空を飛ぶ豚――ちょっと変わった主人公・ポルコ・ロッソが活躍する『紅の豚』。舞台はイタリア・アドリア海、空賊とのドッグファイトや恋のかけひきもあって、まさに“大人のジブリ”という雰囲気ですよね。
この記事では、そんな『紅の豚』のキャラクターたちを【相関図】でわかりやすく整理しながら、ジーナやフィオとの関係、物語の流れも解説していきます。映画を観たことがある人も、もう一度“ポルコの生き方”に触れてみませんか?
相関図1|ポルコ・ロッソと空賊たちの関係
ポルコ ジーナ マンマユート団 空賊連合の相関

- ポルコ・ロッソ(マルコ・パゴット):元イタリア空軍のエースパイロット。今は自ら“豚”の姿となって空を飛ぶ賞金稼ぎ。空賊たちから恐れられる存在。
- マンマユート・ボス:空賊団「マンマユート」の首領。悪党だがどこか憎めない一面もあり、ポルコには何度もやられている。
- 空賊連合:アドリア海一帯を荒らす空賊ギルド。いざという時は結束し、敵であるポルコに立ち向かう。
- ジーナ:ホテル・アドリアーノの女主人。ポルコの幼なじみであり、空賊たちのマドンナでもある。
昔むかし…じゃないけれど、第一次世界大戦が終わってしばらくのアドリア海は、それはもう空賊たちが好き勝手に飛び回っていた時代。お宝を狙って飛行艇で空から襲う荒くれ者たちがうようよしてて、まるで空の西部劇。だけど、そんな彼らの天敵がいたんです――それがポルコ・ロッソ。
真っ赤な飛行艇に乗った豚の賞金稼ぎ。元は軍のエースパイロットで、本名はマルコ・パゴット。ジーナや旧友フェラーリンのような親しい仲間だけが「マルコ」と呼び、ピッコロ一族のおばあちゃんたちからは「ポルチェリーノ」なんて愛称で呼ばれているんです。ちなみにこの「ポルチェリーノ(Porcellino)」はイタリア語で“子豚ちゃん”って意味。
要するに、“可愛いブタちゃん”って感じで、皮肉というよりむしろ愛情たっぷりの呼び名。そんなふうに呼ばれるポルコは、表向きはぶっきらぼうだけど、根っこにはちゃんと人との繋がりが残ってるんだなぁって感じますよね。
でも空賊たちにとっては「ポルコ・ロッソ」――恐怖と伝説の象徴。女たちにはなぜかモテるけれど、男たちには厄介な相手。彼の仕事ぶりは超一流で、空賊を叩きのめしても決して命は奪わない。
戦いながらも守るべき一線を決して越えないところに、彼の誇りがあるんですね。そんなポルコに立ち向かおうとするのが、マンマユート団や空賊連合。
荒っぽくて直情的なマンマユート・ボス率いる一味や、寄り合い所帯の空賊たちが力を合わせても、なかなか歯が立たない。それでも、みんなが頭が上がらないのがジーナの存在。アドリア海に浮かぶホテル・アドリアーノを経営し、かつては飛行艇乗りたちの妻でもあったジーナは、空賊たちのマドンナであり、心のよりどころ。
ポルコにとっても、きっと特別な存在。でも彼女に対しても、彼は一歩引いたまま…その距離感にも、自由を選んだ彼の生き方が表れているような気がしますね。
相関図2|フィオとポルコの絆が生まれた修理工場

🌟登場人物と関係性
- フィオ・ピッコロ:17歳の飛行艇設計士。アメリカ帰りの天才少女。ポルコから最初は信用されなかったが、やがて信頼される相棒へ。
- ピッコロのおやじ:フィオの祖父で、ピッコロ社の社長。ポルコの古い仲間。機体のエンジン調整を担当。
- ピッコロ一族のおばあちゃんたち:戦中の男手不足を補うため、親戚中から集まってきた女性職人集団。ポルコを「ポルチェリーノ」と呼び、可愛がる。
- ポルコ・ロッソ(マルコ):飛行艇の再設計をフィオに託すが、最初は「女の子に任せて大丈夫か」と不安に思っていた。
ミラノの運河沿いにひっそり佇む飛行艇工場――それがポルコが頼った、かつての仲間「ピッコロ社」。古い機体「サボイアS.21」がカーチスとの空戦でほぼ全壊し、彼は信頼できる整備チームを求めてミラノへと飛んだんですね。
そこに現れたのが、なんと17歳の女の子、フィオ・ピッコロ。彼女はピッコロのおやじの孫娘で、飛行機設計にかけては筋金入り。アメリカ帰りの実力者で、頭の回転も早ければ度胸もある。その才能にピッコロのおやじも太鼓判。
でもポルコは最初「若すぎる」「女だし」って完全に警戒してたんですよね~。だけど、設計図に現れた緻密な計算と職人技に心を動かされ、やがて信頼するようになる。そして再設計チームに集まったのは、出稼ぎで男手が足りないピッコロ家の“おばあちゃん職人軍団”!親戚中から集まってきたのイタリアのおばあちゃんたちが、「ポルチェリーノ~」って言いながら、笑顔で機体を組み立ててくんです。
もうね、この工場があったかすぎて、心にグッときちゃう。ポルコの無骨な心にも、ちょっとずつ何かが灯っていったのかもしれませんね。
そしてこのとき出会ったフィオは、ただの設計士じゃなくて、彼の“心”に入り込む存在になっていくんです。まだこの時点では、お互いに距離感もあるけれど――このシーンが、二人の関係の始まり。そして、ポルコにとって「誰かと手を取り合って何かを作る」って感覚を、久しぶりに思い出すきっかけでもあったんじゃないかな。
そんな二人の“言葉のやりとり”も、本当に味わい深くて…。名セリフをまとめたこちらの記事もぜひどうぞ。

📦豆知識|サボイアS.21って実在したの?
ポルコが乗る「サボイアS.21」は、映画『紅の豚』を象徴する愛機。実在した「サヴォイアS.21」というイタリアの複葉水上機もありますが、映画に登場する機体とは別物。映画のS.21は、宮崎駿監督がかつて見た飛行艇の印象をもとに、創作されたオリジナルデザインなんだそうです。ネット上では「マッキ M.33」という実機がモデルではないかという説が有力で、実際にそれに近い外観になっているとも言われています。プラモデルなどでも“サボイアS.21”として発売されており、ファンにとっても親しまれている特別な飛行艇ですね。
相関図3|フィオの機転と空賊との交渉|ポルコとカーチス再戦の舞台裏

🌟登場人物と関係性
- フィオ・ピッコロ:ポルコの新機体と共にアジトへ同行。空賊たちに説教をかまし、カーチスとの再戦を取り決めた交渉人でもある。
- マンマユート・ボス&空賊連合:フィオに押されてポルコとカーチスの試合を認める。根は人情派。
- ドナルド・カーチス:アメリカ出身のエースパイロットで、フィオに一目惚れ。ポルコのライバルとして再戦へ。
- フェラーリン:ポルコの旧友で空軍少佐。表には出ないが、密かに彼を助けている存在。
- ベルリーニ:ジーナの最初の夫でポルコの戦友。彼の死は、ポルコの心に深い影を落としている。
- ポルコ・ロッソ(マルコ):再設計された機体で空賊の前に立つ。フィオを守る意志がより強く表れていく。
完成した新サボイアを引っさげて、ポルコはミラノを発ち、ふたたびアジトへ帰ってきます。そこで待っていたのは、空賊たちの襲撃――しかも大勢!
だけどね、ここで主役になるのは、なんと17歳のフィオ!ポルコがあきれ果てて立ち尽くしていると、彼女が前に出てきて、空賊たちに堂々と演説を始めるんです。「私が作ったこの機体を壊すっていうの!」って、もうね、度胸がすごすぎ。あのマンマユートのボスたちも思わずたじたじ。でもこの一喝が、流れを変えるんですよ。
空賊たちはしぶしぶながら交渉に応じて、ポルコとカーチスによる一対一の再戦が決定。しかも、カーチスはここでフィオにプロポーズまでしちゃうという大胆ぶり(当然断られるけど)。
ポルコの過去を知る空賊たちも、戦いには一目置いてるんですよね。きっと彼は、かつての戦友ベルリーニを亡くしたとき、誰も殺さないって心に誓ったんでしょうね。
そしてそのポルコを、今も陰から支えているのが空軍少佐フェラーリン。軍の機密をこっそり流してまで、マルコを助けてくれている…そんな友がいるってだけで、ポルコがどれだけ信頼されてる人か分かる気がします。
そしてフィオの勇気と機転が、ポルコに戦う場を取り戻させたわけで――ここ、本当に大切なシーン。ポルコは、フィオの行動に心を動かされたと思うんです。感心して、もしかしたら少し惹かれてもいたのかもしれない。
でもね、普通の男の人みたいに、それをきっかけに「愛してる」とか「そばにいてほしい」っていう気持ちに流されることはなかった。だからこそ、あの戦いのあとに「お前はジーナの艇に乗れ」って、きっぱり言えたんじゃないかな。
フィオの「パートナーって呼んだじゃない」って言葉にも揺れなかったポルコの姿には、好意や願望を押しつけず、相手の未来を思って身を引ける――そんな、本当の優しさがにじんでいたように思います。
あの空中戦で飛び交った“雲をひいた”や“ひねりこみ”って何?という方は、こちらの記事で解説しています

相関図4|ポルコ、因縁の再戦と別れ

いよいよポルコ vs カーチスの一騎打ち!…息をも突かせぬ(?)空中戦。しばしの空中での緊張の後、今度は地上で殴り合いにまで発展しちゃって、これは、この後ここに友情みたいなもんも芽生えるのかもねと予感させるシーン――そこには、男同士の不器用だけどまっすぐな想いがぶつかり合っていて、笑いながらもジーンとくる人も多いんじゃないかな。
勝敗がはっきりしないまま、空軍がやってくるという知らせに騒然となるけど、マルコはこの先のパートナー問題に白黒つける、迷いのない行動をとります。
そしてエンディングを迎えますが、フィオの語りが、また泣けるんです…。彼女はその後ジーナと親友になって、ピッコロ社も継いで、たくましく生きてるのねって感じ。
でもね、「ポルコのことが大好きだった」という思いはそこでもしっかり伝わってくるのよね…そこにあの時の気持ちがそのまま残ってる感じがして、切なくもなるんですよね。
そして、ジーナのホテルに赤い飛行艇が泊まっているカット――ポルコが訪れてことを示す、わずかなヒントだけが残されているのが、また粋なんです。
ラストのあの描写から先は、見る人の想像にゆだねられている。この先の考察は別の記事で取り上げています。


まとめ|「豚」になったポルコが選んだ相関関係
『紅の豚』を見終わったあとに残るのは、「自由とは何か」「愛するとはどういうことか」という、どこか哲学的な余韻。ポルコが豚になった理由は、“罪悪感”とかではないと思うんです。人間としての誇りや欲望から距離を置き、誰のものにもならない生き方を選んだという表れだったのかもしれません。
今の状況で、無理のない形で、誰に対してもできる限りのやさしさをしめす――それが、ポルコ・ロッソという男の美学だったのかな。
無骨で不器用だけれど、大切な人たちにちゃんと“自由なかたち”で向き合っていた姿は、今も多くの人の心に残る名シーンとなっていることでしょうね。
今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。
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