『君たちはどう生きるか』で伝えたいことや意味を考察!石の意味やワラワラにペリカンまで、難解といわれる理由を深掘り!【ジブリ映画】

この記事はネタバレ情報やあらすじを含みます。映画を未視聴の方は特にご注意ください

『君たちはどう生きるか』って、なんだかフシギな映画でしたよね。

美しいけれど、ちょっと怖くて、わかりそうでわからない――でも心の奥には、確かなものが残る。

いったいこの作品が、本当に伝えたかったことは何だったのか?今回は「愛とエゴの選択」という視点から、
ゆっくり紐解いていきたいと思います🌿

目次

映画『君たちはどう生きるか』が本当に伝えたかったこととは?

この映画を観たあと、なんとも言えない気持ちになった人、多かったんじゃないでしょうか。

なんだかすごい世界だったけど、でも…結局何を伝えたかったの?って、モヤっとしてしまったり。

私も最初はそうでした。でもね、いろんなことを調べて考えていくうちに、この作品が伝えたかったのは、すごくシンプルなメッセージだったんだなって、思うようになったんです。

それは、「あなたは、愛を選びますか? それともエゴを選びますか?」っていう問いかけ。どう生きるか、っていうのはつまり、日々の小さな選択の積み重ねで、どっちの方向を選んで生きていくかってことなんですよね。

映画の中でも、眞人はたくさんの葛藤を抱えながら、最後には「愛を選ぶ」っていう選択を、自分の意志でしていきます。

この世界は完璧な秩序の中にある――そんな風に思いたくなるけど、実は、最近では「この世界は心が作り出した幻想なのかもしれない」と言われることも増えてきています。

その中で、何を選んで生きるか。それこそが、「君たちはどう生きるか」の本当のテーマなんじゃないかなって、私は思っています。

石(意思)が象徴していたもの|エゴとの契約とは?

映画の中にたびたび登場した「石」。あれって、ただの不思議なアイテムではないですよね。

石はね、心がかつて自分で選んだ「光を見ない」という選択を象徴してるんだと思います。人の心は、本当は愛と光に満ちた存在なのに、遠い昔、自らの意志でそれに背を向けてしまった――そんな選択の痕跡が、「石」という形で描かれていたんじゃないでしょうか。

そして、大叔父はその「石」と契約して、自分の世界(=エゴの積み木)を築き上げてしまった。

人は、努力して、積み木のようにいろんなものを積み上げていくけれど、それがどれだけ立派に見えたって、
本当に求めているのは「積み木」じゃない。――愛を選ぶこと、それだけなんですよね。

眞人が夏子を赦し、父を赦し、そして自分の心を開いていったときに、積み木の世界(エゴの象徴)は音を立てて崩れ去ったように感じました。

愛を選ぶことでしか、本当の創造は始まらない。そんなメッセージが、静かに、でも確かに伝わってきました。

なぜ難解に感じるのか|ワラワラやペリカンが象徴したのは何?

正直、この映画って「難しい」って思った人、多いですよね。 でも、それにはちゃんと理由があるように感じます。

この世界って、 一見すごく秩序立って見えるけど、 実は、心が作り出した無秩序な幻想の世界だ―― そんな考え方も、最近では少しずつ広まりつつあります。

だけど、普通に毎日を生きている私たちにとっては、 そんな話、なかなかすぐには受け入れられないんですよね。

だって、目に見えるこの世界が「ウソだ」なんて言われたら、 びっくりするし、怖くなってしまうのも当たり前です。

だからこそ、宮崎駿監督も、 物語をまっすぐ伝えるんじゃなくて、 あえて、夢の中みたいな不思議な世界を通して、 そっと、私たちの心に問いかけてきたんじゃないかなって勝手な想像をしています。

この映画は、誰かに「正解」を教えてもらうためのものじゃない。 見た人それぞれが、自分の心で感じて、自分のペースで考えるもの。

そして、もしほんの少しでも愛の方に向かうことができたなら―― それが、「君たちはどう生きるか」の答えになるんじゃないかなって、私は思っています。

ここで、ちょっと印象的だったシーンについても触れておきたいです。

黒い人たちが舟を漕いでいたり、 ワラワラと呼ばれる白い光る存在たちが宙に舞っていったり、ありましたよね。

ふわふわ漂うワラワラたち、 最初は「生まれる前の純粋な魂かな?」って思ったんですが―― 実は、そう単純なものじゃないのかもしれません。

最近では、 「本当に光を見ている心は、この世界に生まれ出ようとすらしない」 そんな考え方も聞かれたりします。

だから、あのワラワラたちは、体を持ってこの分離の世界に生まれ出ようとする、すでに“分離を選んだ心”を象徴していたのかもしれないなと感じました。

そして、ペリカンたちは、 そんな迷った心を取り込もうとする存在―― 「分離を深めてしまう危うさ」をリアルに教えてくれていたように感じました。

このシーンには、**生まれること、形を持つことの裏側にある”心の選択”**という、
とても深いメッセージが込められていたのかもしれませんね。

映画を見ながら、「わかったような、でもやっぱりわからない…」そんなモヤモヤを感じた方もきっと多かったと思います。

管理人自身もそうなんですけど、でも、それでいいのかなって気がしています。

この世界の“本当の仕組み”は、頭で理解するものじゃなくて、 心で少しずつ感じ取っていくものかしら。

『君たちはどう生きるか』は、 そんな”心の扉”をそっとノックしてくれるような、 そんな映画だったんだなって、今では思っています


眞人が「夏子母さん」と呼んだ意味|愛を選ぶということ

映画の中で、いちばん心に響いた場面がありました。眞人が、夏子に向かって「夏子母さん」って呼んだシーンです。

最初、眞人のとった夏子に対する距離感って微妙でしたよね。それも当然で、大切な母を失った悲しみ、父が別の女性と結婚したことへの戸惑い――子どもなりに、いろんな気持ちが渦巻いていたはずです。

でも、旅を通して眞人は学んだんでしょうね。目の前の人を、エゴの目じゃなく、愛の目で見ようとすること。

「夏子母さん」って呼んだとき、眞人は、夏子を憎しみでも怒りでもなく、愛で受け止めたんです。

この小さな選択が、彼自身を救い、周りの世界をも変えていく力を持っていましたね。

愛を選ぶか、エゴを選ぶか。その選択はいつだって、自分自身に委ねられている。この映画は、そんな大切なことを、教えてくれたように思います。

愛を選ぶ勇気|この世界で生きるために

この映画を見ていて、ひとつだけ、どうしても心に残ることがありました。

それは、「選ぶ」っていうことの重みです。

世界はいつだって、私たちに選択を迫ってきます。愛を選ぶか、エゴを選ぶか。どちらを選んでも、生きていくことはできるけど――愛を選ぶには、少しだけ、勇気がいる。

だって、愛を選ぶって、自分の傷ついた(ように感じた)心を、もう一度開かなきゃいけないから。誰かを赦すって、簡単だけど、簡単なことじゃないから。

でもね、眞人は選んだんです。過去を赦して、父を赦して、夏子を赦して、もう一度、誰かを信じることを。

眞人が選んだのは、積み木を積み上げることじゃなかった。指や、腕や足や、体を使って何かをすることを、眞人は選ばなかった。ましてや、誰かをコントロールしようなどということは選ばなかった。

眞人が選んだのは誰かを大切に思うこと。そして、その愛を、自分の心にちゃんと根付かせることだったように思います。

世界は、私たちがどんな目で見るかによって、いくらでも変わっていきます。

もし、これから先、「どう生きたらいいんだろう」って迷ったときがあったら――眞人のように、
小さな一歩でもいいから、愛を選んでいけたらいいなって、そんな風に、私は思っています。

まとめ

『君たちはどう生きるか』が描いたのは、「愛を選ぶか、エゴを選ぶか」というテーマだったんじゃないかなと感じました。

石は、心がかつて「愛の光を見ない」という選択をした象徴だった。

難解と感じたのは、世界の無秩序さや幻想性が描かれていて、それがこの世界の本当の姿かもしれないと考えたとたんに、きっと心は混乱を極めてしまうのでしょう。私はそんな風に感じました。

本当に変えるべきなのは“外の世界”ではなく、“自分の心の選択”だった。

眞人は夏子を赦し、愛を選び取ることで、新たな世界を生み出した。

この映画は、一見とても難解に思えました。でも、実はとてもシンプルな問いを私たちに投げかけているようにもかんじました。(5回ほど見てそんな風に感じるようになりました(笑))「あなたは、これから何を選びながら生きていきますか?」と。

それは、誰かと比較する必要もない、自分だけの静かな選択。

この映画に心を惹かれたあなたは、きっともう、その扉の前にd立っているのかもしれませんね。

今日も最後までご覧いただいてありがとうございました。

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