時計台の跡地に建っている。
かつて時間を象徴した建物が、今では金と欲望のモニュメントになっているのよね。その世界でビフは王のように振る舞い、ジョージを殺し、ロレインを妻にし、町全体を自分の城に変えていた。
ジョージは「12年前から同じ場所にいる」とロレインが言う。つまり1973年に殺されていたということ。
1955年のあの高校時代からわずか18年。まだ35歳前後。彼が作家としての夢を叶える前に命を奪われたと考えると、胸が痛いわ。
ロレインとは結婚ができていたみたいだから、あの深海パーティーの夜は無事に乗り切っていたはずなのよね。でも、それと同時にビフのサクセスが始まりだしていたってことかしら。
そして、ビフの拳に立ち向かったあの勇気ある少年が、その後のビフの勢いに再び圧倒されてしまったということなんでしょうね。
でも、マーティが、いつあの年鑑を渡したのかビフに問い詰めた時、彼はあっさりと口を割った。
なんでそんな大事な事しゃべってしまうの?って思ったんだけど、「冥土の土産に聞かせてやるよ」ってことだったのよね。
つまり、どうせこいつらはここで殺すつもりだから、話しても構わない。その結果、彼は自ら過去を暴露し、1955年で若い自分に年鑑を渡したことをペラペラと話してしまう。
まさに“自分の勝利を誇示するための暴露”。でもそれが、マーティとドクにとっては唯一の手がかりになった。再びデロリアンのドアが開き、雷の夜へ。“未来を直す旅”は、“過去を奪い返す戦い”へと繋がっていったの。
相関③|老ビフはなぜ1955年を選んだ?
歪んだ1985年を正すため、マーティとドクが向かった先は再び1955年。そこは、前作で彼らがすでに経験した“あの雷の夜”だった。
ドクは「宇宙的に重要な意味がある日かも」と言うけれど、ママ的にはそうじゃない気がするのよね。
これは偶然じゃなく、老ビフが“その日を選んで戻った”からこそ起きた必然だったと思うの。なぜ1955年11月12日? しかも、ピンポイントで“雷が時計台を直撃した日”。
その日、ビフにとっては、まさに人生最大の屈辱の日だった。ジョージ・マクフライに殴られ、車は肥料まみれ、好きなロレインも取られ、夜のパーティーでも恥をさらす。
屈辱、怒り、嫉妬、全てが凝縮された一日。だからこそ、その日を“30年たっても忘れられなかった”んだと思うのよね。
人って、幸せな日もそうだけど、恥ずかしい日、悔しい日も鮮明に覚えてるものでしょう? 老ビフにとって11月12日は、一生の傷。
その「忘れられない記憶」こそが、デロリアンの行き先を設定するときに自然に頭に浮かんだんじゃないかしら。
実際、老ビフが“過去のどこに戻るか”を選ぶとしたら、若ビフがその日一日どこにいたかを思い出せる日が最適よね。
それが、あの1955年11月12日ということね。海の深海パーティー(Enchantment Under the Sea dance)の日でもあるし、車の事故、ロレイン、ジョージ、全部が一つの舞台に集まっていたのよね。
若い自分を探し回る必要もない、そこに行けば全部そろっている。だから老ビフは“ピンポイントであの日”を選んだのだと思うの。
ただ、老ビフがその日を選んだことで、マーティとドクも“再び同じ時間”に戻らざるを得なくなる。当時の自分(Part1のマーティ)がすでに同じ時間軸に存在している状態で。
二人のマーティが同時に存在する1955年。これは、マーティにとっては、あの時の自分自身に出会ってしまう可能性があるということで、ちょっとした負担になってるわね。
それは、30年前に終わったはずの物語の続きであり、ビフにとっての“恨みの日”のやり直しでもあったのよね。”
相関④|1955年に取り残されたマーティと、未来へ続く手紙
年鑑奪還のチャンスはほんの一瞬。何度もひやりとしながら、ついに年鑑を奪い返す。燃え上がる年鑑。ページが焼け落ちていくのを見つめながら、マーティは初めて“過去を変えることの重み”を実感したんじゃないかしら。
そして、前作でも象徴的だった“雷の夜”が再び訪れる。ところが次の瞬間、稲妻がデロリアンを直撃――。まばゆい光の中で、ドクの姿が消える。マーティはその場に立ち尽くし、呆然と夜空を見上げる。「ドクが……消えた……?」。
雷によってドクが時間の狭間に飛ばされ、マーティだけが1955年に取り残されてしまったのよね。
雨の中、途方に暮れているマーティの前に、一台の車がヘッドライトを光らせて止まる。降りてきたのは電報局の職員。差し出されたのは、なんと“70年前に預けられた手紙”。
宛名は「マーティ・マクフライ様」。封筒の中から現れたのは、ドクの筆跡だった。日付は1885年。――そう、ドクは雷に打たれたあと、さらに70年もさかのぼった西部開拓時代に飛ばされていたというわけ。
マーティは雨に濡れながら手紙を読み、思わず笑って泣く。「ドク、生きてる……!」ってね。
その頃、同じ時間軸では、Part1のクライマックス直後のドクが、未来へ帰ったマーティを見送って「これですべて終わった」と胸をなでおろしていた。
雷の実験も成功し、若きマーティを無事1985年に送り届けた――はずだった。
そこへ突然、「ドクーッ!」という声とともに、再びマーティが駆け寄ってくる。ドクは信じられないという顔で叫ぶのよね。
「な、なんだって!? さっき君を未来に送ったばかりじゃないか!」――白目をむいてひっくり返る、あのシーン。
そしてPart2のラストカット。TO BE CONCLUDED…(完結へ)」の文字。
映画公開当時、あれを劇場で見た人は、きっと席で身を乗り出したでしょうね。
だってマーティ、1955年に取り残されたままよ?
「えっ、どうすんの!?」って。次回作まで待たされるあの時間、きっとファンには永遠にも感じられたんじゃないかしら。
『Part3』で、もちろんしっかり回収されるんだけど、ただ、よくよく見ると逆に疑問が湧いてくるのが、「マーティはどうやって1885年に行くことができたの?」という部分。
そこが気になる方は、以下の関連記事も参考にしてみてくださいね👇 Part3をご覧になられるまでのもやもやが、少しは軽減されるかもです。

まとめ|“未来を救う”とは、自分の選択を変えること
『PART2』のテーマは、タイムマシンではなく“人の心”そのもの。マーティは「チキン」と挑発されるたびに人生を狂わせ、何度も同じ失敗を繰り返してきた。
未来を救うとは、タイムラインを修正することではなく、“同じ選択を繰り返さない勇気”を持つこと。そして、それがまだできなかった彼に与えられたのが、次の旅――『PART3』。
『PART2』は、時間を越える冒険の中で「過去を変える」から「自分を変える」へと進化した中間章。歪んだ未来を正すための旅は、結局“自分の弱さと向き合う旅”だったのよね。
今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。
コメント