マレフィセントの相関図!|マレフィセントとステファンの関係も解説!

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この記事はネタバレ情報やあらすじを含みます。シリーズの他の作品含め、未視聴の方は特にご注意ください

映画『マレフィセント』の相関図とあらすじをまとめました。眠れる森の美女とは異なるストーリーで描かれるマレフィセントとステファン、そしてオーロラの関係。人物同士のつながりを整理しながら、キャラクターの心の変化や物語の核心を解説していきます。

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目次

相関図①|マレフィセントとステファン、そしてオーロラ誕生までの因縁

眠れる森の美女でのマレフィセントといえば「邪悪な妖精」というイメージが強いけれど、アニメ版を見ていると正直少し違和感があったのよね。

オーロラの誕生祝いに招かれてもいないのに現れて呪いをかけるという強烈な登場。隣国からやってきた3人の小さな妖精は友情や親交の証として理解できるけど、じゃあマレフィセントはなぜあの場に顔を出せたの?そんな恐ろしい存在とどういう関わりがあったの?って疑問が湧いたのを今でも覚えているわ。

映画『マレフィセント』では、その背景が描かれていて、ああ、そういうつながりだったのねと腑に落ちる部分があったのよ。でもここで注意したいのは、『眠れる森の美女』と『マレフィセント』は設定が異なるということ。

同じ物語を語り直しているように見えて、実はストーリー自体大きく変えられているの。だから割り切って別の作品として受け止める方が楽しめるのよね。

映画の冒頭に登場するマレフィセントの幼い頃はとてもかわいらしくて、むしろ愛情深い少女として描かれているの。

彼女が暮らしていたのは自然あふれるムーア国。そこで運命的に出会ったのが、人間の少年ステファン。彼は後に国王になる人物。

『眠れる森の美女』ではステファン王といえばちょっと神経質ながらも、それほど悪人という印象はなかったはず。

でも『マレフィセント』ではまさにヴィランとして描かれている。幼い頃は普通の少年に見えたのに、大人になってから変貌していく姿がなんとも切ない…いや、腹立たしい感じすらするわね。

マレフィセントはその少年ステファンに心惹かれてしまう。16歳の誕生日にステファンが贈ったのは「真実の愛のキス」。でもその数年後、彼はあっさり心変わりしてしまうの。どこが真実の愛なのよ、とツッコミたくなる展開。

きっとステファン本人は「これは真実の愛だ」と言葉にしてしまったんでしょうね。この後彼がやらかすことを思うと寒気すらするわ。

一方マレフィセントはムーア国最強の守護者として成長する。守護者というからには敵の存在があるという前提よね。ムーア国も決して完全なる楽園ではないということね。

妖精たちは人間よりも神に近い存在として描かれることが多いような気がするけど、決して苦労や修行から無縁ではなさそうね。

そんな彼女たちの国を狙ったのが隣国ヘンリー国王。彼は大軍を率いてムーア国へ攻め入ろうとしたわ。

兵を鼓舞するために「今まで誰もこの謎の国に挑んだことはない!」と叫ぶんだけど、長年敵対してきたのでは?とちょっと首をかしげる場面でもあったわ。

戦いはマレフィセントの圧勝。圧倒的な力の前にヘンリー王は傷を負い、城に戻って養生しながら家臣たちに命じた。「マレフィセントを倒した者が次の王となる」と。

よくみると、そこにステファンがいるじゃない。彼はかつて親もなく納屋で暮らす身だったのに、気づけば王の側近にまで上り詰めていた。若いころから相当な野心家で、チャンスを逃さない性格だったのね。

しかも彼の行動力は早い、早すぎる。ヘンリーの言葉を聞いた後、すぐさま動き出す姿はぞっとするほどの冷酷さを感じさせるわ。

やがてステファンはマレフィセントを裏切り、彼女の大切な翼を奪うという最悪の行動に出る。その結果、彼は王位を手中に収めることになるの。

幼い頃に心を通わせ、真実の愛を誓った相手にそんな仕打ちをするなんて。まさに最悪の裏切り。人間の欲深さと権力への執着が一人の少女を傷つけたのね。

しかもこの男の子供が後にオーロラになるのだから皮肉な話よね。父がこれほど卑劣でも、娘は美しく清らかに育つ。

これは血ではなく環境が大きな影響を持つということを示しているのかもしれないわ。妖精の贈り物に「心を美しく」という魔法はなかったはずだから、オーロラの人柄はきっと育った環境と彼女自身の力によるものなのね。

ネット上には「なぜオーロラは森で育てられなければならなかったのか」という疑問もよく見られる。

もちろん糸車の呪いから守るために人里離れた場所が選ばれたのは当然だけど、実は心の闇から遠ざけるためでもあったのかもしれない。

ひねくれた心に囲まれて育つことこそが、もっとも強い呪いになるといえそうだもの。そう考えると納得できるわ。

こうしてマレフィセントの翼を奪ったステファンは、見事に国王の座をつかみ取った。ほんと、あきれ果てた男よね。

愛を裏切り、友情を裏切り、最後には国まで手に入れてしまう。彼の行動はマレフィセントの憎悪を呼び起こし、物語を大きく動かすきっかけとなっていくの。

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相関図②|怒りに飲まれたマレフィセントと呪われたオーロラ

マレフィセントの翼を奪って王座を得たステファン。その裏切りと残酷さに対する怒りは、彼女の心に深い闇をもたらした。

ムーア国はもともと誰かが誰かを支配するような場所ではなかったのに、マレフィセントが憎しみに心を支配されてからは、国全体にただならぬ空気が広がっていった。

復讐心が心の大半を占め、以前のように誰にでも愛を注いでいた姿はもう見られない。

翼を失った彼女は空を飛ぶことができなくなり、歩くしかなくなってしまったの。そんな彼女を助ける存在が現れる。

カラスのディアバルよ。ディアバルは人間に捕らえられそうになったところをマレフィセントに救われ、その恩義から彼女に忠誠を誓うことになる。

以後、マレフィセントの「翼」として彼女の命に従い、さまざまな場面で活躍するの。 ディアバルはステファン王に娘が生まれたことをマレフィセントに知らせた。

そして訪れた祝賀の席。そこに招かれざる客として現れたのが他でもないマレフィセントだったのよ。その場には三人の小さな妖精も招かれていた。赤い衣装のノットグラス、青い衣装のフリットル、緑のシスルウィット

彼女たちは祝いの贈り物としてオーロラに魔法を授ける役割を果たしていたの。ノットグラスが与えたのは「美しさ」、フリットルが与えたのは「悲しみのない幸せな一生」。

オーロラは生まれてすぐに祝福を受け、美しさと幸福を約束された存在になったのよね。もしかすると「美しくなる魔法」というのは外見だけではなく心の美しさも含んでいたの?

もしそうなら、あの冷酷なステファンの娘でありながら、オーロラがあれほど優しく清らかな心を持って育った理由も納得できるわ。

母親譲りの美貌に加えて、魔法が心の清らかさを守っていたのかもしれないわね。

ただ、気になるのは三人の妖精とマレフィセントの関係。翼を奪われる前までは敵対していたわけじゃなかったはずなのに、祝賀の場面では完全に対立関係として描かれているの。

お互いに悪態をつくような場面も目立つのよね。三人の妖精もマレフィセントが裏切りの被害者であることを理解していたはず。

なのに敵対しているのはなぜ?彼女たちが単純で少し抜けた性格に描かれているようなきがするんだけど、そんな性格だから単純にマレフィセントの圧倒的な力を恐れているだけなのかな。

赤い服のノットグラスなんて特に憎たらしいキャラに感じられて、見ていて妙に腹立たしくなる。イギリスの女優さんが演じていて、嫌味な役をやらせると天下一品…っていうのは、ハリーポッターのアンブリッジ役でもおなじみよね。

さて、この祝賀の場でマレフィセントはオーロラに呪いをかける。16歳の誕生日に糸車の針に指を刺し、深い眠りにつくという呪いを与えるの。

誰からも愛されながら、結局は救いのない結末を迎える運命を定められるなんて、これほど残酷な話はないわね。

それはすべて、ステファンに苦しみを味わわせるための復讐。娘を通して、彼に最大の苦痛を与えようとしたのね。

表向きには冷酷な呪いだけれど、その根底にあるのは愛を裏切られた彼女自身の深い痛み。この呪いには「真実の愛など存在しない」という彼女の確信が込められていたようね。

そんなどうしようもない状況でも、映画をみつづけることができるのは、マレフィセントが完全に悪に堕ちているわけではないと感じさせてくれるせいかも。

オーロラを呪ったはずなのに、彼女を陰ながら見守り続ける。三人の妖精を魔法でからかっている姿は、まだ心がひねくれている証拠だけれど、それでもオーロラを守る行動をとりつづけるの。

ツンツンしていながらも、オーロラから目を離せないでいる彼女の姿に、ちょっと心が和むわね。心の回復には時間がかかるけど、その癒し手となるのがまさにオーロラ自身だった。

子供時代のオーロラが「アップ、アップ(だっこして)」とせがむシーン。あれを演じたのがアンジェリーナ・ジョリーの実の娘、ビビアンちゃん。親子だからこそ出せる空気感がそこにはあったのよね。ほんとなごむわ~。

険しい顔のマレフィセントが思わず心を許す一瞬。その光景には観客の心もほどけてしまったんじゃないかしら。こうしてマレフィセントとオーロラの奇妙な関係が始まるの。

相関③|オーロラの呪いと「真実の愛」をめぐる攻防

ついにオーロラが妖精の国ムーアに足を踏み入れ、マレフィセントと初めて真正面から出会う瞬間が訪れた。このときのマレフィセントは、長く心を覆っていた闇からようやく抜け出し、正気を取り戻したように見えた。

でもそれは同時に、自分がかけてしまった呪いの重さに押しつぶされそうになる日々の始まりでもあったの。どんなに悔いても呪いは解けない。

16歳の誕生日に糸車の針に指を刺し、オーロラは永遠の眠りにつく──それが覆せない運命として迫っていたの。

そしてその日が目前に迫るなかで焦りを募らせていたのは、マレフィセントだけでなくステファン国王も同じだった。

アニメ版『眠れる森の美女』の筋を思い出すと、16歳の誕生日までオーロラが無事に育ったこと自体が、国王にとっては逆に恐怖を増幅させる理由になったはず。

つまりマレフィセントが必ず攻めてくると確信していたのね。その焦りは彼を狂気へと追い詰める。

真夜中に鍛冶職人をたたき起こし、鉄であらゆる仕掛けを作らせる姿は正気を失った人間そのもの。鉄製の網や、マレフィセントを取り囲むための柵、あるいは自分の身を守るための鎧。とにかく鉄で武装し、敵を寄せつけない作戦を立てていたの。

妖精の国では、オーロラが森の中でフィリップ王子と出会う場面も描かれる。ほんの2〜3分の邂逅にすぎないけれど、物語的には「真実の愛のキス」へとつながる布石かなと思わせるシーンね。

でもさすがにこの短さで真実の愛だと言い切るのは難しい。

ディアバルは、これまでずっとマレフィセントやオーロラの気持ちを察して動いてきたんだけど、そんな彼が「彼こそ真実の愛の相手だ」とフィリップを指し示すの。

マレフィセントは半信半疑。やっぱりカラスはカラスかと冷ややかに思ったかもしれないわね。でも打つ手のない彼女にはその言葉に賭けるしかなかった。

そのころオーロラは城に戻り、ステファンのもとへ。しかし父親は娘との再会を喜ぶこともなく、彼女を部屋に閉じ込めてしまう。

そしてオーロラは導かれるように糸車の置かれた部屋へ。なぜそんな都合よくたどり着いてしまうの?と思うけれど、これもまた呪いの力なのかな。

16歳の誕生日の前日に城へ戻ってしまったのも、誰の制止もすり抜けて糸車の部屋に足を運んでしまうのも、すべて呪いに操られた結果かもしれないわね。

止められる者は誰もいなかった。 マレフィセントもオーロラを止めるため城へ急ぐけれど、到着する前にすでに手遅れを悟る。フィリップを伴っていたものの、彼女自身はほとんど期待していなかったはず。

「真実の愛のキス」なんて存在しないと信じてきた彼女だからこそ、むしろ全ての責任を背負って生き続ける覚悟を決めていたのかもしれない。

かつて信じ、裏切られ、傷ついた愛。その痛みを知っているからこそ、もう二度と信じないと心に決めていたのよ。

一方ステファン国王もまた、三人の妖精が耳打ちする「真実の愛のキス」という救いの手段を一蹴する。「そんなものは存在しない」と断言するの。何を偉そうに!と叫びたくなる。

だって彼こそが「真実の愛」をつらぬくことができなかった、いや、一度も「真実の愛」など持ち合わせていなかった男なのだから。愛を知らずに生きてきたのは他ならぬ自分なのに、偉そうにその存在を否定してるんじゃないわよ!

マレフィセントの場合は、まだかつて一度はその存在を信じていたからこそ、ほんのわずかに「もしかしたら」という思いを抱く余地が残っていたとおもうのよね。だからこそ彼女の懐疑と期待は揺れ動き続けていたんだと思う。

相関④|愛に目覚めたマレフィセントとステファンの最期

そして、ついにマレフィセントは再び愛に目覚める時を迎えるの。長い間、裏切りと怒りに支配され、オーロラに呪いをかけた自分を責め続けてきた彼女。

でもその心が最後には変わる。自分が犯した過ちを悔い、受け入れると宣言したとき、そこにはかつての冷酷な妖精の姿はなかった。

奇跡は真実の愛のあるところに起こる。それは王子のキスでなくても構わなかった。むしろ、誰よりも深くオーロラを愛し、見守ってきた存在こそが真実の愛を与えることができたのよ。

ここに至って、マレフィセントは物語の中で「悪」から「母性的な守護者」へと立場を転じたのね。 一方で目を覆いたくなるのはヴィランとしてのステファン国王の結末よ。

彼は最後の最後まで執念深く、マレフィセントに対して敵意をむき出しにし続けた。裏切りで王座を得た彼に待っていたのは、結局のところ自業自得の最期。

ネット上では「実の父が命を落とした後のオーロラの態度」に関して意見が分かれているみたいね。子供向け映画として見れば、父を悼む描写があってもいいんじゃないかという声もあるし、逆に、彼の行いを考えれば冷淡に受け止めても仕方ないという意見もある。

確かに難しいところよね。でもママ的には、最後の最後までマレフィセントに剣を向けた彼を救い出すシナリオは考えにくい。

憎しみで突き進んだ彼に、和解や救済の余地を見つけるのはやっぱり骨が折れると思うのよ。

一方でオーロラは新しい一歩を踏み出す。妖精の国でマレフィセントからティアラを授けられるシーンは象徴的。ここで彼女は「二つの世界をつなぐ存在」として立ち位置を確立するのよね。

妖精の国の女王として受け入れられた瞬間でもあるわ。その場面では、またしても三人の妖精たちがしゃしゃり出てくる。

ノットグラス、フリットル、シスルウィットの三人。これまでの流れでも、彼女たちはどちらかといえば「いらんことしい」な立ち位置で描かれてきた。

お祝いの席でも騒がしく、肝心なところで役に立たない。マレフィセントが一瞥をくれて制するシーンには、これまでの関係性が端的に表れていたのよね。

敵対していたというよりは、単純にお互いに折り合いが悪く、彼女たちの軽率な性格がマレフィセントの苛立ちを増幅させていたのかもしれないわね。

結末を迎えた『マレフィセント』は、単なる「眠れる森の美女」の語り直しではなく、まったく新しい解釈を与えてくれる物語だった。

邪悪と呼ばれた妖精が愛によって変わり、逆に人間の王が権力と欲望に堕ちていく。この対比が本作の核心なのかな。そしてその中心にいたオーロラは、誰からも愛される存在として物語をまとめ上げ、妖精と人間の世界を結びつける架け橋となった。

まとめ|マレフィセントとステファン、裏切りと愛の物語

マレフィセントとステファンの関係は、この物語全体の軸だった。幼い頃は友情や愛情さえ感じさせた二人なのに、野心に囚われたステファンの裏切りが、彼女を闇へと突き落とした。翼を奪われた悲しみと怒りはやがて復讐へと姿を変え、オーロラへの呪いとなって現れる。「どんなに美しく優しく誰からも愛される存在であっても、真実の愛を受け取ることはない」──マレフィセントの叫びは、かつてステファンに裏切られた自分自身の心を映した言葉だったのよね。けれど物語の終わりで彼女を救ったのは、オーロラへの愛だった。ステファンは最後まで敵意をむき出しにし、自業自得の最期を迎えたけれど、その姿こそが「愛を捨てた者の行く末」を示していた。一方でマレフィセントは裏切りを超え、愛を取り戻した。その対比が、この映画をただのリメイクではなく、マレフィセントが再び愛を信じるまでの物語として観る人の心に強く残る作品に仕立てているんだと感じたわ。

今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます

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