大叔父の石(意志)との契約や石の積み木の意味を考察!【映画 君たちはどう生きるか】

この記事はネタバレ情報やあらすじを含みます。映画を未視聴の方は特にご注意ください

映画『君たちはどう生きるか』の中で登場した、白い石の積み木と大叔父との“契約”――
あの場面、なんだか意味深で気になっちゃいましたよね。

今回はこの「石=意志」のシーンに注目して、眞人がどんな気づきを得たのか、一緒に考えてみましょう。

目次

夏子と塔の中で会った後、眞人は突如、大叔父のもとへ現れたが…

夏子のもとに行ったあと、眞人は気絶してしまいました。でも、どうしてそのあと、大叔父のところに向かう流れになったんでしょうね?

ここ、たぶん、夢の中の出来事だったんですよね。そして、目が覚めたときには、インコたちに捕らえられ、手錠をかけられていた――これが目覚めた後の現実だったのでしょう。

夢の中での大叔父は、自分の意志との”契約”を眞人に引き継がせたかったんですよね。そのときのすごんだ表情がまた、すごく鬼気迫るものがあったんですけど、眞人が見た夢の中での出来事ですから、眞人は大叔父との関係に抜き差しならぬものを感じ取っていたのかもしれませんね。

大叔父の世界と、石の積み木に込められた本当の意味

その夢の中で、眞人は光の通路(時の回廊?)を抜けて、大叔父と向かい合うことになります。「塔のあるじの大叔父様か」と尋ねる眞人に、大叔父は「待ちなさい、静かに」と、静かに応えます。

そのあと、大叔父は、白い石の積み木をペンでつつきはじめるんですよね。でもその手には、冷や汗のようなものがにじんでいるようにも見えました。

そして、つつき終わると、大叔父は少しだけ安堵したような、でもたったそれだけのことで疲れ切ったような顔をして、ふっとため息をつきます。そして、「これで世界は、今日一日は大丈夫だよ」と告げるんです。

現実世界で必死にもがきながら、少しでも上をと目指しながら生きている日常が、そんな風に吹けば飛ぶような微妙なバランスで支えられているのかもと、少し切なさを感じるシーンでもありました。

白い積み木は13個ありました。ネット上では、これが宮崎監督の作品数と一致するという情報も見かけます。
確かに、そういう遊び心も込められているかもしれませんね。管理人的には、そうであったとしても、仮にそうでなかったとしても、そこは宮崎駿監督の遊び心なのかなという感じがしています。

でも、本当に伝えたかったメッセージももちろんあって描かれた重要シーンではあると思っています。

人は、ペンの先で積み木をつつくように、毎日、意味のあるようなないようなことに一喜一憂しながら過ごしていると。バランスを崩すかどうかを気にして、おびえたり、安堵したり、ほんの少しのことで疲れ切ったりする。

そんな姿を、このペンの所作で表している気がしましたね。

映画のシーンではありませんが、こんな話もあります。ある広い土地の右端に、砂の山が築かれている。人々はバケツで、その砂を左端へと運ぼうとしている。「それが終わったらどうするの?」と尋ねると、「また右へ戻すんだ」と答えます。そして、それを延々と繰り返していると…。

ある書物では、そんな風に、この世界で生きる人たちがやっていることは、実はとても無意味な繰り返しであると描写していました。

でもね、それと同時に、本当は、ほかにやるべきことがあるんだよとも教えていたんです。

この映画の大叔父の積み木のシーンも、きっとそれと同じ。眞人は大叔父のその行いを見て、積み木を壊さずに守ることが重要なのではないと気づきをえたかもしれませんね。いや、そこにたどり着いたときには、すでにそういったことの無意味さを少しわかりかけてきていたように感じました。

そして、大叔父は眞人を外へ連れ出します。そこに広がるのは、宙に浮かぶ石たちと、眞人が最初に足を踏み入れた、あの海の世界。それは、大叔父が石との契約によって築き上げた世界でした。

ネット上では、「石=意思」だという説も見かけますが、私もこの考えに、ものすごく共感しています。

じゃあ、「石」との契約って、いったい何だったのでしょう?

私なりに考えてみると、意志とは、光を見るか闇を見るかを選ぶ心の力なんだと思うんです。

どちらを選ぶか。その選択こそが、意志そのもの。

大叔父は、光を見ない選択をして、その意志によって幻の世界を作り出しました。そして、それを眞人に引き継がせようとした。

しかも、それは血縁の者にしか引き継げないと考えていた。このあたりは、なんとなく、私たちにもなじみのある考え方かもしれません。

自分の命を後の世に繋ぎ、自分の成しえなかったものを託したい、という思い。

それ自体は、きっと悪いことじゃない。けれど――この映画では、はっきりと描かれていたように感じました。

光を見ない選択を続けた世界は、天国とはほど遠いものだった。

それが、この大叔父の築いた塔の世界だったのだと思います。

積み木を加えることへの誘いと、眞人の選択

そんな中、大叔父は眞人に言います。「君は、世界をもっと穏やかなものにすることができる」と。そして、白い積み木を差し出してくるんです。

これ、すごく一見すると良い話のように聞こえますよね。先人が作り上げたものを引き継いで、更にそれに積み重ねていく何かを受け継ぐということですものね。

でも私は、この誘いは、やっぱりエゴだと感じてしまったんです。もし、大叔父が眞人のことを本当に愛していたなら、自分の夢や世界を引き継がせようなんて、思わなかったはず。

ただ、眞人をありのままに愛する。それだけでよかったはずなんです。

眞人は、白い積み木を前にして言います。

「それは木ではありません。墓と同じ石です。悪意があります。」d

ここに、眞人がたどりついた深い英知がありました。

愛を求める選択以外に、正しい道なんてない。
それ以外の選択肢は、すべて悪意でしかない――
眞人は、そんなふうに感じていたのだと思うんです。

愛を選び取った眞人の覚醒

大叔父が願った「継承」は、もう果たされることはありません。
だって、眞人はもう気づいてしまったんです。

無意味な積み木を積み上げることに、意味はない。
意味があるのは、人を愛するという選択だけだと。

だから眞人は、積み木を加えることを拒みました。
そして、自分の中に芽生えた「愛する」という意志に従って歩きはじめたんです。

夢の中のやり取りが終わり、眞人は現実に戻ります。
目が覚めると、手錠をかけられ、インコたちに捕らえられていました。

この情景は、
眞人が自分の意志で大叔父の契約を拒否したという結果の象徴だったのかもしれません。

まだまだこれから、たくさんの試練や学びが待っている。
でも、それでも、眞人は、もうすでに、本当に進むべき道を選び取ったんだと思うんです。


アオサギが家に現れた意味

さて、話は少し戻りますが、
映画の冒頭、夏子の家にアオサギが入ってきたシーン、覚えていますか?

あのとき、夏子は「こんなこと初めて」と驚いていましたよね。

あの出来事は、きっと、
眞人が夏子の世界に新しい関わりをもたらしたというサインだったんだと思います。

眞人がいなければ、アオサギは家の中まで入り込むことはなかった。
それだけ、眞人の存在が、夏子の世界に影響を与えていたんですね。

人と人とのつながりは、ほんのわずかなきっかけから生まれます。
それは時に、しがらみや束縛のように感じられることもあるけれど、
愛をもって向き合えば、それは素晴らしいものに変わるんですよね。


インコ大王と血のつながりの問題

塔の中で、インコ大王がこんなふうに叫んでいました。

「血のつながりがわからぬか!」

このセリフには、すごく深い意味が込められていると思います。

血縁があれば愛せる。
血縁がなければ、なかなか愛せない。
そんな、私たちの中にある「当たり前」とされる価値観に、
この映画はそっと疑問を投げかけていたんじゃないでしょうか。

血のつながりを特別視することが、
どれほど愛を制限してしまうか――
それを、少し皮肉を込めて描いていた気がします。

でも眞人は違いました。

ヒミも、キリコも、アオサギも、
誰一人区別することなく、友達だと言いました。

血のつながりなんて関係ない。
心と心でつながることが、いちばん大事。
眞人はちゃんと、それを選び取ったんですよね。


大叔父の心のざわめきと、塔の崩壊の予兆

その一方で、大叔父の心にも変化が起きはじめていました。

石がざわめき、塔の世界が不穏に揺れ始めるなか、
大叔父はこう言います。

「時間をくれ」と。

それは、自分の築いた世界が崩れ始めていることに、
うすうす気づいていたからじゃないでしょうか。

大叔父は、自分の選択――光を見ない世界――にずっとしがみついてきた。
でも、眞人の愛にふれたことで、
その心が、ほんの少しずつ、ほどけ始めていたんです。

眞人だけじゃなかった。

大叔父自身も、愛に向き合いはじめていた。

だからこそ、塔の崩壊は、ただの破壊ではなくて、
新しい世界へのスタートラインだったのかもしれません。


13個の石に込められたもの、そして眞人のこれから

映画の中では、「13個の石」が世界を作る、というセリフがありました。

ネットでは「宮崎監督が積み上げた作品の数」とも言われているみたいですが、
私は、それだけじゃない気がしています。

もし、あえて13という数字に意味を込めるなら――

13人それぞれに、無条件の愛を向ける。

そのことこそが、本当にこの世界を豊かにしていくんだと、私は思うんです。

眞人は、
ヒミにも、キリコにも、アオサギにも、
血縁なんて関係なく、愛を向けた。

友達だと言い、受け入れた。

それは、誰も排除しない世界への小さな一歩だったんだと思います。

この眞人の選択こそが、
新しい穏やかな世界を生み出すための希望だった――
私は、そんなふうに感じました。


まとめ

『君たちはどう生きるか』は、
単なるファンタジーでも、単なる成長物語でもありませんでした。

これは、
「誰かを愛する勇気」を持つ物語だったんです。

血縁やしがらみを超えて、
心と心でつながる勇気を持つこと。

それが、ほんとうに新しい世界を作るために、
私たちが選び取るべき道なんだよ――

この映画は、そんなふうに、
優しく、でも確かに語りかけてくれていた気がします。



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