映画のタイトルって、時に物語の核心をズバリ突いてくるものですよね。でもこの『14番目の標的』って、ちょっと不思議じゃないですか?だって、トランプって13枚なのに、14番目ってどういうこと?――そんな違和感から始まるこの作品、実は「標的になった人」の数だけで終わらない、もうひとつの“意味”が隠されているのです。
14番目の標的って誰だったの?

「13人目で終わりじゃなかったの?



そうだね、単純に命狙われるターゲットとはちょっと違うようだよ
劇中でトランプになぞらえて命を狙われるのは、13人。それぞれの名前に数字が含まれていて、目暮十三(13)から始まり、工藤新一(1)まで。順番に「カードのように」標的になっていきます。
ところが、タイトルは『14番目の標的』――つまり、“もう1人”がいたというわけです。で、その人物が誰だったのかというと…蘭、です。
終盤、コナンが彼女を救うために拳銃を向ける場面がありますが、これは明らかに“銃口を向けられた”という意味で「ターゲット」とされた瞬間。
しかし、ただのアクションじゃありません。あれは、かつて小五郎が英理に対してとった“あの行動”と対になっているんですよね。つまり――14番目の標的は、蘭。これが映画のラストに仕込まれた、もう一つの核心でした。
最後に銃を向けられた“蘭”が、14番目の標的
13番目までの標的とは異なる“特別な意味”を持って配置された人物だった
『14番目』というタイトルの意味は?
トランプのカードは13枚まで。つまり、14という数字は、最初からカードの外。明らかにそれまでの1~13とは違う意味を持つということ感じてほしいと意図していそうですよね。
先ほども出てきましたが、小五郎がかつて英理に拳銃を向けたこと。そして今回、コナンが蘭に拳銃を向けたこと――いずれも、守るために選んだ「愛の行為」。でも、撃たれた英理も、銃口を向けられた蘭も、その一瞬は犯人に“明確に狙われた側”だったのです。
でも、小五郎やコナンが向けた銃口の先として狙われた存在となり、1~13とは別の意味を持つターゲットとなりました。そう考えると、この「14番目」というのは、“カードに並ばない、でも確かに狙われた者”というのを表現したもので、それは蘭であったということになります。
小五郎が英理を撃った理由とは?
さて、この映画で重たい過去の一つが、10年前の事件。小五郎は当時、取り調べ中の村上丈に英理を人質に取られた際、ためらわずに発砲し、英理の足をかすめたように見えました。そりゃあ、奥さんもビックリですよね…。でもそれは「英理を助けるために最も早く確実な方法」を選んだ小五郎なりの覚悟だったわけで――言うなれば“プロとしての判断”。
英理自身もその真意はしっかり理解していました。小五郎が英理を助ける最善の方法として、英理の足を狙って撃ち、英理が立っていられない状況を作り、犯人が英理を手放さざるを得なくなるという方法を選びました。もちろんそれは功を奏します。
英理はそのことをよく理解していました。しかし頭のいい英理のことですから、その方法は同時に、小五郎の刑事生命を脅かすはずであるということもわかっていたに違いありません。
映画の中でも見られたように、銃弾の痕は、足をかすめていったように見えます。それほどの卓越した銃の腕前だったということでしょう。しかし、被害者に危害が及ぶかもしれない方向に銃口が向けられ、そして実際に被害者が傷ついたと判断され、それは大問題になってしまいます。
これほどのリスクを負って、英理を助けようとした小五郎に対して、英理は言葉や態度では表現しきれないほどの感謝を小五郎に向けて抱いたのではないかと思うのです。
因みにですが、英理は14番目ではありません
ここでちょっとややこしいのが、英理の扱い。英理は今回の蘭と同じく、小五郎の愛によって、救いだされるために標的になりました。その意味では、1~13には属さない、すなわち14番に据えても良さそうなのですが、沢木のターゲットとして12 (トランプのQ=クイーン)と位置付けられていますね。
劇中でコナンの解説にあったように、英理の名字、妃は英語でQueenと訳すとの説明でした。ということで、英理は14番ではなく、12番という扱いです。
まとめ
- 14番目の標的とは“蘭”である可能性が高い。
- 「14」という数字は、カードに存在しない=異質な存在を象徴。
- 小五郎が英理に、コナンが蘭に銃口を向けたことが、この“異質さ”の伏線。
今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。
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