「悪い魔女が死んだ」という“グッドニュース”から始まる物語。でも本当に、エルファバは“悪”だったのかしら。シズ大学で出会った二人の魔女は、同じように「選ばれたい」と願っていたはずなのに、なぜ最後は別の道を歩むことになったのか。グリンダはなぜエルファバについていかなかったのか――その選択を、物語の流れの中で考えてみたいと思うの。
相関図①|“悪い魔女”は本当に悪なの?―オズの世界に漂う違和感

みんなグッドニュース!って子供たちが一面を覆いつくしたお花畑の中に敷き詰められた黄色いブロックでできた小道をかけてくんだけど…なんか子供たちの言葉としては、ちょっと違和感を感じるのよね。
グッドニュース!って言葉に続くのが、「悪い魔女が死んだ」って大喜びで町中にふれまわってるシーン。
まあ確かに、悪い魔女がいなくなるのは、彼らにとっていいことだったんだろうけど、彼らが駆け回っている町並みはとてもきれいだし、明るいお日様の光は満ち溢れてるし、その知らせを聞いて家々から飛び出してきた人たちも、とても何かを憂いていた風には見えないのよね。
何か…悪い魔女と呼ばれる存在から、実害うけてたの??って少し疑問を感じるんだけど。
そこに、みんなが「グリンダ様」と呼ぶいい魔女が現れる。
大きなシャボンのようなものに体を囲われ「みんなで祝いましょ」ってうたいながら、天から降りてくるの。
それを見た人々の顔、みんな笑顔なんだけど、なんだかちょっと狂気にあふれたような笑顔にも見えてしまうのは、Part1はエンディングまで見てやきついてしまった思いのせいかな
ところでね、ウィキッド二人の魔女という映画について、ママみたいに予備知識がなくて、さてどんな映画かなって見始めたばかりの人、特にその背景情報なんかをネットでちょこっとかじった人にとっては、ちょっと混乱するかもしれない情報があるの。
それは、この作品の大元をたどっていくと、それはかの有名な「オズの魔法使い」という物語にその起源があるということがわかるの。
するとどうしても、「オズの魔法使い」に対して、この作品の位置付けは?って知りたくなるんだけど、一言で言ってしまうなら、その物語を再解釈して、別のお話を作ったって感じになるそうなの。
それぞれの作者さんが、読者や視聴者の方に伝えたかったことが異なったのか、それとも別のストーリーにした方が、より伝わりやすいと思ったのか。
だから、両作品に共通して出てくる登場人物の名前や、あ、この出来事は、あの時のあれね..なんてシーンももちろん色々あるんだけど、両作品の中でそれぞれに違う役割や結末があるのよね。
肌が緑色で生まれたエルファバ。映画の中では、その理由ははっきりとは語られないのよね。だから、この作品の世界だけを見れば「なぜ?」という問いは宙に浮いたまま。
でもね、物語の背景を少し広げてみると、ひとつの設定があるの。
この映画は、『オズの魔法使い』をオリジンとするさまざまな派生作品の流れの中にあって、とくにグレゴリー・マグワイアの小説版、そしてそれをもとにしたミュージカルの設定をゆるやかに受け継いでいると言われているのよね。
その小説では、エルファバの母親が、身ごもる前に“緑色の液体”を飲んだことが、彼女の肌の色と結びつけて描かれているの。
その液体は、旅のセールスマンが母親に飲ませたものだったらしいのよ。
「これを飲めば、僕らは一体になれる」なんて甘い言葉と一緒に。もちろん、現実的に考えれば、飲んだ液体の色がそのまま子どもの肌の色になるなんて考えにくいんだけど。
でも、物語の中では、その出来事が“原因”として語られているかのように思えてしまうのよね。
私たちは「緑の液体を飲んだから、緑の子が生まれた」と、つい因果関係を結びたくなる。
でも本当にそうなのかは、正味のところ分からないわよね。
この作品が扱っているテーマのひとつに、「人は先入観で物事を決めつけてしまう」という視点があるとすれば、この設定そのものが、私たちの“決めつけ癖”を映しているのかもしれないって思うの。
緑の肌は、あの液体のせいだ。そう言い切ってしまうこと自体が、もうひとつの物語なのかもしれないわよね。
それにしても、民衆を前に歌の中でグリンダが伝えてくるメッセージと表情が何とも言えない。違和感。
グリンダはエルファバの死を喜んでいるんだけど、喜んでいるようには感じないのよね。
グリンダはエルファバの辛い過去を知っているから。
その気持ちを敢えて踏みつけどこかに消し去ってしまうかのように、民衆が地面を踏みつけ「嘆き悲しむ者はいない」って叫ぶ。
あれは悪だ。悪は消えなければならない。悪が消えて喜びが訪れる!って、そんな風にみんなで思い込もうとするかのように歌ってる。
自分たちは善というものを知っているんだって。
悪は一人寂しく滅んでいかなければならないんだって。
でも、そこにいて、民と同じように歌を歌うグリンダは、何かが違うということを知っていながら、民と一緒にその歌を歌っているようにも見える。
まだ詳しくはわからないけど、そこにいるのが「悪」といわれる存在なんだとしても、その死に狂喜乱舞するっていうのは、やっぱり違和感があるな。
グリンダが一人の女性から質問を受けた。悪い魔女は友達だったのかって。
彼女は「そうよ」って答えた。民の驚く姿をみて、「彼女のことは知っていた(お互いの人生が交差したある時期があった)」と告げた。
本心は、「そうよ(友達だった)」ってところにあったんだと思う。
だって、わけあって今はそうではなくなったことを悲しんでいるように見えたから。
彼女が民衆の前で見せたおどけや笑顔は、何とかとりつくろったもので、本心には悲しみを抱えていたように感じるの。
でも、オズの魔法使いはいなくなってしまったのよね。
彼女が今オズの民たちをおさめなければならなくなった。
もともと、誰からも愛される存在でありたいグリンダは、あのオズの世界で人々の人気の頂点にいることが、自分の望みにかなう場所と思っていたんじゃないかしら。
シズ大学で出会ったころのグリンダにとって、エルファバの緑色の肌は“問題”だった。
同情すべき対象であり、自分が魔法を学べば解決できるかもしれない課題でもあった。
学友たちはそんな彼女の“善なる志”を称賛する。
でも、エルファバにとってそれは、どこか白々しい。
自分が一人の人間としてではなく、“救われるべき存在”として扱われている感覚。
「人々からの賞賛なんて関係ないわ」と言うグリンダ。
けれどエルファバには、そうは見えない。本当は、賞賛に支えられているのでは?善い人である自分を演じることに、どこか酔ってはいない?
グリンダ自身が気づいていない心の奥の虚栄。それを、エルファバは見抜いていたのかもしれない。
シズ大学で特別なポジションにいるのがマダム・モリブル。魔法学部長ね。
オズの世界でも魔法を使うことができる人って多くはないのね。
モリブルは、魔法を使えるということで、学生たちはあがめるように彼女に視線を注いでいた。
父から妹のネッサローズの付き添いを命じられたエルファバだったんだけど、思いがけず(?)ネッサローズを取り巻く環境に怒りを覚え、魔法発動で校内は大騒ぎ。
モリブルはエルファバをかばうかのように自分がやったってみんなに告げるんだけど、それって、自分の力誇示に利用したのかな。
魔法が使える人って、そうでないものから見たら羨望の的だものね。
その一件で、モリブルはエルファバに目をかけるようになるんだけど、それを目の当たりにしていたグリンダは、自分以外の人間が注目されるという初めての出来事に戸惑いを見せてた。
一方でエルファバは…ちょっとやばくない?
今まで、自分の魔法の力は、制御できないし、悪いことが起こるって、自分自身厄介もの扱いしてたのよね。
でも、モリブルにえらく持ち上げられて、まんざらでもない顔になってしまってる。
彼女がね、オズの陛下と一緒にいるところをイメージしながら歌ってる。
この時、彼女が願っているのは、「誰からも愛される自分」なのかな。陛下の隣にいれば、それが叶うと期待してるみたいね。
結構長い歌だったけれど、エルファバの今の心の中は驚くほど素直に伝わってきた。
でも、これ、もしかしてグリンダと同じ?結局ふたりとも夢見ているのは「誰からも愛される自分」。
ずっと注目を浴びてきたグリンダも、ずっと“異質な存在”としてはじかれてきたエルファバも、形は違うけれど向いている先は同じ。
愛されたい、認められたい、選ばれたい。
エルファバがオズの陛下の隣に立つ未来を思い描きながら歌う姿は本当にうれしそうで、その無邪気さがまぶしい。
でも同時に、見ているこちらは少しだけ不安になる。
だって彼女が欲しいのは権力ではなく、「愛される自分」のはずだから。
ずっと“違う”と言われてきた少女が、初めて「選ばれる側」に立てるかもしれないと信じている。
その願いはあまりにもまっとうで、あまりにも人間らしくて。本当にその世界はあなたを受け入れてくれる?その期待は裏切られない?と、ちょっと心配になる。
ヤギの先生ディラモンド教授が語り始める、変わり果てたオズの国の話。
大学の講義で事実を語ろうとすると「それ以上しゃべるな」と圧がかかる世界なのよね。
知を扱うはずの場所で沈黙を命じられる。なぜそんなことになったのか。
大干ばつが起こり、食べ物が育たず、人々は飢えた。飢えは怒りを生む。
その怒りがどこへ向くかが問題になるのよね。
本来なら、怒りは国を治める側へ向かうはず。でもそれは困る。
だから統治する側が選んだのは、原因を取り除くことではなく、怒りの矛先を変えることだったのよ。
誰かを悪者に仕立て上げ、「すべてはあいつのせいだ」と示せば、人々の視線は一斉にそこへ向く。
真実よりも都合が優先されるのよね。
怒りは消えない。ただ、方向が変わるだけ。それだけなんだけど、社会はひとまず落ち着くの。
悪者は自然に生まれるんじゃない。必要とされて作られるみたいね。
Animals should be seen and not heard.って黒板に落書きが..動物は黙ってろ的な意味合いになると思うんだけど、これを書いたのはシズ大学の生徒なのかしら。
以前はもっと多くの動物の先生がいたらしいのに、今では人間以外の動物はしゃべることさえ許されなくなってきている。
なぜ?本当のことをしゃべるから?
じゃあ人間は本当のことをしゃべらないの?
それとも、しゃべらないんじゃなくて、本当のことが見えなくなっているっていう設定なのかしら。
なんでそうなるの。動物たちと人間の違いは何なんだろう。
もしかして、人間は「誰からも愛される自分」を強く求めるから?
誰からも愛されたいと思うこと自体は間違っていないはずなのよね。
でも、誰からも愛される自分になる方法を、どこかで間違えてしまったのかもしれない。
求めている姿は「誰からも愛される自分」。
でも、どうすればそうなれるのかがわからない。
オズの世界では、誰かを責められる存在に仕立て上げることで、自分が責められる状況を回避するようなことが起こり始めている。
その状態は「誰からも愛されている状況」とはまったく違う。
でも少なくとも、自分は責められていない。
それを理想の代わりとして受け取ってしまっているということなのかな。
動物は、自分が生き延びるために誰かをいけにえに差し出すようなことをしない存在として描かれているのかしら。
実際の動物がどうかは別として、この物語の中の動物たちは、政治的な駆け引きをせずに、ただ真実を語る存在として扱われているように感じる。
ところで、そんな状況に終止符は打てるのかしら。
エルファバは、オズの魔法ならそれができると期待しているのよね。
大きな力があれば、歪んだ世界も正せると信じている。
都合の悪いことも、強い魔法でひっくり返せると思っているのかもしれない。
でも、エルファバ自身もすでに魔法のような力を発動しているのよね。
物を動かし、人を驚かせる。
でもそれは、目に見える現象を変えているだけで、仕組みそのものを変えているわけではない。
誰かの立場が入れ替わることはあっても、怒りが生まれる構造や、誰かを悪者にする仕組みが消えるわけではないのよね。
相関②|“善”を演じるグリンダと“真実に反応する”エルファバ
なんかダンスパーティーに行くって、みんなうかれてる感じ。
フィエロというどっか(ウィンキー国)の王子様。お気楽者で頭は空っぽな設定なんて話も聞くけど、登場シーンからPart1エンディングまで、単なるお気楽もとという訳でもなさそうよね。
でもまあ…内に秘めたものまで見えなくても、王子様でイケメンということだから、みんなが注目する存在だし、そうなるとグリンダは黙ってはいない。
ダンスのパートナーのポジションはしっかりキープ。
でも、彼らが踊ってはじけてるところに、マダムモリブル登場。
魔法の練習用の杖をグリンダに手渡しにやってきたんだけど、この時、グリンダの中にある優先順位がものすごくわかりやすく描かれる。
フィエロのことはそっちのけで、マダムモリブルへ最大級の忠誠を示して見せるのよね。
彼女にとって、マダムモリブルというのはどういう存在?
自分を特別な存在へと導いてくれる先生。
特別な存在になりたい理由は、今も変わらず、「誰からも愛されたい」。
しかし、マダムモリブルも、正味のところなりふり構わず..よね。何を守ろうとしているのかしら?
エルファバに言われたからと言って、わざわざグリンダに杖を届けに来たって。
モリブルはグリンダのことを「才能なし」とみているにもかかわらず。
とにかく、エルファバのことは手放したくないのよね。
みんなが踊っているところに、魔女にピッタリの先のとがった黒の三角帽をかぶってエルファバがやってきた。
誰もがエルファバをさげすむように笑い、音楽も鳴りやんだ。
これほど屈辱的な状況ってある?
なのに、その笑う人たちをよそに、彼女はフロアで踊りだした。
何がそうさせてるの?
「人にどう思われても平気なんだな」っていうフィエロに対して、グリンダは「違う、そう装っているだけ。…どうしよう」って。
自分がやったいじめが過ぎて、いじめた相手が、あまりにミジメに見えた時、そこで気づいていじめをやめる人っていいそう。
人って、そんなところをうろうろうろうろしてるところがあるのかな。
動物の世界にもいじめはあるように聞くけど、この物語の中では、もしかしたら動物たちはそんな風な存在ではないとして、人のそんな一面を対比して浮き彫りにしているのかも。
でも、このパーティー会場に来ていた人にとって、グリンダは「善」でエルファバは「悪」なのよね。
グリンダは、今、エルファバに悪いことをしたって思って、エルファバに同調しだした。
周りに人は、そのグリンダを見て、そこに「善」を感じていたのかな。
グリンダとエルファバが理解しあったように踊るシーン、周りの人たちも、同調したかのように踊りだしたけど、同調したわけではないわよね。
自分も同じようにしてなきゃ…、みんなと同じになっていなきゃっていう気持ちがあのダンスホールに充満していたんじゃないかしら。
ほんの一瞬、そこにいる誰もが通じ合ったかのような情景が生まれた。
でも、本当に通じ合っていたわけじゃないのよね。ただ空気が揃っただけ。
それでも、その空気を生み出したグリンダにとっては、初めての体験だったみたい。
パーティーが終わって部屋に戻っても、まだ興奮が冷めていない。
誰かと心を通わせることで、その周囲の人たちまでも巻き込める。そんな手応えを感じたのかもしれないわよね。
それとも、誰かに同情できる自分は善人で、その姿はきっと誰からも好かれる存在だと気づいたのかしら。
これまで周りの人に本気で関心を向けてこなかったグリンダが、たとえ自分の目的の延長だったとしても、「他人に目を向ける」という感覚を初めて知った瞬間だったのかもしれない。
そして彼女が行きついた方法は、周囲の人の“欠けている部分”を見つけ出し、それを埋めてあげること。
助ける側に立つこと。それは世間から見れば「善」に映るわよね。
でもその善は、相手のためというよりも、自分が愛される位置に立つための善。
だから少しだけ、計算の匂いが残る感じがする。
世間的には彼女は「善」と呼ばれる。でもその内側には、まだ「誰からも愛されたい」という願いがしっかりと根を張っているみたい。
グリンダから見て、エルファバに欠けているのは「人気」。
それはつまり、グリンダがいちばん欲しているものよね。
だからこそ、それを与えてあげれば救いになると思ったのかもしれない。
自分が欲しいものは、きっと他人にとっても必要なはずだと。
グリンダからのレクチャーを受けて、エルファバの心も揺れるのよね。
ピンクのお花を髪に飾ってもらい、鏡に映る自分を見つめる。
やっぱり美しいって、その見た目に一瞬、心を奪われる。
この世界に生まれてきたものの宿命なのかしら。
美しくありたい、人気者でいたい。そんな思いは、誰の中にもあるのかもしれないわよね。
グリンダの真似をして髪を振り、仕草をまねてみる。
でも、その動きのどこかに引っかかりが残る。
エルファバは、少し違和感を覚えているみたい。
自分が求めているものは、本当にそれなのかしら、と。
ヤギ先生は再び教室にやってきて間もなく、囚われの身となってしまった。
動物は檻に入って、しゃべることも学べず、黙っていなければならなくなったんだって。
その状況に怒りを感じたエルファバが、その場にケシの花を出現させた。
オズの魔法使い関連の物語の中で、ケシの花はたびたび登場するんだけど、それはそこにいるものを眠らせてしまう作用があるの。
でも、フィエロは眠ることなく、目の前に囚われの身となっていた子ライオンをエルファバと共に助けようとしていた。
ほかの人たちは全員眠ってしまったのに。
これについては、いろんな考察があるみたい。
オズの魔法使いの中では、かかしやブリキの木こりはケシの花畑のようなところで眠らなかったのよね。
なかでも、かかしはね、自分のことを脳みそがないって言っていたの。
フィエロは、この物語の中で、頭空っぽって言っていたじゃない。
フィエロはこの物語の中では、オズの魔法使いの中のかかし的ポジションを少し担っているのかもしれないって考察もあるみたいね。
でも、オズのかかしが深く関わりをもっていたのは主人公(魔女ではなく普通の人間の少女)だし、ママ的には、正直よくわからないってかんじ。
でも、フィエロはこの映画の中で、唯一、”真実に目覚めていた”ような感じを受けるし、文字通り目覚めているから、眠りに落ちることはなかったのかななんてそんな気はした。
エルファバは、そんな彼に心を持っていかれてしまったみたい。
けれど同時に、どこかで「諦めなきゃ」という声も働いている。
選ばれる側に立てるかもしれないと夢見たばかりなのに、恋のほうは最初から引いているみたいなのよ。
でも、この頃には、彼女を見る周りの目が少しずつ変わってきている。
ダンスの夜を境に、何かが確実に動いた。そして届く、エメラルドシティへの招待状。
流れとしては悪くない。むしろ、うまくいき始めているように見えるのよね。
ここまでのエルファバは、誰かを貶めようとしたこともないし、怒りはあっても、それは向けられた理不尽に対しての怒りだった。
檻に入れられた動物に心を痛め、子ライオンを救い、ただ真実に反応してきただけ。
少なくとも、この時点で彼女が「悪い魔女」と呼ばれる根拠は、どこにも見当たらないのよね。
では、いつ、どこで、誰が、その名を与えるのか。物語はそこへ向かって動き始めているのよね。
相関③|オズの正体と“必要とされる悪”の誕生
グリンダもなんだかかわいい。
今まで通りのところもあるけど、名前まで改名しちゃった。(改名まで彼女の名前はガリンダ)
もちろん、フィエロの気を引くためもあるんだけど、彼女はそれだけじゃないものね。人に親切にしないといけない。
ヤギ先生や子ライオンのことは少し忘れていただけ。
いま、このヤギ先生やライオンのために何ができるか。そんなことを考えるのが「善」なる人のありかたよね…ってグリンダはフィエロやエルファバを見て思い至った。
エメラルドシティを訪れたエルファバとグリンダ。
そこで出会ったオズの魔法使い。初老の男性ね。とてもやさしそう。
彼の願いは、みんなを喜ばせたいんだって。
エルファバが自分の望みは動物を助けたいんだって言った時、彼は自分と同じだっていうの。
なんかいい雰囲気なんだけど、ここにモリブルが現れたとたんになんだか空気がガラッと変わってしまう。
グリムリー。太古から伝わる魔法の書。
そこに書かれている魔法はなんだか難しそうで、オズの魔法使いやモリブルは、エルファバにはまだ早いかも…と言っていたんだけど、エルファバが望んでその魔法の書に向き合うことになった。
魔法の書の方がエルファバに反応している。
それに応えるように、エルファバはそこに書かれている呪文を口にした。
呪文を唱えるエルファバは、もう心をどっかに持っていかれてしまったみたい。
護衛のサルの背中に羽が生え、その変化によってサルが苦しんでる。
気づけば、護衛のサルの全てに羽が生えてしまってる。
一度かけた魔法はもう解けないんだって。
おびただしい数のサルが、背中に羽をはやしてしまった。
その状況を見て喜んだのは、モリブルとオズの魔法使い。
完璧な空のスパイが手に入ったって大喜び。
は?国中を飛び回り、扇動的な動物を探し出すんだって。自分に反抗的なものを取り締まるってこと。
実は、このオズの魔法使いこそが黒幕(の一人)だった。
動物たち対して敵意を抱かせた張本人。
人間や、さらにはオズ全体を守るために必要だったって言うんだけど。
なぜオズの魔法使いは自分で呪文を唱えなかったの?
オズの魔法使いは呪文を使うことができなかった。魔力なんてなかったの。
だから、エルファバは彼らが待ち焦がれた人だった。
自分の正義に照らして怒り心頭のエルファバに対して、グリンダは、話を聞いてあげてって、その場を調整しようと試みる。
おそらく、魔力がなかった彼らが世の中をおさめるためには、スパイも監視も必要だったのかもしれないわねって、瞬間的に理解してしまうのね。
グリンダはモリブルから「善行がしたければエルファバを連れ戻して」っていわれ、その通りにエルファバを追った。
その場から逃れようとするエルファバを、空から羽サルが追いかける。
これが、オズの魔法使いとモリブルが維持しようとしている統治というものかしらね。
グリンダの立ち位置が彼女の行く末を象徴していたようにもおもう。
どちらの側についているのかよくわからない。その場その場、誰と目を合わせているかによってその時の対応が変わってしまう。日和見的っていうのかな。
相関④|なぜグリンダはついていかなかったのか―二人が選んだ道
そして、今、モリブルの手によって、エルファバにWickedのレッテルが貼られた。つまり、仕立て上げられた悪だった。
モリブルに指示された衛兵たちによって追われるエルファバ。
謝って、オズの魔法使いのところに戻りましょというグリンダに対して、エルファバは、そこには戻らないという。
でも、グリンダもなぜオズの魔法使いのところに戻ろうなんて言うのかしら。
思うんだけど、グリンダの望みは、みんなの人気者になることだったのよね。
オズの魔法使いは、魔法は使えなかったけど、民衆の心をつかむことはできていたのよね。
気持ち悪いんだけど、オズの魔法使いは、ミニチュアの町の模型の中に自分が住む城やそこに至る道を作っていた。
民は、曲がりくねった道に迷う。彼はそこにわかりやすい道を作り、そのいきつく先は自分のところだという。
それこそが民の幸せだとでもいうように。
民はみんな、オズの魔法使いのことをあがめていたし。
グリンダにとっては、それで十分だったのよね。
彼のように人気を得ることができさえすれば、それこそが望むものだった。
だけど、エルファバにとって、それは意味のないことだった。
彼女は、動物たちを守りたかった。
つまり、誰かを敵に仕立て上げたりして、民衆の心をまとめ上げることなどどうでもいいコトだった。
エルファバがモリブルやオズの魔法使いの指示で迫ってくる衛兵たちの手を何とかかいくぐり逃げようとするんだけど、一応友達という枠で、エルファバについて逃げるかに見えるグリンダが、エルファバに「めちゃくちゃだわ」って言うの。
グリンダにとっては、今ある、既存の枠組みの中でうまく生きることこそが望む道なのよね。
エルファバは、そんなものはくそくらえのタイプ。それはそうよね。今まで、既存の枠組みの中で、つらい想いばかりしてきたんだから。
彼女たちはお互いに、本当に友達同士と思っていたに違いない。
だから、お互いに、自分が進もうとしている道に、相手にもついてきてほしかった。
でも、二人とも、自分の道を変えてまでだれかについていくタイプではなかったのよね。
これが、エルファバが一緒に行こうと言った時、グリンダがついていかなかった理由なんじゃないかな。
まとめ
ここまで見てくると、「悪い魔女が死んだ」という“グッドニュース”が、そもそも何の上に成り立っていたのかが見えてくるのよね。
エルファバは最初から誰かを貶めたことなんてない。
動物を檻に入れることに怒り、子ライオンを助け、ただ真実に反応してきただけ。
それなのに、都合の悪い真実を語る存在は邪魔になる。だから「悪」が必要になる。
この物語の中で、悪は自然に生まれるんじゃなくて、社会が落ち着くために“作られる”。
モリブルがエルファバにWickedのレッテルを貼ったのは、その仕組みの完成だったのよね。
じゃあグリンダはなぜついていかなかったのか。彼女はずっと「誰からも愛されたい」を願ってきたし、オズの体制は“人気”と“秩序”でそれを叶えてくれる場所にも見える。
悪い仕組みだと薄々気づいていても、既存の枠組みの中で生きるほうが現実的だと理解してしまう。
一方エルファバは、枠組みそのものが間違っているなら、そこに居続ける意味がない。
二人は友達だったからこそ、相手にも自分の道を選んでほしかった。
でも二人とも、自分の道を曲げてまで誰かに合わせるタイプじゃなかった。だから別れた。
それが、グリンダがエルファバについていかなかった理由として、ママ的にはいちばんしっくりくるのよね。
今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。


コメント