映画テルマエ・ロマエ2 相関図!ケイオニウスの女癖悪さの理由とは?

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この記事はネタバレ情報やあらすじを含みます。シリーズの他の作品含め、未視聴の方は特にご注意ください。

戦いに傾いていくローマの流れと、ひたすら“癒し”を考え続けるルシウス。そのズレの中で、ケイオニウスの振る舞いも少し違って見えてくる気がするの。

この記事では、人物同士の関係をたどりながら、その違和感の正体をゆるく考えていきます。

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目次

相関図①|ローマのテルマエ技師ルシウスと“戦いを望む勢力”元老院

この作品って、どうしてもタイムスリップのインパクトに目がいきがちなんだけど、よく見ていくと「なんでこの人、ここに来るの?」っていう部分がじわじわ気になってくるのよね。

ただ偶然落ちてきてるっていうより、何かきっかけがありそうな感じがするというか。

ローマのテルマエって、もともとは人を癒す場所のはずなのに、時代が進むにつれてだんだん雰囲気が変わってきてるのよね。

派手さとか刺激とか、そういうものが求められるようになってきていて、本来の「休む場所」からちょっとズレてきている感じ。

ルシウスって、そういう変化がどうにも受け入れられないタイプで、見ているとずっとモヤモヤしてるのよ。

だからなのかもしれないけど、彼が水の中に潜るときって、ただぼーっとしてるわけじゃなくて、「どうしたらいいんだろう」って考えてるときが多い気がするのよね。

静かにしたいとか、集中したいとか、そういう状態に入ったときに、水の中に入っていく。その流れで、気づいたら別の場所に出てる。

これって、見方を変えると「考えてるときに視点が変わる」っていうことにも見えてくるのよね。

行き着く先が現代の日本の浴場っていうのも、そこにはローマにはない発想が普通にあるわけでしょ。

桶だったり、鏡だったり、ああいう何気ないものが、ルシウスからすると全部新しい。

だから彼は毎回ちょっとショックを受けるんだけど、そのショックがそのままヒントになってる感じがするのよね。「あ、こういうやり方あるんだ」っていう。

で、ここで出てくるストリジルなんだけど、今でいう石けんみたいなものがない時代に、オイルを塗ってそれを削り取るための道具だったのよね。

つまり、体をきれいにするっていう行為自体は同じなんだけど、やり方が全然違う。

そう考えると、ルシウスが驚いてるのって「文化の差」だけじゃなくて、「当たり前の違い」なのよね。

自分の中では普通だと思っていたやり方が、別の場所では全然普通じゃない。そのズレに気づく瞬間が、あのタイムスリップの中に詰まってる気がするの。

だからこの作品のタイムスリップって、ただ場所を移動してるだけじゃなくて、「考え方をずらす装置」みたいな役割もあるのかもしれないなって、見ているとそんなふうにも感じてくるのよね。

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相関②|ルシウスはなぜ日本の名湯に導かれた?──ルシウスの決断とケイオニウスの危機

このあたり見てると、ルシウスってほんとブレない人だなって思うのよね。

周りは「戦うか平和か」みたいな大きな話で動いてるのに、この人だけずっと「目の前の人どうする?」で動いてるの。

傷ついた人を癒すためのテルマエを作るっていう話なんだけど、よく考えるとこれってちょっと複雑で、その人たちを元気にした結果、また戦いに戻っていくかもしれないっていう状況でもあるのよね。

でもルシウスはそこまで考えてないというか、考え方がシンプルなの。

「今しんどそうだから、なんとかしよう」っていう、それだけ。

で、その流れの中で触れていくのが日本の温泉文化なんだけど、ローマの空気と真逆なのよね。

ローマって、戦いとか熱狂とか、どっちかというとテンションを上げていく場所が多いじゃない?

それに対して温泉って、入ったらなんか力抜けて、どうでもよくなる感じあるでしょ。

あの違いをルシウスは言葉で理解してるわけじゃないんだけど、体で感じてる感じがするのよね。

だから持ち帰っているのは、ただの技術じゃなくて、「人をゆるめる」っていう発想そのものなのかもしれないなって思えてくるの。

それと同時に見ておきたいのがケイオニウスの立場で、これまで上の方にいた人が、ここではちょっと様子が変わってくるのよね。

強い立場にいた人が、急に守られる側に回ると、一気に見え方が変わるでしょ。

「あ、この人も普通に人なんだな」ってなる感じ。

ルシウスはそういうの関係なく接するからこそ、その変化がそのまま見えてくるのよね。

偉いとか立場が上とかじゃなくて、「今どういう状態か」で見てる感じ。

こうやって見ていくと、このあたりって派手な展開があるわけじゃないんだけど、ルシウスの立ち位置がちょっと変わってきてる気がするのよね。

流れに乗せられて動く人じゃなくて、自分で「こうしたい」って動いてる感じが出てきてるというか。

気づいたら、戦いの話をしてたはずなのに、「人ってどうやって楽になるんだろう」みたいな話にすり替わってるのが、このあたりの面白いところかなって思うのよね。

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相関③|疫病とユートピア──真実(まみ)が古代に呼ばれた理由

このあたりから、ちょっと空気が変わってくるのよね。

これまでは「戦うか平和か」みたいな話だったのに、ここにきて出てくるのが疫病っていう、もう誰の力でもどうにもならない問題。

戦いなら強いとか弱いとかで何とかなるかもしれないけど、病気ってそうはいかないでしょ?

だからここで一気に、「人ってどう動くのか」がむき出しになる感じがするのよ。

ローマの人たちはローマのやり方でなんとかしようとするんだけど、それが逆に状況を悪くしてしまう可能性もある。

ここで出てくるのが真実なんだけど、この人はローマの人じゃないからこそ、「それやったらまずいよね」っていう視点を持っているのよね。

でもその“正しさ”が、そのまま伝わるわけじゃないのが難しいところで、周りから見たら何言ってるかわからない人になっちゃうの。

これってちょっとリアルで、どれだけ正しいことでも、立場とか時代が違うと受け入れてもらえないっていうのが、そのまま出てる感じがするのよね。

一方でルシウスはというと、知識で動くタイプじゃないから、真実みたいに「こうしなきゃダメ」っていう説明はできないんだけど、目の前の状況を見て「これはまずいな」っていう感覚で動く人なのよね。

この二人、やってることは違うんだけど、結果的に同じ方向を向いてる感じがして、そこがちょっと面白いところ。

それから、このあたりでケイオニウスとアントニヌスの見え方も変わってくるのよね。

これまでなんとなく軽く見えていた部分とか、ただの立場の違いに見えていたものが、「あれ、この人ちゃんと考えてる人かも?」って感じに変わってくる瞬間があるの。

病気って、ある意味でごまかしが効かないじゃない?そういう状況になったときに、その人がどう動くかで、本当の部分が見えてくる感じがするのよね。

ここで描かれているのって、派手な展開というよりは、「違う考え方を持っている人たちが、同じ問題にどう向き合うか」っていう話に近い気がするの。だから見方を変えると、このあたりってけっこうじわっとくる部分なのよね。

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相関④|ケイオニウスの女癖の悪さの理由とは

ケイオニウスって、これまで見ていると「とにかく女好きで軽い人」っていう印象が強かったと思うんだけど、今回の流れを見ていると、それだけで片付けていい人物じゃないのかもしれないなって思えてくるのよね。

だって、あれだけ皇帝のそばにいて、次の皇帝になる立場にまで上り詰めた人でしょ?

それなのに、ああいう振る舞いばかりしているって、ちょっと不自然な気もしてくるのよ。

もしかしたらなんだけど、自分が「どうあるべきか」っていうプレッシャーが強すぎて、それを外に逃がしていただけなんじゃないかなって感じたの。

皇帝の養子で、次期皇帝って言われていたら、ちゃんとしなきゃいけないっていう気持ちは当然あると思うし、周りからもそう見られているはずよね。

でも、その“ちゃんとした自分”と、もともとの自分との間にズレがあったとしたら、そのままではしんどいはずなのよ。

だからこそ、あえて軽く振る舞ったり、女遊びをしたりして、「そういう自分」を演じていた部分もあったんじゃないかなって思えてくるのよね。

しかもそこに、家の問題とか、血筋とか、後継とか、そういう逃げられない話が絡んでいたとしたら、なおさら複雑になるわよね。

そして今回、そのケイオニウスが弱っていくことで、それまで見えていた“役割としての顔”が一気に崩れていくのよね。

そうなると、今まで軽く見えていた部分の奥にあったものが、じわっと見えてくる感じがするの。

ここで印象が変わるのがアントニヌスとの関係で、これまで対立しているように見えていた二人が、実はそう単純じゃなかったんじゃないかって思えてくるのよね。

むしろ、アントニヌスの方が一歩引いたところからケイオニウスを見ていたというか、ちゃんと理解していたようにも見えるの。

こうやって見ていくと、ケイオニウスって“軽い人”じゃなくて、“無理してた人”だったのかもしれないなって、ちょっと見え方が変わってくるのよね。

その中でルシウスは相変わらずで、誰が偉いとか、どんな立場とか関係なく、「目の前の人をどうするか」だけで動いている。

このブレなさが、結果的に周りの関係を少しずつ変えていく感じがするのよ。

今回のこの流れって、出来事としては大きく動いているんだけど、見ているとだんだん「人ってどうやって自分を保ってるんだろう」みたいな話に変わってきてる気がするのよね。そこがこのあたりの面白いところかなって思うの。

まとめ|ローマに“平和”をもたらしたのは、テルマエと人の想い

戦いに進もうとする流れの中で、それでもルシウスはずっと“癒すこと”を選び続けていたし、ケイオニウスの見え方も、少しだけ変わって見えてくる部分があった気がするの。

笑いながら見ていたはずなのに、気づいたら人の在り方みたいなところに触れている感じ。そこがこの作品の面白さなのかもしれないわね。

今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。

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