人って、誰かの言葉や優しさに触れた瞬間に、心がふっと明るくなることってありますよねえ。「愛唄 -約束のナクヒト-」は、そんな“灯る気持ち”が透と凪と龍也のあいだに広がっていく物語でした。
余命を知らされた透、詩が書けなくなった凪、そして不思議なくらい強い龍也。三人が出会うことで、ただの恋でも友情でもない“心の光”みたいなものが生まれていくのよね。
凪が示したKの公式のように、気持ちは寄り添うほどに無限に広がっていく——そんなテーマを、今回は相関図と一緒にまとめてみましたよ。
相関図①|龍也のあの強さ、どこからきてるの?

主人公の野宮透。お父さんを早くに無くしているようで、母と二人。とはいっても、透は一人暮らしをする会社員。
ある日、会社で受診した健康診断結果に驚くところから物語が始まるの。
冒頭からショッキングなシーンの連続。とはいっても、3回観て、それでもわかっていないことがたくさんあって、ネットでググって、ようやく飲み込めた。
まあ、ちょっとママの目は節穴かって言われてもしょうがないような見落としばかりだったんだけど。
冒頭シーンで、男性が点滴を受けていて、左腕には星のカタチのタトゥー。手元には、なんかこのドラマの中で何度も見た覚えのある携帯にカウントタイマー。
シーンは間もなく透の余命宣告につながるもんだから、病院ベッドでの投薬シーンから過去を回想しているものだとばかり思ってしまったんだけど….
それにしても、龍也が透に出会い、余命宣告を受けていることを知ってからの彼の対応はすごかった。
例のね、カウントダウンのアプリを透の携帯にセットして手渡すの。でも渡された方の透はたまったもんじゃない。
「人の命バカにすんなよ」って怒りをあらわにするんだけど、「バカにしてんのはお前だよ!」って、一瞬の間もなく怒鳴り返すの。
えっ??、何この子、余命宣告されて、まだ心の整理どころではない状態の透の叫びを一瞬で押し返すって、そんなの無理でしょって思ったんだけど、彼にそれができたのには理由があった。。。
それが4回目見てようやくわかったの。実はね、このブログ記事、この後につづっている内容は、龍也が何者なのかを理解できていないときにつづったもの。
ここでは、あえて、その記述を残して、記述を続けますね。
愛川比呂乃が落とした「K」という詩集を透がたまたま道端で拾ったところから、透との比呂乃、二人の出会いが描かれるの。
比呂乃は以前、ドラマの共演者からのいじめをうけ、その時、この詩集に出会い心支えられていたというの。
彼女がその詩集に共感していたのは、「どんな日常も夢中でいられる」というその作者の思い。
そんな思いをすごいなあと思いながら、自分の心の支えにしていたのね。
でもね、その詩集を出した頃の作者の思いというのは、どうやら完全に人を支え切れるものではなかったみたい。
どんなときにも夢中になれるっていうと、確かにすごいなあ、そうありたいなあとか思うのかもしれないけど、いずれそのこと自体が虚しく思えてくる。
その詩集を書いた作者自身がそうなっていたんじゃないかな。
作者は伊藤凪。このあと、透と出会うことになる少女。凪の年齢は明らかではないけど、おそらく18歳くらいといっていいのかな。
彼女がそのころ伝えていた、「どんなときにも夢中になれる」っていう言葉、それは、息をしていることすら忘れてしまう日常を言葉にしたようね。
確かに、多くの人にとって、息をしていることを意識している時間というのはあまりないのかもしれない。
それはなぜかというと、凪が言うように、目に見えたり聞こえてきたりする音に意識を集中しているからよね。
それを夢中という言葉にすれば、響きは確かにいいんだけど、実際には、周りに起こることといえば苦労の連続だったりする。
その間も、確かに呼吸のこととかは忘れているから、間違いではないのよね。
でも、凪は、そのようにかんがえることで日常を生きているって思い込もうとしていたんじゃないかな。
周りに起こることというのは、いいように考えようとしても、頑張ってそういう風に思い込まなければ、ありがたい日常だななどと決して思えるものではない。
きっと、凪は、この考え方に疲れちゃったのかもしれないわね。
比呂乃も、もしかすると、その言葉や考え方が、幸せに生きるということに対して不完全だったせいで、いつまでも支えとするだけで、次の一歩を踏み出すまでには至らなかったのかもしれないわね。
相関図②|生きるって何なんだよ
このお話って、GreeeeNのメンバーに関わる出来事から着想を得ている、という記述がネット上で見られたの。
どの部分が実話なのかとか、ママにとっては確かめようもないんだけど。
でも、一度そういう話を耳にしてしまうと、全部が実話というわけではないにしても、「本当にこんな思いをした人がいるんだ…」って、それだけで圧倒されてしまった。
実話ベースだと知ったことも相まって、考えさせられる部分がたくさんあったの。
些細なところでは、なんで、愛川比呂乃との間にはご縁が整わなかったのかな、なんてどうでもいいところまで気になったりして。
愛川比呂乃は、トオルが凪に出会うためのきっかけになってくれたんだけど、何度か映画を見返しているうちに、少し感じるものがあったの。
愛川比呂乃は自分がなりたいものに目を奪われていた。つまり、自分の周りに見える人や物、その中に自分自身を並べて置いてみたかった。
こんな風に見える自分になりたい、こんな風に見てもらいたい。
言葉が悪いけど、まだ、人からどういうふうに見てもらいたいとかいう、自分の願望のステージで生きていた人なんじゃないかなって思うの。
でも、凪はもうそのレベルにはいなかった。
透が一瞬、比呂乃の手を握ろう、いや、握りたいなと感じた瞬間が描かれていた。
でも、その思いは、空をきったの。
ママが感じたのはね、透が手を伸ばしたのって、ただ触れたいというよりも、心がもう一歩そばに寄れるんじゃないかって思ったからなんじゃないかな、ということなの。
でも、比呂乃はお互いに心通わせる準備はできていなかった。
比呂乃はあの瞬間、こうなりたい自分に意識が向いていた。その二人が、接触することはないんだと思う。
も、凪は違う。凪は生きている意味を体にはもとめなかった。
病院でね、緩和ケアを勧められた帰り、透は龍也に出会った。出会ったというよりも、龍也が透を気遣い病院までわざわざ来てくれてたの。
龍也は透に比呂乃との進捗を尋ねたり、今の透の気持ちを確かめようと質問を繰り返したの。
でも、透はたった今、改めて自分の命のタイムリミットを医者に宣告されたばかり。
今、生きていることを謳歌してほしいと願うような龍也の言葉に、いら立った透は「じゃ、生きるってなんなんだよ」声をあらげた。
残り3カ月しかない自分が恋をして、それを伝えられた相手はどうなるんだってジレンマよね。
龍也が透に言った言葉は「まだ生きてんじゃん」。ママはこの言葉にはちゃんとした意味があったと思う。
だけど、それを20代の若者が、あの状況で相手に伝えきるのって、そりゃ無理というものよね。
でも、この龍也って子、ほんとにすごいイカした男の子だと思った。
龍也が言葉にできなかった思い、ママ的に代弁するとこんな感じ。
人って、その先のことを考えて、望みをもったり不安をもったり色々するじゃない?
でもね、ママはね、全てのことは、今その瞬間に完結しているんだと思うの。
生まれてきて、生きていく目的って何?って、さんざん考えたこともある。
いろんな書物も読み漁った。たどり着いた結論があるの。これはママにとっては明確な結論だった。
生まれてきた目的というのは、自分の前に現れた人の心に、光を灯してあげること。
書物が教えてくれたのは、一度灯してあげた光というのは、その人の心の中で消えることはないということ。
目の前に新たに起こる様々な出来事に翻弄されて、一度灯したかに思えた光が消えてしまったように思えることがある。
でも、そのときでも、ほんの一時その光は消えてしまったように錯覚するだけで、一度灯った心の中の光は消して消えることはないというの。
でもね、もちろんその光というのは、一つや二つじゃ足りないの。いくつもいくつも光を灯し続けて、ようやく人は、心というものがそこにあることが理解できるようになるの。
真っ暗闇の心を、この世界からそこにあると見つけ出すことはほとんど不可能。
その人のその真っ暗闇の心に、小さくてもいいから、灯をひとつ、またひとつって、灯していってあげるの。
残された時間がたとえ3か月であったとしても、周りの人の心に永続する光を灯してあげるという作業は無駄には終わらない。
3か月を精いっぱいに生きるというのは、そう、自分の目の前に現れた人の心の中に光を灯して揚げ続けるということ。
そういったことを、書物を通して教えてもらったんだけど、この話のいいところはね、相手に光を灯してあげると、それは自分の心の中も同じように灯してくれるの。
心がね、すこし、温かく感じるの。
そのとき、不安だとか恐れだとか、そういったものも少し遠のいていく。
自分自身に安心が近づいてくるのを感じるの。
龍也はね、こんな言葉がつらつらとでてくるようなお歳ではなかった。
でも、直感的に、そういったことを感じていたんじゃないかな。
だから、余命3ヶ月を宣告されたと知ったその人に、知ったその瞬間から寄り添おうとすることができたんじゃないかな。
普通、できないと思うの。
自分自身がその重さや暗さ、苦しさにのまれてしまいそうになるから。
でも、龍也はね、そんな先のことを考えず、今、目の前に現れた人の心に光を灯してあげようと必死になった。
カラオケで歌って騒いだからといって、癒されることは微塵もない。
彼女と手を繋いだからといって、寂しさや虚しさや不安から逃れられるわけではない。
龍也が、何とかやろうとしたことなんて、ほとんど的外れなことばかり。
でも、それは何でもよかったんだと思うの。
一番大切なのは、透をなんとか元気づけてあげたいって真剣に透のことを考えていたこと。
実はね、心に光を灯す作業というのは、この目に見える世界で行ったり、行われたりするわけではないの。
誰かのためにって思ったときに、目に見えないところでそんな力が働いているっていう話。
本で学んだんだけど、ママ的にはいい話だなって感じたわ。
そして、今度はね、透が凪の心に光を灯してあげようとしだすの。
凪が入院している病院の屋上のようなところで、飛んでいく飛行機を遠くに目で追っていた。
いつも、頑張って、なんとか気持ちをたもとうとしていた凪だけど、やっぱり不安や寂しさに心をもっていかれてしまうことはある。
透はその姿をみてしまった。
透は、書店によって凪が喜びそうなパズルの本を手に取っていたの。
その時の透の顔は、病院で余命を聞かされてからというもの、見せたことのないやさしい笑顔。
いや、それ以前でもこのような笑顔はなかったんじゃないかな。
きっとね、この笑顔が生きているっていう証じゃないかなと思うの。
凪のことを思って、凪を喜ばせることを考えて、そうしている瞬間には恐れや不安が遠のいていたんだと思うの。
これはね、ただ単にママが思っていることではないと思うの。
だって、今見ている映画はお芝居。でも、あの瞬間、あの時、透が何を考えていたのかをじっくり考えて生み出された表情があの柔らかな笑顔だったと思うのよね。
ママはそれを書物の中で学んだけど、それは、ほかの人たちの中でも理解されている普遍の真理なのねって、改めて確信したわ。
相関③|凪の心がざわついた理由と、再び詩を書けた理由
凪は、Kという本を出して以来、詩を書くことができなくなっていたの。
なんか、心がざわついて、詩がでてこないって。
なんでかなって考えてたんだけど、何かこんな考えが浮かんできたの。
本を出したことによって、ご両親がね、凪の心の中を覗き込んでしまう結果になってしまった。
凪は、あの本を書いていた頃、明らかにその先に迫る死というものを意識していたと思うの。
でも、それに向き合うことで、それを乗り越えようとしていたのがあの頃だったんじゃないかな。
ご両親はね、自分たちの最愛の娘が、死と向き合って生きているということにとても悲しんだと思うの。
凪の心がざわついたのは、ご両親のそういった不安や心配が伝わってきたことや、自分自身、生きる意味を一生懸命言葉にしてきたけど、それが的を得ていなかったせいで心が疲れてしまったのかも。
凪は、子供たちとボールを投げ、積極的に病院のロビーにも顔を出し、病人らしくない態度を一生懸命とろうとしていたわ。
でもね、それは、凪自身、気を紛らわせようとしていることに気づいていたんじゃないかと思うの。
凪は病気になってからというもの、周りには、凪のことを想い、心配してくれる人であふれていた。
でも、心配する心は、心配で不安な気持ちを伝えてくるものなの。自分の周りに不安でいっぱいな人がいたら、こっちまで不安になるって、そういうの誰でも経験しているわ。
心ってそんなところがあるのよね。
でも、凪は、透に出会って、心のざわつきがなくなって、詩が書けるようになった。
これはね、書物の力を借りて説明するなら、透が凪のことを、心配ではなくて、純粋に大切に思って、今、笑っている凪のことを考えていたから。
朝日が昇るところを見せるんだっていっていたでしょ。
そのとき、透の心には、朝日を見て、希望にあふれている凪の顔が思い浮んでいたと思うの。
笑っていたり、微笑んだりしている凪の顔をね。
ご両親は、凪のことがとても大切だったけど、凪のことについては、きっと、心配ばかりしていたんじゃないかなって思うの。
これは、もちろん責めているんじゃないの。普通そうなっちゃう。
でも、そこに、透という奇跡を起こせる人が現れたの。奇跡を起こすと言ってもね、やろうと思えば何とかできるレベルのことを、理由は知らないけどできる人だったということ。
心配するんじゃなくて、その人が喜んでいるところを一生懸命に考えよって。
そしたらね、凪の心に光が灯ったの。その光、真っ暗闇だった心の中に灯った、たった一つの小さな灯りだったのかもしれない。
でもね、光は、小さくても、闇に打ち勝つのよ。
そして一度灯った光は消えることがない。もちろん、心の中をすべて光にするためには、もっともっと、たくさんの光を灯して、そこに心があるというのが見えるようにならないとだめよね。
みんなそれが見えないから、「死」というものの方に目を奪われてしまうのよね。
心といのが見え始めると、だんだんそれは体とは無関係のものなんだというのが感じられるようになってくるの。
凪はね、まだおさないから、そこまでを言葉にすることはできなかったかもしれないけど、彼女は、心の中の光をみて、そして、安らぎを感じていたと思うの。
その思いというのが、あの朝日をみながら透の肩に寄り添ったあの時の情景として描かれたんじゃないかな。
龍也が透に手渡した90日のカウントが、今、0になろうとしていた。でも、まだ生きている。
この少し前、透は龍也とともに、凪が透に投げかけた公式のことを考えていた。
二人の一体感が高まれば高まるほど、二人の気持ちは大きく羽ばたいていける。
そう、近頃の凪は、明確に答えが示される数学が好きなの。
言葉のようにぼんやりしたものではなく、ハッキリと答えを見せてくれる数学の問題。
凪にとって、ぼんやりとしていたものが数学の公式に表したことで、明確な答えとなっていたの。
近づけば近づくほどに、二人の気持ちは無限大に大きくなり、無限の可能性の中を羽ばたいていけるって。
きっとね、物理的な距離の話ではない。相手の心が明るく晴れ渡ってくれたらいいなと願うこと。そして、その思いは、行動につながることもあるのよね。
透は、自分の命のカウントが0になったその足で、凪の病室に向かったの。
生きている間は、どうしても体のことも考えるから、もう1秒たりとも無駄にはできないという思いだったのかもしれないわね。
体がまだ動くその間に。だってね、いくら、相手を思って気持ちさえ寄せればっていったって、まだこの体があるうちは、目に見える証拠が欲しいのよね。
自分の目で、目の前で、凪が微笑んでくれるところを見たいのよね。
きっとね、心の中で思うだけでも、透の心自体安らぎを得ることができると思うの。
でも、今は、まだその目で確認したいって思うのよね。
ママにとってはね、それが生きるってことじゃないかなって思うの。
相手の幸せを願ってね、そして、運がよければ、その相手が笑っているところをこの目でしっかりと確認させてもらえる。
そんなことの繰り返しが、この体で生きるってことじゃないのかな。
凪は、心の底から幸せを願いたくなる相手、透を得たの。
透へのその思いが、凪に新たな詩となる言葉を生み出させたんだと思う。
お母さんが凪のノートを目にしたとき、そこに凪が失っていた言葉が再び書き連ねられているのを目にしたの。
それは、凪が心を寄せる存在がそこに現れたことを母に感じ取らせたんじゃないかな。
その夜、透は凪のいる病室にやってきた。添い寝をしていたお母さんがそれに気づいて、とても動揺したんだけど、凪が透と一緒に出ていくことを認めたの。
最初は、透の事情も知って、「時間を大切にして」と、透が凪を連れ出すのを引き留めようとした。
でも、透が「時間を大切にしています」と凪の母に伝えたことで、母にも何かが伝わったのかもしれないわね。
大切にできる時間というのは、今この時点にしかない。
今この瞬間、凪の笑顔を思っているその気持ちこそが、時間を大切にするということだったのよね。
そして、その気持ちは、凪の希望であった朝日を見に行くという行動になって現れたの。
透のこの想いはね、きっと神様がちゃんと受け取ってくれて、「透の気持ちはちゃんと凪に届いているよ」っていう証として、凪のあの笑顔で返してくれたんじゃないかなって思うの。
その奇跡は、もうその瞬間に始まっていたみたいね。
お母さんに「そのカッコじゃ行けないでしょ」って、凪に外出着を手渡す勇気を与えてくれた。
母は笑顔をもってその上着を凪に手渡すことができたの。
相関④|龍也の「正体」とラストに届く凪の言葉
凪の書いた詩を龍也が歌にして透に聞かせてくれることになった。
その歌は、正式にリリースされて配信されることになったみたい。
その歌は愛川比呂乃のもとにも届いたの。
撮影現場での愛川比呂乃、むかしのトラウマはまだ克服できていないのかな。ちょっと浮かぬ顔で一人台本を読んでいた。
そこに共演者のような男性が現れて、凪の詩が歌になってるって聞かせてくれるの。以前の詩集Kとはちょっと違うんだって言いながら。
比呂乃は涙を浮かべながらその歌を聞いていた。
凪の「K」も比呂乃の心の支えになっていたみたいだけど、今度の詩、龍也の唄にのって届けられたその詩は、Kとはまた違った勇気を比呂乃の胸に届けたのかもしれないわね。
比呂乃の笑みがそんな風に言っているように見えた。
透は、達也が目の前でそれを歌って聞かせてくれて、龍也の顔にも同じような光が輝いたように感じた。
エンディング近くで映し出された龍也の左腕にタトゥー。
オープニング間もなくのシーンで、投薬を受けながら片手に携帯とカウントダウンタイマー。
ママは、その腕にタトゥーがあることを完全に見落としていたの。
なるほど、あまりの見落としと、そこでわかった事実に改めて大きなショックを受けてしまうんだけど、龍也のあの強さは、そうだったのね。
そうと知って、また映画を見直すと、また違った意味で泣けてくる場面が山ほど出てきた。
まとめ|凪が透に贈った“心の公式”の意味
凪は「K(きもち)」というのを、i(凪)とy(透)が近づけば近づくほどKが無限大に大きくなっていくという公式で表したの。心と心が通じ合えば合うほどに、二人の気持ちは明るく光り輝く。
心と心はつながってはいるけど、決して同化するものではなくて、お互いに影響を与え続けることができる存在なのよね。
今は、お互いの存在を確かめるためにそばにいて、顔も見たい…そんな人間らしい気持ちが見え隠れしているけど、気持ち(心)というのは肉体とは別にあって、寄り添えば寄り添うほどに、その心は無限に輝きだす——そのことを、凪はあの公式で明確にしようとしたんじゃないかなって思うの。
いつまでも、透と凪の心、それに二人の関係を受け入れたご両親の心は、互いにつながり合いながら、この目には見えないところで輝き続けていくんだろうなって、私はそう感じています。
今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。


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