隻眼の残像 リモコンの意味と毛利小五郎的生き方【名探偵コナン】

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リモコンの意味考察を色々拝見して、でも、ママが感じたままを代弁してくれる記事がみつからなかったので、ちょっと書いてみることにしました。

とはいっても、コナン、それも、毛利小五郎さんのことをまだよく理解していない新参者が、今回の映画を観て感じたこととしてご理解いただけるとありがたいです。

リモコンのシーンは、オープニングとエンディングの両方に描かれていて、多くの人がそこに何かを感じるのは確かだと思うの。

きっと、エンディングの方を見た時に、何か感じることが多いんじゃないかなって勝手に思ってるんだけど、私はこんな風に感じたの。

毛利小五郎さんが、一件落着、家に帰ってきて、「あ、そういえば、リモコンさがしておかなきゃな」って思いながら、リモコン探してる姿があまりイメージできなかったの。

今回の事件で、いろいろ思うところがあっただろうから、そんなこともあって、探してみる気になったという風にも考えてみるんだけど、

ママレベルの小五郎さんに対する理解だと、「あのおっちゃんが、気を改めて、わざわざリモコンなんて探すかな?」

この背景にはね、オープニングでお酒飲んで机に突っ伏して、コナン君が「探した方がいいよ」とか言ってるのに、うっせえや的反応を示す小五郎さんのイメージが焼付いてるっていうのがあるのかもなんだけど。

もちろん、そんなことを言いながらも彼はやるのよ…的な一面を持っているっていう情報もいっぱいあるのでね、そういう風にイメージしてみようとも思った。

でも、やっぱり難しくて、ママの頭の中のイメージは、家に戻ってきたときに、思いがけず、どこかの隙間みたいなところに挟まっていたところ、たまたま手が触れて、

「なんだ、こんなとこにあったのかよ。けっ」って言いながら、テーブルの上にポンと放り出し、それはもうそれっきりで、鳥取に旅立った…

こんな情景が一番しっくりくるのよね。

でも、オープニングとエンディングに描かれるわけだから、何かしらの意味があるはず。

ということで、その小五郎さんからママは何を感じるかと言えば、やっぱり「執着しない心」ってやつかなって思うの。

映画のテーマとまではいかなくても、執着する心、しない心、そのそれぞれが描かれていたのは確かだと思うし。

ママ的には、小五郎さん的生き方は「執着しない生き方」として学ぶところありと見たの。

携帯のアプリで代用!大いに結構!っていうのが小五郎さん。

小五郎さんが、オープニングで、リモコンを一生懸命に探して、探して..ってやってたとしたら、エンディングで思いがけず、それが目の前に現れることはなかったんじゃないのかなって感じるの。

これは、普段の中でもよく経験することよね。忘れかけた頃にでてくるって。執着をなくしたときに出てくるのよね。

さて、この映画の中で、執着し続けた人、執着してたけど途中で意識して気持ちの持っていきばを変えようとした人、そもそもはなから執着なんかしていなかった人(例えば、敢助。由衣への想いというか愛)

執着というのは、欲しい欲しいという気持ちじゃないのかな。一方で、敢助は欲しいというよりは、愛を注いでいた。執着とは違うものよね。

敢助は由衣のことを大切に思い、でも由衣を手に入れようとしていたわけでもなく、“欲しい”という気持ちとは違うものをもっていた。

だから、由衣が自分の気持ちをちょっと敢助に伝えようとしたとき、敢助はポカンとした顔になったんじゃないかなとも思う。

愛は与えるもので、執着は奪い取ろうとするもの。敢助は由衣に対しては純粋な愛を差し出していたのかもしれないわね。

話し戻して、小五郎さんがね、ワニがなくなって、長野に向かおうとしたとき、コナン君に「遊びじゃねえんだ」とか言ってた。

あれはあれでかっこいい場面でもあったとは思うんだけど、ママ的には、あまり惹かれるものがない態度だった。

あの時はね、小五郎さんの心の中に穴が開いてて、その穴を埋めたくて必死だったと思うの。

でもそれは、やっぱり、心の穴を埋めたいっていう“欲しがる”気持ち“執着”が態度に出ているように見えた。だから、正直、なんだかあの粗野な態度が受け入れられなかった。

でも後半になって、吹っ飛んだコナン君を受け止めたりだとか、小五郎さんの言動の中に、“与える”マインドが見えだして、そういったところはホントにかっこよかった。

小五郎さんは、鮫谷さんを奪われた形になった。もちろん仇をとってやるとか、一時は奪われたものを奪い返すことはできないけども、そのぽっかり空いた穴を何かで埋めようと躍起になってた。

でも、そこで、何をやろうとも、そのぽっかり空いた穴は埋まることはなかったはず。

でも、最後に、小五郎さんは、鮫谷さんがなくなってまだ日が浅いにもかかわらず、夜空の雲の切れ間から小五郎さんを覗き込むように輝いていた星を見ながら、

ワニ、見てたかって、にこやかな顔になれたのよね。

この時、小五郎さんがやったことっていうのは、仇討ちではなかったと思うの。彼は鮫谷さんが言っていた、お前が撃つところをまた見てみたいとか言っていた希望を叶え、与えていたのよね。

誰かのことを思って、与えるところに、光が差し込んでくるというのが、映画のストーリーの中で示されたようにも感じたわ。

だって、小五郎さんが味わった悲劇からあれだけの短時間で、その鮫谷さんを想いながら笑顔になれるんだから、これってキセキでしょ。

真希さんのお父さんは、時間はかかったけど、鷲頭(大友)の想いに自分の気持ちを振り向けてた。まだ、完全に赦せたわけではないんだろうけど、なんとか許そうとしていたのよね。

これも、執着を解き放とうとしてる心の状態よね。

一方で、林は、自分が失ったものへの執着から逃れることができなかった。その林には、公安から、さらなる試練、司法取引を持ち掛けられる羽目に。執着から逃れられない限り、この状態を脱することができないんだって。

映画を観て心に浮かんだのは、明日から誰かのことを許さないなんてことはもうやめよう!って思いだった。

ママの目に映ったリモコンっていうのは、身の回りにある執着の対象。気が付かないところで、あんなところ、あんなものにまで執着してたんだって。

携帯アプリで代用できるよとか言われたって、執着してるんだから、そんなものでは満足できないのよね。

リモコンは、このドラマの中では、ママの中では“執着心の象徴”だった。

実際我が家のリモコンがなくなったとしたら、きっと必死で探してるんだと思う。なんかあれじゃなきゃいやなのよね。ちゃんとテレビや録画機器に付属したあれじゃないと。

テレビのリモコンに無意識に執着してるマインドと、人を失ったその悲しみをもち続けることを横並びに語ることは、さすがにはばかられる。

でも、それでも、その悲しみを抱え続けて、さらに、その向こう側にいた誰かのことを恨み続けて、その先には何があるのか..っていうのをちょっと考えさせられるような物語を見せてくれたような気がした。

小五郎さんのリモコンから、いろんなこと感じ取れると思うんだけど、こんな風なことを感じる人もいるんだくらいのことで、ちょっとお話してみました。

今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。

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