映画『紅の豚』のラスト。フィオがそっとつぶやく「これは私たちだけの秘密よ」というひとこと──あれ、気になりますよね。
マルコとジーナの関係に、最後のひとつの決着が訪れたと考えると、自分だけの妄想では気持ちが収まりませんよね(笑)。
今回は、「ジーナの賭けはどうなったのか」「なぜそれを秘密にしたのか」という点を、過去の関係や物語の背景をふまえて深掘りしてみたいと思います。
フィオと結ばれた?──いや、ジーナと結ばれた?
ラストでフィオが「それは私たちだけの秘密」という場面、あの言葉を聞いたとき、フィオと結ばれた?ジーナと結ばれた?もしかするとジーナをイメージされた方がちょっと多い?
映画を繰り返し見ていると、フィオの圧倒的な魅力にさすがのマルコも、「時に人間の姿」を映し出してしまうほどに、心揺れてたりしているところがうかがえるんですけど、一貫して、一定の距離を保とうとする姿勢は崩していないように感じるんですよね。
フィオに惹かれる部分がなかったとは思いません。でも、自分が誰かと共に過ごすには、あまりにも複雑な状況にいる──そのことをマルコ自身が一番よくわかっているのでしょう。
マルコは、特別な信念があったわけでも、英雄的な正義感をふりかざしたわけでもない。ただ、目の前で困っている人に手を差し伸べる、当たり前の“やさしさ”を選んだだけ。
けれど、そのささやかな選択が体制から目をつけられることになり、彼は追われる立場になってしまった。結果として、誰かと深く関わることが難しくなり、今のような生き方を選ばざるを得なかった。
だからこそ、マルコの“距離感”には、あたたかさと、少しの諦めがにじんでいるように思えるんです。
そしてジーナは、そんな彼の背景もすべてわかった上で、何年も想いを抱き続けてきた人物なのかなと思います。フィオのような勢いではなく、沈黙と時間の積み重ねでマルコと向き合ってきた人。
あのラストで描かれた、ジーナのホテルに、日中に横付けされた赤い艇がマルコのものだったのだとしたら──それはジーナの賭けが、形として公に結ばれるような結末ではなかったかもしれないけれど、精神的にはたしかに報われた、ということだったのかもしれません。以前よりも心の距離も、物理的な距離も少しずつ縮まり、お互いが寄り添えるようになった──そんな関係に落ち着いたからこそ、あえて言葉にはしない“静かな結びつき”が生まれたのだと感じています。
ジーナの賭けは本当に報われた?
ジーナが語った「あの庭にマルコが現れたら、今度こそ彼を愛する選択をするわ」というセリフ。これは、彼女なりに大きな決断をしていた証だったと思います。
具体的に言えば、マルコが庭に現れたそのとき、自分は過去の悲しみや躊躇いをすべて超えて、たとえ、何かの妨害や危険を伴うことがあろうとも、今度こそ、彼ととも居続けたいという強い気持ち。
過去にベルリーニをはじめとするマルコの古い友人たちとあえて結婚することで、“マルコと共に生きたいという気持ち、そばにいたいという願い”を隠し守るしかなかった彼女が、今度こそ自分自身に正直になり、自分の人生を自分で選ぶという決意を固めていたということではないかなとおもうのです。
マルコにはとっくに気持ちは伝わっていたのではないかな。だからこそ、これはマルコに気持ちを伝えるための覚悟ではなく、これまでイタリア軍の追っ手を避けるために、自分の本心や人生を後回しにしてきた生き方を、ようやく自分の意志で選び直そうとする決意だったのだと思います。
ただ、ジーナは決してその結果を公に語ったりはしないのではないでしょうか。マルコとの関係を公にすれば、軍や政府にとって“利用できる情報”として扱われてしまう恐れがあるかもしれません。そんな火種をわざわざくべるようなことは、ジーナは決してしない。
だからこそ、誰にも語らず、フィオにだけ“秘密”としてそっと伝えたのではないかなと思うのです。劇中エンディングではジーナのホテルに飛行艇が横付けされている描写があります。誰なのかは明言はされていません。
でも、赤い飛行艇といえといえば….私はあれは、マルコだったんだろうと思っています。そしてそれは、ジーナの賭けが成就した証かなと。とはいえ、マルコとジーナが結婚するような関係になったわけではないと思います。
マルコはいまだ軍から追われる立場かも。ジーナと公に結ばれることで、ジーナに危険が及ぶことを避けたい──そんな思いが、彼の行動を抑えている。だからこそ、ふたりはあくまで静かに、でもたしかに心を寄せ合う関係へと進んだのではないでしょうか。
ジーナがマルコにかけた“もう一人の女の子を不幸にしないで”という言葉の背景はこちらの記事で解説しています

戦争と友情が引き裂いたふたり──ジーナの決断の意味
過去に遡ると、ジーナはベルリーニのあと、二人の飛行艇乗りと結婚しています。マルコへの思いを世間や軍に偽装するための結婚だったとするなら、その二人もマルコの“古い友人”たちと考えられるかもしれません。実際にジーナのところで、3人目の夫が亡くなったことを知らされたとき、マルコは彼らのことを友と呼んでいます。
この繰り返される結婚が象徴しているのは、表向きの人生を守るための“盾”のような存在だったのかもしれません。ジーナ自身がそう望んだというより、マルコや周囲の人間たちが、彼女を守るためにそう仕向けたようにも思えるのです。だから、ジーナは時折、今の状況をマルコのせいにする発言をするのかな。実体はジーナとマルコが真に結ばれることを、彼らの誰もが望んでいながら、世の中の状況がそれを許さなかったということではないでしょうか。
マルコは第一次世界大戦後もお尋ね者のまま。戦後も混乱が続くなか、彼の身の上が改善される見込みはなかったでしょう。だからこそ、ジーナは直接マルコを選ぶことができなかった。そして「今度こそ彼を愛するという選択をするわ」と口にしたのは、ようやくその“制約”を自ら解き放ち、今度こそ自分の気持ちに素直になるという決意だったのだと思います。その言葉の裏には、何十年も押し殺してきた感情があるんですよね、きっと。
苦い記憶と向き合うマルコ──写真に写る“昔の顔”の意味
マルコがジーナのバーで唯一「気に入らない」と言ったもの、それが“昔の自分と仲間たちが写った写真”。このシーンも、象徴的でしたよね。かつての自分、人間の顔をしていた頃、そしてそのときの仲間たち──彼らの多くは既に命を落としていますが、ジーナを守るために“盾”になっていった人たちです。
マルコにとってその写真は、思い出すと切なくなる仲間やジーナとの関係が描かれたもの。今の彼が“豚の姿”でいる理由も、ただの呪いや魔法なんかじゃなく、人間としてありがちな名誉を求める欲望などを捨てたということかなとおもうのです。
今のマルコなら、ジーナを手放したときと同じ選択をしただろうか。いや、別の選択があったのかもしれないという思いが、あの写真を見るたびに思い起こされるのかもしれませんね。
因みに、マルコが再び「名誉」を求めたかに思われた展開がありましたね。マルコが豚の姿になった理由考察の中で深掘りします。

フィオがいたから生まれた変化──そして残ったのは“秘密”
では、なぜ「私たちだけの秘密」とフィオにだけ伝えたのか?それは、ジーナにとってフィオが“信頼できる存在”になったから。そして、マルコとジーナの距離が少し縮まるきっかけを作ってくれたのがフィオだったからなのではないでしょうか。
若くて情熱的なフィオの存在は、マルコの心にも、そしてジーナの心にも、関係の在り方を見つめ直すような刺激を与えたのかもしれません。
マルコにとっては、フィオのまっすぐな言葉が自分の立場や気持ちを再確認するきっかけとなり、ジーナにとっては、自分の想いを明確にする後押しとなったように感じるのです。
停滞していたふたりの関係に、フィオが風を吹かせた。そのおかげで、ジーナは自分の気持ちをようやく言葉にでき、マルコもそれを受け入れる準備ができた。
そう考えると、あの「秘密」は、フィオへの感謝と信頼の証だったのかもしれませんね。そして、ふたりの間に芽生えた新しい関係は、誰にも知られることのない、ごく限られた人だけが知る、日の光の下で少しずつ確かめ合った信頼と理解。
戦争という時代を越えて、ようやくたどり着いた“以前よりも近づいた心と距離や時間”──それがジーナが賭けに勝ち、求めて手に入れたものだったのではないかと感じました。
フィオの名セリフや行動をまとめた記事はこちらです

まとめ
ジーナとマルコがたどり着いた関係は、結婚や同居といった形には残らなかったかもしれません。でも、ふたりの間には確かに通じ合うものがあって、それを見守ったフィオが“私たちだけの秘密”として胸にしまった──
それだけで、あのラストは充分すぎるほど優しくて、あたたかい結末だった気がします。ジーナの賭けは、静かに、でもしっかりと叶えられていたんじゃないでしょうか。
今日も最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
コメント