あのセリフ、覚えてますか?「あなた、もう一人女の子を不幸にするつもりなの?」「ずるいのね、いつもそうするのね」
直感的に、なんか深そう…って感じさせるジーナのことば。たったひとことの中に、何年分もの苦しみと諦めと、それでも消えない愛情がぎゅーっと詰まってる感じがプンプン。
今回はそのセリフの裏にある、ジーナとマルコの過去、そしてふたりをとりまく人たちの“見えない想い”を、ぐっと掘り下げて考えてみました。
「あなたもう一人女の子を不幸にするつもりなの?」──“最初の一人”は
「もう一人」ってことは、最初に不幸になった“女の子”がいたってこと。それは他でもないジーナ自身ですよね。
今、フィオは賭けの賞金代わりに、カーチスに奪われてしまうかもという状況に陥っています。マルコはカーチスと殴り合いの激闘の末、カーチスと共に水没しています。カーチスより先に立ち上がらなければ、フィオはカーチスのもとに行かなければなりません。フィオは真に愛する人の元へ嫁ぐことができないという不幸。
もう一人の不幸、ジーナの不幸はこんな感じだったのでは… 戦争が起こるよりずっと以前、当時マルコ(ポルコ)とジーナは、お互いを想っていた。そんなの、ふたりだけじゃなくて、まわりの古い友人たちにもきっとバレバレだったはず。
でもそのジーナが結婚したのはマルコじゃなくて、戦友ベルリーニ。これ、ただのすれ違いなんかじゃなかったんじゃないかなって思うのです。
マルコは戦時中、嵐の海で敵兵を助けるという行動に出ます。それってもう、人としては正しいんだけど、軍からすれば裏切り行為。
その後マルコは軍に追われる立場になったことは疑いないですよね。そして、そんな“危ない人”の恋人というだけで、ジーナにまで危険が及ぶ…そう周囲やマルコは考えたんじゃないでしょうか。
そこで、ジーナの友人やベルリーニたちは、ジーナを守るために“盾”となるための結婚を選んだということじゃないかと思うんです。
終戦間際の夏、急いで行われたその式は、戦争が終わる前にジーナを安全な立場に置くための決断だったんじゃないかと私は思うんです。なぜって、終戦を迎えると、軍もあいつが悪い、こいつが悪かったとかやりだしそうじゃないですか。
マルコは、自分のせいでジーナが危険になることを悟り、彼女の未来のために一歩引いた。そしてベルリーニも、そんなマルコの気持ちをわかっていたうえで、ふたりの間に敢えて入った──そんな“心傷むような決断”があったように思えてならないんです。もしかしたら..二人目、三人目の旦那さんも同じ思いだったのかも
「ずるいのね、いつもそうするのね」──高潔な人に置いていかれる悔しさ
「ずるい」って、普通は否定的な言葉。でもジーナがマルコに言い放ったこのセリフは、ちょっと違う。そこにあるのは、湧き上がろうとする寂しさと怒り、それらを押し殺して何とか上がってこようとする…マルコへの愛なんじゃないかと思うんです。
マルコは、時代に流されることなく、人として当たり前の優しさを貫いた人。でもその「当たり前」が、実はとっても“異常”な時代だった。
だから彼の行動は、結果的に誰とも共に生きられない孤独な選択になってしまった。
「何もしてないのに捕まるなんて、おかしいわよ」「俺もそう思う」──このセリフは、フィオが飛行艇を運ぶために用意したトラックの中でポルコ(マルコ)とかわしたものですが、このセリフに、マルコ自身の苦い諦め(?)や思いがにじんでましたよね。
ジーナの「ずるい」は、そんなマルコの生き方に対する“やりきれなさ”だったんだと思います。一緒にいたくても、当たり前に誰に対しても優しさを手向けた彼のそばにいることは、時代が許さなかった。その悔しさが、あの一言に込められていたんじゃないかな。
でも、マルコにとっては、その生き方は人として”理想的”なものでも何でもなく、人として当たり前の行動や生き方だったんだと思うのです。ジーナにもそれはわかっていて、表現できない悔しさがあったのかもしれませんね。
マルコがジーナを手放した“本当の理由”──それでも貫いた信念
マルコがジーナを遠ざけたのは、恐れたからじゃない。逃げたわけでもない。むしろ、誰よりも信念を大切にしていたからこそ、自ら“人間の世界”から一歩退いたんだと思います。
戦時中、敵兵を助けたマルコの行動。それは心からの優しさだったけど、時代がそれを許さなかった。ジーナを危険に巻き込むことになる──その現実を受け入れて、彼は黙って身を引いた。そして、もしかするとその頃から、自分が“豚の姿”になるような予感があったのかもしれません。(※この変化の理由は別記事「紅の豚のポルコはなぜ豚になった?」で詳しく書いています)

豚の姿は、今この一瞬一瞬、周りとは違う選択をしているという心の状態を表した象徴なのかもしれませんね。この一瞬の思いが多少ブレた時…人間の顔に戻っていたりして..
話し戻して、マルコはジーナを愛していなかったわけじゃない。でも、彼女の未来を守るためには、自分が離れるしかなかった──そんな苦しい選択が、マルコにはあったんじゃないかなと思います。
ジーナが島に暮らした理由──離れないための“最後の距離”
ジーナが、あの島のホテルで暮らしている理由。それは、マルコから完全に離れないための“ぎりぎりの距離”だったんじゃないかな。
マルコに近づけば危険。でも、完全に離れるなんてできない。だから、マルコがふらっと現れるかもしれないその島で、彼を待つことを選んだジーナ。
それは、ただの未練でも執着でもない。「一緒に生きる」ことはできなかったけど、「そばにいること」はまだできる──そんなジーナなりの最大限の愛だったように感じます。
フィオに託された想い──“また同じことを繰り返すの?”という怒り
そして最後のシーン。マルコはフィオをジーナの飛行艇に乗せて逃がそうとします。それは“守るための行動”に見えるけど、ジーナにはもう、見過ごせなかった。
かつてマルコはジーナを守るためにベルリーニという飛行艇にジーナを預けた。そして今また、同じようにフィオを遠ざけようとする。
だからこそ、ジーナは言ったんです。「ずるいのね、いつもそうするのね」って。でも、ずるいというのは真意でもないし、ジーナの心の中を正確に表現した言葉でもなかった。あまりに複雑な世の中によって、心もあまりに複雑になって、その心を瞬時に表現することが難しかったんじゃないかな。
思いついた言葉、過去からのいら立ちを表現したかった言葉が、ずるいのねという言葉だったというだけ。本当は、お互いにつらい思いをしたよね、今はもう少し寄り添いたいの。気持ちだけじゃなくって、形の上でも。私の時の事もわかってるわよね。今のフィオを見たら、もっとわかりやすいかもね。今のフィオはあの時の私と同じ。もっとそばにいたいの。そんな気持ちを伝えたかったんじゃないかなと妄想しています。
まとめ|マルコの“正しさ”は、誰かの“孤独”でもあった
まとめ|「ずるいのね」は怒りじゃなくて、ほんとは…寄り添いたかっただけ
ジーナが口にした「あなた、もう一人女の子を不幸にするつもりなの?」「ずるいのね、いつもそうするのね」っていう言葉。一見すると怒りに聞こえるけど、その奥にあるのはもっとずっと複雑で、やりきれない感情だったんじゃないでしょうか。
マルコの“正しさ”は、いつだって誰かを守るためのものでした。でもその正しさのせいで、ジーナは愛する人と一緒に生きる未来を手放さざるを得なかった。そして今また、同じようにフィオまで遠ざけられそうになっている──その“くり返し”が、たまらなく苦しかったんだと思います。
「ずるい」って言葉は、ほんとは言いたかったこととはちょっとズレてたかもしれない。でも、心の中がいっぱいになって、言葉が追いつかなかったんですよね。ほんとはね、「今回は離れないで」って言いたかったのかも。「ちゃんと、こっちを見て」って。あのときの私も、今のフィオも、同じなんだからって。
そう考えると、あのセリフ、ちょっと泣けてきませんか?ジーナの本当の気持ちが、聞こえてくるような気がします。
今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。
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