【アニメ映画】時をかける少女 相関図!「未来で待っている」の意味を考察 芳山和子とは何者なの?

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この記事はネタバレ情報やあらすじを含みます。シリーズの他の作品含め、未視聴の方は特にご注意ください

アニメ映画版『時をかける少女』、今回は、真琴が手にしたタイムリープの力がどんな影響を生んだのか、そして真琴が魔女おばさんと呼ぶ人物が何者なのか、相関図と一緒にたどっていきます。

ラストで千昭が残した「未来で待ってる」という一言。その裏にある気持ちや、真琴が最後に選んだ“やりたいこと”の意味まで、ママなりに紐解いてみましたよ。

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目次

相関図①|Time waits for no man. 魔女おばさん芳山和子は何者

Time waits for no man. 時は誰のことも待っちゃくれないって。誰のもとでも粛々と平等に流れているっていうけど、ほんとにそうなの?

オープニング、目覚まし時計も役に立たず、朝から時間に追われる主人公の真琴。東京の下町の高校に通う2年生。彼女の名前は紺野真琴

すくなくとも、紺野家の朝食風景を見る限り、ゆったりした時間の中で過ごすお父さんと真琴の時間が同じように流れているとは考えにくいわね。

真琴のあわただしい時間の流れだと、朝の通学、踏切での大事故..なんてのも容易にイメージされてしまうじゃない。

そんな真琴が、タイムリープという特殊な力を身に着けた。

ある日の理科準備室。そこで、赤い光を灯したクルミのような物体に触れてしまうんだけど、それがタイムリープ装置だったの。

その装置に触れることで、真琴はタイムリープの能力を身に着けた。

ところで、自分の昔を振り返って、高校生って、あんな感じだったかしら。

自分が理解できないことが起こった。誰かこの人なら知ってるかもって思う人に、「私変じゃない?大丈夫?」って慌てふためいて聞いてみたりする。

考えてみたら、ママ自身には、それほどびっくりするようなことも起こったことなかったか。

でも、真琴には起こったのよね。

自転車のブレーキが利かなくなって、自分が確かに死を覚悟した。

運悪く、踏切にちょうど列車が差し掛かるその時に、暴走自転車と共に踏切を超えて投げ出されたんだから。

そのとんでもない状況を理解しようと助けを求めた女性がいたの。真琴の叔母、芳山和子

このアニメ映画の主人公真琴はこの叔母のことを魔女おばさんっていうんだけど、実はこの人物、小説版時をかける少女のなかで、タイムリープを行う主人公だったの。

ここでは小説版の詳細は触れずにおくけど、真琴がこの叔母を尋ねてきたとき、自分自身もタイムリープしたことがあると言っていたわね。

それは、そう、この芳山和子が中学3年生だった時の話。

だから、真琴の話を真正面から受け止めることができたの。受け止めるどころか、ある意味、この時点では、真琴よりタイムリープに関してははるかに詳しかったのよね。

さらに、未来から来た人との出会い、別れ、そしてそこで交わされた再会の行方とか、このタイムリープに関わると、どんなことが起こるのか、このころの真琴よりもはるかによく知っていたに違いない。

ね、相関図で見てもらえる通り、今回、主役ではないにもかかわらず、主役っぽい面構えでしょ(笑) 

でもね、このあと少し理解が難しい場面が出てくるの。

叔母にいわれて、もう一度タイムリープしてみようと川に飛び込むシーンがあったでしょ?

で、タイムリープ+テレポーテーションは成功して、ちょっと前の自宅へと小時間旅行をすることになったんだけど、家に家族が戻ってきて、「プリンは自分の!」って感じで叫んだ直後、もといた川につっこんだじゃない。

あれね、過去に行って、その時間軸の中で暮らしていくんじゃなくって、ちゃんと元の時間軸に戻るように描かれていたのよね。

どうやったら戻れるのかしら?この後つづくシーンの中に、元の時代に戻る仕組みみたいなのが描かれるのか、ここでは宿題として残るわね。

過去の自分に出会わないかとかそういう心配をしないのも、この映画がほかのタイムリープ物とちょっと違うところね。

河原で飛び込み、つかの間過去に戻り、そしてまた河原に現れ、それを目撃した少年たち曰く「一瞬消えたよね」って。

そういう感じなのね。そして、再び、実家に文字通り転がり込むシーンに移行したから、ここからしばらく描かれるのは、バックトゥザフューチャーとかでいう時間軸Bっていう感じなのかしらね。

このまま過去に居続けるつもりかしら?

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相関②|タイムリープに回数制限?

さんざんタイムリープを些細なことに使い倒した真琴。

河原の土手で、まるでこの世界の覇者のような高笑い。

叔母を尋ねた時には、おいしそうなケーキをたっくさん、いつもお世話になってるからって、高校生が自分の小遣いでやるおもてなしじゃないわよね。

「お金はつかっても、また戻ればお金は手付かずよ」って言っていたから、どうやら、元のタイムラインには全く戻るという考えや概念はないみたいね。

でも、そんなやってたら、人生ホントに長くなりそうね。

ママ的にはちょっといらぬ心配してしまうわ。

だって、遠い未来からやってきた青年があらわれるんだけど、彼は時間をさかのぼったからと言って若返るわけではなかったし。

おば様もいっていたわよね。時間は逆戻りはできない。あなたが時間を飛び越えて、過去に行くだけって。

つまり、今の調子で、繰り返し繰り返し過去に行っていたら、体は年をとっているのに、遡った過去の時間の中でその時に要求されることをやらなきゃならないってことよね。

だとすると、おばあさんになってから、高校の体育で1000メートル走れ!とか言われたりするんじゃないのって、しょうもないコト頭をよぎるわ。

でもね、タイムリープ経験者の叔母さん、米山和子はもっとまともなことを考えて、真琴に忠告するの。

あなたがいい目をしている裏で、悪い目にあっている人がいるんじゃないのって。

一瞬不安を感じる真琴だけど、一度こんなおいしい思いをすると、それを断ち切るのって大変なのよね。

「大丈夫よね、だって、またタイムリープすればいいんだもん」みたいなことを言って、タイムリープから離れようとはしないの。

でも、叔母様からの話がまるできっかけになったかのように、真琴は日常の中で、自分が望まない、目にしたくないようなことに度々遭遇するようになるの。

ここまでの真琴のタイムリープは自分の都合ばかり考えてのものだったものねえ。

自分のことばかり考えていると、ツケが回ってくるよって学びのサイクルが始まったみたいね。

いろんなことがさ、真琴が望む方向には回らなくなってきてるみたい。

何かにつけ、叔母を尋ねるのはタイムリープの経験者として頼っているのかな。

でも、この叔母、結構うけこたえがいい加減なところがあるように思うのよね。

だって、真琴が千昭に告られたといえば「つきあっちゃえばいいのに」って言ったかと思えば、真琴は功介君のことを好きなんだと思ってた。付き合っちゃえばとかそそのかしてくるし。

あげく、だからさ、うまくいかなかったら戻せばいいじゃんとかいっちゃうんだから。

でも、ちょっとネットをくってみると、小説とはタイムリープを起こす方法が違うようなのよね。

今回のように、タイムリープは回数制限付きとかじゃなかったのかな?どうなんだろ。

それにしても、真琴のタイムリープ依存がますますひどくなってる。

自分が知らないところでその影響を受け、悲しんでいる人がいるというのをしってからというもの、「私が何とかする」ってそればっかり。

でも、この映画を見ていてつくづく思うの。自分や相手の都合を考えたところで、そんな思うようにばかりは物事は展開しないのよねって。

真琴のタイムリープも裏目裏目にでてしまうの。でも、このタイムリープは、回数制限付き。

このことが、真琴にとっても深い悲しみを与えることになるの。

悲しみに打ちひしがれながら、また、魔女おばさんのところを尋ねる真琴。ここで魔女おばさんが真琴にかけた言葉、今回は「真琴は千昭とも功介とも付き合わないんだろうなって思ってた」って。

真琴が仕掛けたタイムリープは、当然だけど、全ての人に影響しているようね。

魔女おばさんの考え方というのも、真琴が新たに選んだ選択と共に、毎回書き換えられているに違いない。いや、書き換えられているんじゃなくて、別のタイムラインに存在する別人格ということかしら。

もうなんだか、わけわからなくなってきたわね。

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相関③|未来で待っているの意味は?

千昭が残した「未来で待ってる」っていう言葉について、いろんな考察がありますね。

どれも正しく思えてくるのは、この映画の設定の懐の深さなのかな。

そんな中で、ママの発想も自由に遊ばせてもらえるのがとても開放的で楽しく感じます。ママのすきかってな考察はこんな感じ。

あの河原で千昭とわかれたあの瞬間、わずか1分足らずの間。千昭が真琴に背を向けて、真琴が振り向いたときにはもう千昭はいなかった。

真琴は、千昭に伝えきれなかった思いを抱えたまま、彼との別れを迎えてしまった。

もう会えない。そんな思いが、あの千昭を追って振り向いた瞬間にこみあげたんじゃないかな。でもそこに千昭の姿はすでになかった。

そして、泣き、途方に暮れ、今しばらくはその悲しみの中をさまようしかないのかって、そんな気分になってた。

そしたら、思いがけず、千昭がまたきてくれたじゃない。

このときね、最初の別れの時にはまだ感じることができていなかった、「離れ離れになっても」実はつながっているじゃんっていう感覚が、再びその姿を見た時に一瞬の間に胸に刻み込まれたんじゃないかって思うの。

もちろん、そのあとすぐ、また姿を消すことはわかってる。実際にそうなる。

一度姿が見えなくなって、でも、すぐまた姿を見せて、それが真琴の心に光を灯したんだと思うんだけど、それがとっても大きいの。

たったそれだけのことで、離れたようにみえて、たとえ目には一瞬そう見えたとしても、実は離れていなかったんだというのを、あのわずかな時間の間に、真琴の心が学習したんじゃないかな。

そして、未来で待ってるよっていう千昭に、すぐ行く!って応える真琴

姿は見えなくなっても、またすぐ会えた、今のこの瞬間に起こったことは、この先にも起きるんだという風に信じることができたんじゃないかな。

今この瞬間は、千昭が泣いている真琴のところにやってきた。

でも、千昭が戻る世界というのは、千昭から聞く限り、人も少なくなってしまって、夕日すら見えない世界。

そんなところだけど、千昭は戻らないといけないのよね。

そんな世界に生きていたから、もしかするとあの絵を一目見たいという心境にもなったのかもしれない。

今、泣いている自分のところに戻ってきて姿を見せて、元気づけてくれたように、千昭が元の世界に戻って寂しい思いをすることがあるのなら、今、自分が慰めてもらったように、今度は千昭を自分が慰めてあげる。

そんな思いを口にして伝えようとしたとき、「すぐ行く」っていう言葉になって出てきたんじゃないかな。

もし、そうはいってもそんなことはできはしないじゃないって思ったなら、そのあとには虚しさが訪れるだけだと思うんだけど、ママ的には、この二人のつながりは、かれらがわずかな言葉で表現した通り、時間の壁を越えて繋がり続けていると思ってるの。

だから、ママにとっては、このシーンは、二人がそれに気づいたとても素晴らしいシーンとしてみることができたわ。

ママは時間というものに関しては、こんな考えをもっているの。

時間は誰にとっても平等といわれたり、いやそうではないといわれたりするわよね。

ママは、時間は、誰にとっても同じように流れているとは思っていないの。

というよりも、今一般に考えられているような時間というのは、ちょっと違うように思っているの。

心で強く思ったことって、目の前の出来事として現れることがあるわよね。

人が時間と呼んでいるものは、実は“心が生み出した像”が、ゆらぎながらも連続して目の前に現れているだけ──それを私たちは時間と呼んでいるんじゃないかな、って思うの。

よく、野球の優勝チームの人たちが「心ひとつにして頑張ってきました」とかいうじゃない?

それって、本当にそのままのことがおこっていたとおもうのよ。

周りの人に配慮して、お互いに気持ちを高め合って、心繋がった状態で生み出す”像”は、その繋がった人みんなにとって喜ばしい出来事として目の前に起こるの。

それが野球の大会なら”優勝”よね。

逆に、バラバラで、あいつ何やってんの!とかいう気持ちがチームの中に起こったら、その居心地の悪い気持ちを反映したかのような出来事が目の前に起こる。

つまりは、優勝を逃してしまうのよね。

ママがここでいいたいのは、心と心はつながり合うし、いつかどこかで、そのつながりを実際に確認できる機会が訪れるということ。

だって、心というのは”像”を生み出す力があるんだからね。

こんなことは、真琴も千昭も言葉で理解することはなかったのかもしれないけど、そんなことが起こりえるというのを実感していたんじゃないかな。

少なくとも、時間を飛び越えるという不思議な体験をしてきた二人なら、今ママが言った事なんて、何の不思議もないことだと思うんだけどね。

魔女の叔母さんが言ったみたいにね、真琴は、誰かが会いに来てくれるのを待っているタイプではない。

だから、今度は自分が会いに行くって素直に言えたの。

真琴にとって、未来というのは、単に多くの像が二人の間に立ち並んでいるだけというのを実感していたんじゃないかな。

そして、魔女の叔母さんと同じように、真琴はそれらを飛び越えてくる、彼女がタイムリープするときにジャンプしていたように、無数の像を飛び越えてくるって感じて、千昭は真琴に「待ってるよ」って、無意識のうちに言ったように感じるの。

少し余談だけど、宇宙の拡大はあるところまで行くと反転して、消滅に向かうって説があるじゃない。

ママはそれはあっていると思うの。

ただ、それは、悲劇的に消えてなくなるということではなくて、今、無尽蔵に生み出される”像”の数々、その中には憎しみだとか妬みだとかそんな思いによって生み出された像がたくさんありそうなんだけど、そこに、優しい気持ちを向けてあげると、それらは光となって消えていくらしいのね。

真琴の大ジャンプ、像を飛び越えると言ったんだけど、正確には、千昭との間に立ち並ぶ無数の像の数々に光を向けて、それら千昭との間に立ち並び隔たりとして見えているものを消し去って、千昭のもとに、今度は真琴が行くの。

ママ的にはそんなことをイメージさせてくれるエンディングだったなあって、とっても感動しました。

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相関④|真琴が選んだやりたいこととは?

真琴が功介に「実は私もやりたいこと決まったんだ」っていうのよね。

この映画を見た人の多くは、例のあの絵を、千昭の生きる時代にも残すことができるようなことをするんだって思っているみたい。

ママも、そう思うの。

二つの時代でね、別々の場所に居る人が心をつなぐって、なかなか大変だと思うのよ。だって忘れちゃうじゃない(笑)。目の前のことに追われちゃうから。

でもね、その目指すゴール、つまり、千昭と再びつながり合うという目標に向けて、それを忘れずにいるためには、その千昭のためを思って何かをすることがとっても大事だと思うの。そうすれば、わすれないでしょ?

千昭が、時間を超えてまで見たかったもの、それがあの絵だったのよね。

でも、千昭はそれを見ることなく元居た時代に帰ってしまった。

となると、真琴的にはそれ以外やることってないわよね。千昭のことを思い続けて、目の前に現れた像の数々に光を当てていくの。

すると、その像が消え去って、真琴は千昭と再びつながりを実感できる瞬間が訪れる。

まとめ|未来は待つものじゃなく、自分で迎えに行くもの  

真琴も千昭も、そして魔女おばさんも、結局みんな“誰かのことを強く思った瞬間”に未来が少しずつ変わっていくのを体験してるんだと思うの。

時間は平等って言われるけど、気持ちが動いたぶんだけ、目の前に流れてくる“像”も変わっていく。ママはそう信じてるの。

真琴が「すぐ行く!」って迷いなく言えたのも、タイムリープを繰り返して、最後に大きな別れを経験して、でもそのおかげで“ほんとうに大事なこと”に気づいたからだと思うのよね。それは、心はつながっているっていうこと。

作品を見終えたあと、ちょっと胸があったかくなるのは、きっと誰の心の中にも「会いたい人」がいるからなのかな。この映画は誰の中にもいるあの人とのつながりをもう一度思い出すきっかけになってるって考えると、とてもありがたく思えてくるわ。

…でも、プリン食べた直後に元いた時間に戻ったのはなぜって…結局わからなかった…答えはどこかにあるのかな。また探してみますね

今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。

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