初めて映画「きのう何食べた?」を観るママにとっては、二人のバランス関係ってどうなってるの??ってシーンが結構あったのよねえ。今日は色々ネット情報も調べてみながら、ママなりの二人の相関をまとめてみたいと思います。
相関図①|ケンジが「別れるのかと思った」といったことにシロさんがショックを受けたのはなぜ?

ケンジの誕生日を祝って、二人のイベントとして京都へのお泊り旅行をもちかけるシロさんこと筧史朗。
赴いた先の京都では、シロさんがもう旅程を綿密に決めていたみたいね。
ケンジは、すべてをシロさんがエスコートしてくれるんだっていたく感激してるの。
最初に立ち寄ったうどん屋でカレーうどん。以前にテレビで紹介されて、ケンジが行きたいって言っていたのを覚えていたようなの。
店を出て立ち寄った場所は、お気に入りのサスペンスドラマロケ地。
ロケ地では、ほかの観光客にお願いして、二人並んでの写真を撮ったり。
ここで二人のこれまでの関係についての疑問。いや、疑問をもったのはケンジなんだけど。
ケンジがね、シロさんは、二人で写真とか嫌がるタイプだったはずっていうの。
それにゲイバレするのも嫌なタイプ。
二人並んで写真を撮るだけなら別にどうということはないと思うんだけど、ケンジはどうしても、「雰囲気」が出てしまうタイプみたいだから、シロさんはどうやら、これまではそう言ったシチュエーションというのは敬遠していた感じなのよね。
ケンジは京都でのシロさんに違和感を感じたようなんだけど、その理由は単純だった。
この旅行はシロさんからケンジへのお詫びだったの。
でも、「きのう何食べた?」ビギナーのママにとっては、そもそもシロさんってどんなタイプだったのって、そっちの方が気になった。
だって、二人は付き合ってると思うんだけど、その距離感というのに違和感を感じるのよね。調べてみて何となくわかったの。
なんでもね、ケンジはシロさんにとっては「タイプ」ではない存在らしいの。正確に言うと過去形にした方がいいのかな?
でも、なんかママからすると、これを聞いただけですっごい違和感を感じたの。
男性同士で付き合ってる人って、なんかとってもバランスの取れた相思相愛っていうのを勝手にイメージしていたのよね。
逆に言うと、男女の関係では、別にそれほど好きでもない相手と付き合ってるなんて言う関係は、きっとはいて捨てるほど、どこにでも転がっているような気がしていたんだけど、男男の場合に関するママの妄想は、全く的外れだったみたい。
でも、考えてみたらそりゃそうかって思えてきた。
だって、人と人との関係のもつれなんだから、そういうケースは男女の場合と同じくあるわよね。
でも、そのくくり方も、シロさんについての情報をちょっとかいつまんでみてみるだけで、意味がないように思えてきた。
シロさんは過去、自分のタイプの男性と付き合った時、自分の意見を言えずに、ちょっと窮屈な思いをしてきたらしいの。
自分の意見を相手にぶつけることで、嫌われたり逃げていかれたりすることが怖かったのかな。
でも、ケンジに対してはそういうのがなくて、以前に抱えていたようなストレスを感じることがないんですって。
加えてね、カミングアウトの問題もありそうなの。
シロさんはカミングアウトをしない派らしいの。
だから職場でも彼が男性のことを好きというのは知られていないし、その意識は、そういった限られた環境の限られた人に対してだけではなくて、知らない人の目にも、ゲイであることを知られることは嫌だったみたい。
でも、もちろん、そんなたった二つの側面でシロさんがどんな人なのか図ることなんか絶対にできない。
二人で記念写真を撮ったあと、シロさんが今回の旅行を“お詫び”の気持ちで計画したんだと打ち明けた場面。
そこでケンジがぽろっと「別れるとか言うのかと思った~」って胸をなでおろしていたのよね。
あの一言に、シロさんが「なんで別れるとか思ったんだよ。そっちの方がショックだよ」と返すんだけど、あれってどういうことなのかな。
まあ普通に、もう何年も付き合ってるんだから、もう少し信頼してくれててもいいんじゃないのっていう感情もあるんだろうけど、なんかもっと深いところでつながっていると思っていたのに、意外と浅いところでつながってたのかっていうショックなのかも。
例えば、血のつながった肉親同士の関係であれば、別れるという心配とかってあまりないわよね。
シロさんの中には、そういった血のつながった者たちの間にあるような感覚があったのかもしれないなって感じたんだけど、違うかな。
シロさんって恋愛のたびに“尽くしすぎて重く思われて、結果的に捨てられる”という苦い経験を繰り返してきた人らしいの。
自分だけが頑張ってしまって、相手との温度差に気づけなかった。
その過去があるから、ケンジとの関係では、やりすぎないように、距離の取り方にはずっと慎重だったとも言われているみたいね。
でも、ケンジだけは“自分をつくらずに言いたいことを言える相手”。好みのタイプじゃないからこそ変な遠慮がなくて、肩の力が抜ける相手みたいな表現も見かけるし、でもこれって、肉親との関係もある意味そういった面ってあるわよね。
そんなふうだったら、「別れるのかと思った」というケンジの反応は、意外だったにちがいない。家族の間で“別れる”なんて想像していないし、その選択肢を自分の中に置いていないもの。
それに、もし、ケンジに対する距離感みたいなものをずっと意識してきたんだとすれば、なおさらショックよね。
相関②|小日向さんって、今はシロさんのことをどう思ってるの?
小日向大策さんが冷蔵庫壊れたから、中身をもらってくれってシロさんにお願いして、家にやってくるようなんだよね。
そのことを聞いたケンジが、「え?じゃ、今からくるの、小日向さん?」ってケンジに慌てたように言うんだよね。
何かを察したように、シロさんが「あ~、ジルベールも一緒に来てもらうよ」って。
すると、ケンジが「シロさんが小日向さんとどうのなんて、もういま、全然思ってないよ」って、。。。何があったのかなあ
これ調べてみると、昔はちょっと“危うい距離感”があったけど、今はもう完全に方向性が定まってる感じのようね。どういうことかというと——
小日向さんって、もともとシロさんのことを「同じゲイ同士、話が合うし、一緒にいて居心地がいい人」としてかなり好意的に見ていたところがあったんじゃないかしら。
シロさんの前ではふっと柔らかくなったり、愚痴と言いながらのろけを披露したりして、どこか“気を許している感”がにじんでたわけ。
でも、あれは恋愛感情というより、「同性として信頼している」とか「つい甘えたくなる」みたいな、“情”に近いものだったのかもしれないわね。
ただね、その“微妙な情の揺れ”が、昔のシロさんだったらちょっと危なかった可能性があったらしいの。
シロさん自身が「10年前の俺だったら危なかった」と思うほど、タイプ的にはハマりやすかった相手だったみたいで。
だからケンジが昔ちょっと警戒していたのね。敏感な子だからねえ。
でも、今の小日向さんはもう完全に“航(ジルベール)ひとすじ”で間違いなさそう。
彼、航には本気で溺れてるわよね?
普段は冷静そうなのに、航の前になると表情も声も別人レベルで感情をあらわにしていたし。
だから、シロさんに対しては今は安全地帯。恋愛対象としてではなく、「唯一無二の相談相手」「ゲイとして何でも話せる数少ない友人」という立ち位置に落ち着いてる感じする。
航ってわがままで愛情確認みたいな行動が多そうね。
同時に“大策が誰をどう見ているか”にすごく敏感でもある。
だから、小日向さんがシロさんを変に意識する余地はほぼゼロ。
むしろ、小日向さんがもし少しでも別の方向に心が揺れそうになったら、航が秒速で察知しそう。
結果として今の小日向さんは、「シロさんは大切な友人。でも恋愛対象は航だけ」という、すごく安定したところにいるんじゃないかなって感じた。
シロさんもそれを分かっているから、昔みたいに“危険”を感じる場面もないし、ケンジももうヤキモチを焼く必要がなくなってる。
だから、冷蔵庫事件のシーンでも、シロさんは自然に「あ〜、ジルベールも一緒に来てもらうよ」と気軽に言えたんじゃないかな。
相関③|シロさんが“弁護士らしくない一言”を漏らした理由とは?
ホームレスの男性が「控訴なんて無駄ですよ。そこにいるだけで蹴られるような人間なんです。何を言っても信じてもらえませんよ」と言ったとき、目の前でその言葉を聞かされたシロさんと上町修先生では、異なった感情が湧き上がったんじゃないかしら。
修先生はすぐに「控訴しましょう」と必死に訴えたのに、シロさんは「戦ってもきつい思いをするだけだっていう諸住さんの言葉もリアルだとおもいますよ。そこは尊重しないと」みたいなことを言っているの。
弁護士らしくない返しには修先生は驚きを隠せなかったみたい。
「リアル」と感じたのは、もしかしたら、シロさんの半生の中には同じような経験や思いがあったっていうことかしら。
でも、あの被告の言葉って、長い長い時間の中で積み重なってしまった「どうせ信じてもらえない」という諦めそのものだったわけで、シロさんはそこに反射的に引きずられたんじゃないかと思うの。
シロさん自身、これまでずっと“理解されない側の気持ち”で生きてきた人でもあるでしょう。
性的指向のことも、親との距離のことも、自分がどこまで受け入れられるか不安を抱えて生きてきたタイプだから、あの「無駄なんです」という言葉に、弁護士としての立場より先に“ひとりの人間としての気持ち”が寄ってしまったのかもしれないと感じた。
でも、同僚の上町修弁護士が法に関わるものがそういうの言っちゃだめだと思うみたいなことを強く返してきた瞬間に、シロさんもあっと気づいて「もう少し粘ってみますか」とすぐに弁護士の本来あるべき姿に戻ったわ。
でも、どうなんだろ。そこにいるだけで邪魔者扱いされた人の本当の苦しみを、修弁護士がシロさんと同じレベルで理解することは難しいと思うのよね。
もしかすると、本当のところは、その被告の男性にもっと寄り添う別の方法が必要とシロさんは感じていたかもしれないわね。ただ控訴しろ、戦えっていわれても、その男性にとっては傷口に塩塗られるほどの痛みを伴うかもしれないわよね。
その痛みをシロさんは瞬時に読み取ったから、あのときの「リアル」という言葉が口をついて出てきたのかもしれないわね。
相関④|なんで嫉妬なんて?自分の感情に一番びっくりしていたのはシロさんだった
雨の中、ケンジと美容院の若い同僚田渕剛が相合い傘みたいになって歩いていたあのシーン。二人の距離は妙に近くて、はた目にはケンジもまんざらでもないように見えてしまうのよね。
シロさんはちょっと離れたところからその様子を見つめているんですよね。
で、そのあともなんとなく二人の歩き方や距離感が気になって仕方ないみたいで、そのたびにモヤモヤして、でも「なんで気にしてるんだろう、俺?」と自分でもよくわからない感情に戸惑っている様子。
シロさんは、自分が恋愛において“嫉妬を感じる側の人間”なんて思ってきてないんですよね。
これまでの恋愛では常に遠慮して、尽くして、嫌われないように気を遣ってばかりで、浮気されたり、軽く扱われたりする側だったらしいの。
だから“焼く”って感情って、自分の辞書にはほとんどなかったんだと思うんです。
しかもケンジについても「好みとは正反対のタイプ」と言っていた過去があるから、余計に“自分がここまで情を寄せている”という実感が遅れてやってきたというか、あのとき急に実感を突きつけられてしまったかんじだったのかな。
好みじゃないはずだったのに、気づけば日常の中の“一番近い人”になっていたっていうことなのかな。
まとめ|シロさんとケンジの関係性
きっと、ママの二人の関係性の読み解きは、的外ればっかりだったんじゃないかなって思う。
でも、多くの方が感想にあげられているように、見終わった後にはとてもほっこりした気分になるのよね。
これはきっと、あの年齢になって、いろんな経験をしてきた二人が、決して「好きだ好きだ」で相手を縛り付けることなく、お互いを思いやった立ち位置から触れ合っているからなのかなって感じました。
知り合った当初は、自分の過去の経験から立ち位置を決めていたと思うんだけど、お互いを知っていくたびに、立ち位置や距離感を超えた心のつながりができたのかな。
そしてそれを映画の中に描いて見せてくれたことで、「ほっこり」するのかなって感じました。
今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。


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