アバター2がこのアバターシリーズの最初の扉になる方々の中には、1作目で描かれたストーリーとのつながりを知りたいと思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。今回の記事では、1作目の情報も織り込みながら、さらに、多くの考察もなされているエイワというものの存在に、ママなりの考察を加えてみました。
相関図①|アバター2の背景は?

このアバター2、一作目では単純に戦士だったジェイクが、この2作目では軍隊仕込みの規律最優先的頑固おやじが戦士でありながら父親としての姿が結構色濃く描かれるのよね。
妻の座にはもちろんネイティリが座っているんだけど、彼女は1作目の勇猛果敢さを残しながらも、かなり良き母の雰囲気が出てきてる。
それに、その二人の周りには5人も子供の姿が描かれている。でも、その関係はちょっと複雑なの。
ジェイク・サリーはもともとナヴィと呼ばれる青い肌の種族だったわけではない。
彼は元海兵隊員で、事故により下半身不随になり人生の行き場を失っていた人物。
そんな彼に与えられたのが、パンドラと呼ばれる惑星での任務だったの。
パンドラは、人間にとって価値のある資源が眠る星。
でもその環境は人間にとって過酷で、そのままでは生きられない。
そこで人間たちは、現地に住んでいたナヴィと呼ばれる、人間に似た種族の遺伝子を使って「アバター」と呼ばれる人口の身体を作り、人間は意識だけをその体に移して活動する方法を選んでいたの。
ジェイクが最初に与えられた役割は、ナヴィの世界に入り込み、彼らの文化や生活を理解し、最終的には絶ち退かせるための情報を集めること。
つまり彼は、元々その地を侵略しようとする地球側の人間だったの。
ところが、アバターの体でナヴィとして生きるうちに、彼の中で何かが変わったのね。
森の民オマティカヤ族とともに過ごし、自然と命と深く結びついている価値観に触れ、そこで出会ったのが森の民の戦士であり精神的な導き手でもあるネイティリ。
彼女との関係を通して、ジェイクは初めて、そこに自分の居場所をかんじるようになったのかもしれない。
やがて人間は、資源を得るためにナヴィの聖なる森を破壊し、力で排除しようとする。
その後、ジェイクはエイワと呼ばれる存在のもとで、完全にナヴィになることを選択し、そこを侵略せんとしていた人間たちに立ち向かい、そこを守ったの。
冒頭のシーンで、生まれたての子どもを抱え上げ、とっても良きパパになっていたジェイクにはそんな過去があったの。
彼はネイティリとの間に3人の子どもをもうけ、一人の養子を迎えていた。
さらに、その子供たちといつも一緒にいる人間を含めた5人の子供たちに囲まれていた。
二人の本当の子ども、長男ネテヤム、次男アロク、末っ子トゥク。そして養女として迎えたのはキリ。
キリは、1作目で亡くなってしまったグレース・オーガスティンのナヴィアバターから生まれた子供。
グレースはジェイクにとっては無二の親友状態になっていたから、その死後に生まれた子を引き取った形ね。
そして、人間の姿の男の子はスパイダー。
スパイダーはジェイクの宿敵、地球の軍の大佐だったマイルズ・クオリッチの子どもだった。
でも、パンドラで生まれてまもなく、地球軍は敗北してその星を撤退することになり、クオリッチはその子供もその時地球に引き上げたと思いこんでいたみたいなの。
クオリッチはその後、その子を探すことすらできていなかったみたいね。
スパイダーは、あまりに幼すぎて帰還する時に使う冷凍カプセルを使用することができなかったの。
そして、現地に残ることになったスパイダーは、現地居残り組となった研究者たちのもとで育ったらしい。
遊び仲間としていつも一緒にいたのが、グレースのところにいた子供たちだったから、まるで家族の一員化のように描かれていたわね。
でも、ジェイクの妻、ネイティリにとってスパイダーは、親の仇の子どものような存在。
だからその距離感はちょっと微妙だったみたい。
幸せに暮らしていた彼らのもとに地球からスカイ・ピープルが再びやってきた。
以前に人間だったクオリッチ大佐が新しい体にその精神を移植され蘇った形ね。
いわばナヴィもどきのクオリッチというわけね。
体は変わっても、ご丁寧に過去に何があったのか、自ら生前にビデオ作成し、過去のことをしっかりと思い出させるものだから、中身は以前のまんま。
ということは、本物のナヴィたちに相当な恨みを抱えているわけね。
その後、ジェイクたちは森の中で静かに暮らしているのかといえば、この2作目の頃にはそういう状況ではなくなっていたみたい。
人間の作ったインフラが整備され、それをジェイクたちが日常的に破壊して回っている雰囲気が描かれていた。
ジェイクはこの地でも、以前と同じく戦士を務めないといけなかったってことかしら。
それにしても、ジェイクが子供たちに厳しいわ。
ネイティリの言葉借りれば、もう軍隊の上官と部下のような関係ね。
それでもお父さん大好きって雰囲気の子どもたちがほんとに愛らしいわ。
そんなジェイクをいさめるネイティリの存在感は大きいわね。
彼女、戦場での活躍っぷりは、ジェイクをしのぐんじゃないかって思わせるほどなんだから、その彼女の発言にはジェイクも耳を傾けざるを得ないんでしょうね。
相関②|グレースはなぜ身ごもった?キリとグレースの関係は?
本作ではね、養女で迎えられたキリが随所でこの物語の世界観にスパイスを加えているの。
家族の中では思ったことも包み隠さず、ためらいなく言ってる風なんだけど、とても精神性が高いようにも描かれているのよね。
1作目を見ていない人にはちょっとわかりずらかったシーン。
キリたちが居残り組となった研究者のラボを訪れるの。
なんか日常的に遊びに行っている感じがあるわね。
そこに水槽のようなものがあって、その中にナヴィたちのような恰好をした女性が映し出されていたでしょ。
この設備が、元々は遺伝子組み換えの生体を生み出し成長させるものだと思うんだけど、そこに「保管」されていたのが、科学者グレースのアバター。
実はグレースは1作目で人間からの銃弾をお腹に受けてしまって、ジェイクは森の民たちに救いを求めていた。
エイワと呼ばれる命の源みたいな存在に、助けを求めたんだけど、ちょっと時遅く、人間の姿のグレースは息を引き取ってしまい、おそらく、ジェイクたちが望んでいたかもしれないアバターとしての復活もできなかったの。
エイワのもとで、グレースの肉体と、アバターのグレースの体の二体が横たえられ、エイワに祈りをささげていたんだけど、グレースの精神がアバターのグレースに宿ることもなかったの。
この時何が起こっていたか、海外のサイトの考察に見かけるんだけど、グレースの精神というか魂というかそういったものは、エイワの中に取り込まれ、アバター側に移転することはなかった。
冒頭で、ジェイクが言っていたように、グレースがいつ身ごもったのかは全く不明といわれていたんだけど、一説によると、父親というものは存在せず、エイワの力によって、グレースは懐妊したんじゃないかって。
そして、さらにこんな説まで。
そこから生まれたキリには、どうもグレースを感じさせる部分が多く、エイワに取り込まれたグレースの精神や魂のようなものは、そのままキリの姿となってまたこの世に生まれ出たんじゃないかって憶測もなされているようなの。
真実はどうなのか、それはわからないみたいなんだけど、そういった目線で見ていると、なるほどと感じさせるシーンがたくさんあったようにも思う。
すごく精神性が高そうな女性、でも、結構利発的な面もあるのよね。
で、このシーンでは、キリはそんな母に会うために、このラボを訪れていたようなの。
生前のグレースはビデオに面白いことを残していた。
パンドラの全生物が共有している意識のようなものが存在する確かな証拠があるっていうの。
それは、何かの反応のようなもので、知識と呼ぶようなものではなく、意識と呼べるんではないかって。
ママ的には、光り輝く存在として描かれていたエイワがその共有意識のようなもの象徴しているのかなと思った。
共有意識というのはいわば神の側の領域よね。そこにたどり着いた意識は救われるし、必要があれば、この世界に姿を示すという形をとることもあるんでしょう。
グレースという姿でこの世界に踏みとどまる必要はなくなったけども、ジェイクたちを直接支える存在として、より近くにポジションを変えるために、キリという形をとってジェイクたちと過ごすことになったんじゃないかなって、これは妄想だけど、そんな風に感じたわ。
一方、同じくその場にいたスパイダーが自分の出生について、その思いを吐露する場面も描かれた。
彼は、父親のことなんか知らなくていいって。
父親が侵略者だっていうことをみんなが知っているみたい。
でも、キリをはじめとするジェイクの子どもたちは、彼に寄り添おうとしていた。
いよいよ、ブルーチームと司令官が呼んでいた遺伝子操作で作られたアバターたちの森への侵攻が始まった。
クオリッチは、人間の姿の時、その地で戦い、ネイティリの放った矢に倒れ、そこに眠る者となっていたのね。
アバター姿のクオリッチが骸を手に取るんだけど、おそらくそれは以前の自分の頭蓋骨。
ここで、ジェイクたちへの恨みは一層膨らんだみたい。
そのクオリッチが森の中でついに子供たちを捕獲してしまう。
でも、その中の一人が自分の子どもであると、早々に理解したみたい。
ママ的にはクオリッチはどうしても憎むべき宿敵としてみてしまうんだけど、この自分の子どもを前にしたときの表情は、良き父親の雰囲気を漂わせるもんだから、その雰囲気がとってもうまく描写されているようにも感じるし、この映画の奥深さを感じさせるシーンの一つになってるの。
彼らは、結局森の中でスパイダーだけとらえることができたんだけど、その後、スパイダーにきっつい尋問を行うの。
でも、その精神的、肉体的苦痛に耐えて、スパイダーは、ジェイクたちの居場所に関わるようなことは一切漏らさなかった。
今よりだいぶ時代も先の話だから、その尋問は心の中に思い描いただけで読み取られてしまうようなの。
スパイダーは、居場所を教えろという侵略者たちに対して、完全なる心や意志の強さを持って対抗したということ。
これには、父であるクオリッチも驚かされたみたい。
それは、クオリッチ自身も、そういった資質をもっていて、それを息子が引き継いでいたという風にも感じられて、ここでも、クオリッチの優れた一面を実感するのよね。
逆に、その状況下でジェイクたちの揺れる精神性が対照的だった。
スパイダーを捕らえられたことで、彼らの居場所がクオリッチたちに知られてしまうことを危惧していたの。
スパイダーのことを信じ切れてはいなかったのかな。
もしかすると、そのあたりが、大佐であるクオリッチと、その部下にとどまったジェイクの差だったのかしら。
そういった部分での大物感は、やっぱりクオリッチの方がうわてという風に感じるのよね。
でも、ジェイクはそのように心配したから、森を出ていく覚悟を決めたの。
ここからが、今回の映画のテーマ「ウェイ・オブ・ウォーター」につながる展開ね。「水につながる道」とでも訳すのかな?
海を生活拠点とする部族の村を目指して旅立つことになるの。た
どり着いた海の世界はメトカイナと呼ばれていた。
そこに住まわせてもらうために、ジェイクは戦いはやめましたって誓い、何とかその地にとどまることを許された。
相関③|サリー家は一家団結を要求され、でも、しらけるキリ。トゥルクンと心通わすアロク
新しい村について、一日でも早く溶け込もうと躍起のお父さん、ジェイク。
子供たちも集めて家族会議。やっぱり軍隊風が抜けないのね。
そのムードにしらけ気味なのがキリ。こういったところにも、やっぱり研究者で縛られることを望んでいなかったように思えるグレイスの魂を感じるのよね。
ここ新天地での暮らしは、家族全員にとって、何とかその環境に適応しなければって、一生懸命になる姿が描かれていた。
でもね、キリだけは違うの。
初めて海に飛び込み、一生懸命に泳ぎを覚えようとする子供たちなんだけど、キリだけは、誰かに何かを教えられるわけでもなく、自然にそこに順応するばかりか、周りの魚や海洋生物たちが、キリにはその距離を縮めて逆に触れてこようとしているように描かれていたわ。
ここにね、あのグレイスが生前ビデオの中で発信していた感覚というのを思い起こされるの。
周りと一体化した意識というようなことを言っていたわね。
それは、すなわち、先住民たちがエイワと呼んでいた形に具象化された、全てのものとの一体感のことじゃないかと思うの。
それを感じていたグレイスは、もちろん周りとの一体化が起こり始めていたし、すでに、その状況にあるキリは周りとの一体感を感じていたんじゃないかな。
周りと一体になっているものに、恐れや恐怖というのは無縁なのかもしれないわね。
ジェイクのように声高に一家団結を叫んだり、敵への備えをする必要は、真に一体感の中で生きるものにとっては無用なのよね。
キリの場合には、それでもまだ周囲に敵が現れる可能性があったというとこで、「完全なる一致」という境地にはまだ至っていないんだと思うんだけど、それでも、彼女の中の多くの時間は、その平和な一体感の中でゆったりと流れていたように思うの。
海の先住民の子がね、キリや兄弟たちに呼吸法とか教えたりしてるんだけど、キリだけは、何をいまさら見たいな顔してるのが彼女の立ち位置を物語っていたわね。
海はあなたの中にも外にもある。海は一体感の源。すべてがそこで生まれ、またそこに戻っていく。
山の民には大きな木が一体感、エイワの象徴のようになっていたけど、ここ海の民にとっては、海こそが一体感の象徴になっているのかしらね。
精神性を問うようなシーンが結構あるんだけど、トゥルクン(パヤカン)とアロクの関係も、誰かを信じることで巻き起こる奇跡のようなものを生み出していたわね。
アロクはといえば、父親のいうことを聞かず、族長の息子と喧嘩したり、これまでも、言いつけに背いた行動が目立っていたのよね。
でも、そんな彼にも、精神性の高さを示すような描写が描かれていた。
むなびれのようなところに何かを撃ち込まれた状態で、アロクに救いを求めてきたのがパヤカン。
彼は、傷ついたパヤカンの体を見て、深く同情し気持ちを寄せていたの。
ここ最近のご両親たちには、欠けていたような心のはたらかせ方じゃないのかな。
生き残るために、規則や規律を押し付けまくっている最近のジェイクに、この姿がどんなふうに映るのかしらね。
相関④|エイワの鼓動とは何なのか
海の世界には魂の木という、淡い紫や青の光を放つ存在がいた。
キリがその存在につながったとき、お母さんのグレイスの姿が現れた。
キリはその存在に自分のルーツを尋ねているの。
でも、それには答えてもらうことができなかった。
キリは、彼女自身の表現を借りるなら、エイワの鼓動が今にも聞こえてきそうという表現をしていた。
もしかしたら、キリは、自分の体のルーツが何なのか、そんなことにこだわる次元を超えた存在だったんじゃないかなって思うの。
誰にとってもその本質は、目に見えないところにあるんじゃないかと思うの。
普段の生活の中で、そんな存在に気づくことができる人は多くはないわよね。
でも、キリは、目で見たり、耳で聞いたりする状態よりも、心の中で何かを感じる状態、いわば、本来のあるべき状態に容易になることができていたんじゃないかな。
森の中で、平和を感じていた時、彼女ははた目には気を失った状態になっていた。
それは、まるで、精神をアバター側に転移させた後の眠りについた人間の体みたいに。
キリは、今、アバターというかナヴィとしての体をもっているけど、その精神が体ではなく心の方に移転したときに、体の方が眠りについたようになるんじゃないかしら。
更にママの妄想は続くんだけど、体から意識を離した状態は、逆に、見えない世界からの息吹のようなものを感じるのかもしれないわね。
それをキリは、エイワの鼓動という表現をしたのかな。
エイワの世界の全てが一体化した意識のようなものは、全てを知っている。
キリが、海の中で魂の木につながって、母の映像をみて、質問をした。
自分の体のルーツについて、自分は今悩み、その答えを知りたいと訴えたのよね。
でも、すべてを知る存在は、そのことに意味はないというのを伝えたかったんじゃないかしら。
それが、キリの母グレイスが、また姿を消してしまうという映像となって描かれた。
全てと繋がった意識というのに対して、肉体の目で見ることのできる個、すなわち区別や分離を象徴する体というのは、相いれないもののはずよね。
だから、キリは、もう、そこにこだわりを持つべき段階を超えているということが描かれていたんじゃないかな。
エイワの鼓動というのは、そんなキリが垣間見ることができる、個々の体を超えた、一体化した意識のようなものの命のリズムのようなものじゃないかしら。
鼓動という言葉を使っているから、その世界で脈打つ心臓のようなものと表現してもいいのかも。
その世界からほど遠いところにいる、キリの周りの大人の中にはキリが意識を失ったことを「てんかん」、発作だという自分たちが理解できる枠の中に無理やり押し込めようとする姿があったけど、なんか違うように感じるのよね。
まとめ|
トゥルクン(パヤカン)についての真実に貸す耳をもっていたアロクは、その真実にたどり着いていた。
周りの環境に身を預けるようにしていたキリは、エイワの鼓動を聞いていた。
型に押し込めようとする周りからの圧に負けず、自分を信じて、逆に自然と自分のもとに届けられる声を聞いて受け入れていたキリやアロク。
きっと、そんな存在が誰かと絆を結ぶとき、その証として、自分の選択が正しかったと実感させてくれるような奇跡が起こるんじゃないかしら。この後、どんな奇跡を見ることになるのか、是非、映画の中で確認してほしいなって思います。
今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。


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