『ニュー・シネマ・パラダイス』トトとアルフレードの絆、そして“郷愁”に揺れ動く人の心…。なかでも気になるのが、アルフレードが語った“王女を99日間待ち続けた兵士”のエピソード。なぜ彼は、あと1日で願いが叶うその夜に立ち去ってしまったのか? トトとアルフレードの相関図をたどりながら、この物語を引用して投げかけてきた問いを、一緒にたぐっていきましょう。
相関図①|トトとアルフレード──映画館に宿った“親子以上”の絆とは?

この映画って、人生の郷愁を描いているとか評されているわよね。主人公のトトとアルフレード。トトが子供だった頃に築いたアルフレードとの絆。
トトが大人になって、それも映画監督としての成功を収めていたある日、耳にしたアルフレードの訃報。
そんなシーンから、過去を振り返るととなんだけど、実は、アルフレードがトトに必死になって伝えようとしていたのは、過去を振り返るなってことだったのよね。
アルフレードはトトに成功者になってほしかったのよね。
アルフレードたちが住んでいた町には、過去への郷愁、ありもしない現実を映画の中に見て心の慰めとしているような人ばかりがいるって思っていたようなの。
確かにね、なんだか実生活では不満ばかり抱えていそうな人たちが、映画館にその憂さをはらそうと、やってきているような感じがあった。
だからアルフレードはトトに、街を出て行けってしきりに勧めるのよね。
つまり、アルフレードの頭の中にはこういう公式が出来上がっていたようなの。郷愁にひたったり過去にしがみつこうとする人=成功できない人。
でも、それって、普通の人にはなかなかできない事よね。
それを実践させようというんだから、アルフレード自体にも相当な覚悟みたいなものが必要だったはず。
そこまでの負担を背負ってまで伝えてあげたいっていう関係はどこで出来上がったのかしら。
トトがアルフレードの勤め先、映画映写技師として働いているその場所にやってくると、アルフレートは出て行けって言っていたわよね。
なんか最初、このおじさんはあのくりくりっとした少年のこと嫌いなんだって思ったもの。
まあ、確かに鬱陶しいなくらいには思っていたかもしれないわね。
それも、人間の相関関係と呼べなくもないわね。
そういったものでも、何かの拍子に別の感情を引き出すことがあるかもしれない。
映画を見に来ていたトト、でも、それはお母さんには内緒というか、買い物を頼まれてお母さんから預かったお金を使いこんでしまったみたいなの。
それが、映画館を出たところでバレてしまって、文字通りお母さんにボコられてしたったトト。
そこにたまたま通りがかったアルフレードが、機転を利かして丸く収めるシーンが描かれていた。
もうとってもナイスなアルフレード。それに、ちゃんとその機転に気づいているトトも、なかなかに優秀で、その二人の関係にちょっとほっこりするシーンが描かれていた。
でも、まだまだその子の一生を一緒に背負ってあげようと思うほどの関係性にはまだ至っていないわよね。
これから徐々に、その関係性が深まっていくということかしら。
ところで、人生の成功のためには、郷愁にひたるべきではないとアルフレードは考えていると思うんだけど、それはすなわち、過去を見るなといっているのよね。
確かに、自分の日常を振り返っても、過去に思いをはせると、それがとてもいい出来事であったとしても、郷愁という言葉が似合うような寂しさみたいなものを感じるのはなぜなのかしらね。
でも、成功のためには、そんなところにひたっているべきではないというアルフレードの考えに、ママは賛成。
アルフレードはそこまでわかっていたのに、自分には学がないとかなんとか、そんなことが彼の人生を、思い通りにならない人生という枠にとどまらせてしまったみたい。
少なくとも彼はそんな風に考えていたのよね。
トトとアルフレードの絆が強くなっていく出来事は、日常的の起こっているみたいね。
トトはアルフレードに「友達になろうよ」って誘うの。
あんな小さな子供があの巨体で、しかも年齢だってもう相当行っているアルフレードに友達になろうって言う?それが言うのよね。
友達になろうよって、普通に考えると、その二人の間に共通点を見つけ出したってことよね。
二人の間の共通点。それはもちろん映画よね。
でも、アルフレードは、内心はどう思っていたんだか知らないけど、少なくともトトの前では、映画の映写技師みたいなものにはなるなとか、なんか映画自体を否定しているようなことを言っていたような気がするけど気のせいかしら。
それに対して、トトは明らかに映画が好き。映画好きが映画嫌いな人に友達になろうっていうかしら。
つまり、アルフレードはやっぱり相当な映画好きで、それはトトにも伝わっていたってことかしらねエ。
相関図②|映写技師になるなと言いながら…
その後もトトとアルフレードの絆は少しづつ深まっていくようね。
アルフレードはね、映写技師の仕事なんか、トトがやりたいとか言い出さないように、とってもつらい仕事だって言い続ける。
だけどね、本音のところが出てきちゃうのよね。
ここにみんなが映画を見に来て、笑ったり喜んでいる姿をみると、自分が喜ばせているように感じるんだって。
そして、トトにとってはそれがとてもうれしかったみたい。
そんな本音のところの思いがトトに伝わっていたに違いないわ。
ある時ね、小学校卒業のための試験をうけにアルフレードがトトたちの学び舎にやってきた。
試験に臨むアルフレードなんだけど、さっぱりわからないみたい。
斜め前に座っていたトトに、テストの回答を見せろってせがむの。最初はイケずしていたトトだけど、最後にはアルフレードのカンニングを手伝ったの。
こんなこともきっかけになって、アルフレードはトトに映写技術者としてのノウハウを教え始めたの。
でもある日、とんでもない悲劇が起こった。
日常の娯楽として映画が大人気のようなんだけど、人気が高すぎて映画の会場には入れない人が大勢いた。
そんな人たちにも映画を見せてあげたいと、アルフレード、屋外に映像を投影し、みんな大喜び。
だけど、その途中、フィルムが突然燃え出して、映画の上映をしていた建物は消失、アルフレードも大やけどで視力も失ってしまうことになってしまったの。
映画を主宰していたのは、神父さんだったんだけど、もう映画を上映する場所もない、この町から娯楽がなくなってしまうと嘆いていた。
でもね、街のお金持ち、とはいっても、サッカーくじの当選者のにわか金持ちなんだけど、その人は、この映画のタイトルにもなっている映画館、ニューシネマパラダイスを建設してくれたの。
街の映写技師であるアルフレードに変わって登場するのは、そう、トト。
今度はお母さん公認。トトの家はね、お父さんを失ったばかりなの。
家は、遺族年金で食いつながなければならない状況。
トトが映画と関わることをひどく嫌がっていたお母さんだけど、今では、トトが映写技師、とはいっても、闇だとはおもうんだけど、働いて収入をえてくれるということから喜んでいるのよね。
トトは、自分の職場、映写室を突然訪れてくれたアルフレードの姿に大喜び。
アルフレードは視力を失ったんだけど、以前よりもずっと物事の真の姿が見えるようになったというの。
その彼がトトに言うの。こんなところで映写技師としてとどまっていてはいけないって。
もっと大きなことをやるんだって。その姿が見えるっていうのよ。
実はね、先の火事、トトが命をはって助け出さなければ、アルフレードはあの現場で間違いなく死んでいたの。
トトは、炎に包まれる建物の中に飛び込んで、アルフレードを救い出した。
その時にね、トトとアルフレードの間の、一生の絆が完全なものとして築き上げられたように感じるわ。
トトとアルフレードの関係は、トトを演じる役者さんが子供から青年になる形で表現されるほど、長い間続いたの。
その頃には、アルフレード、物事の本質が見えるようになるという心の目が動き出したというレベルを超えて、普通なら目で見ないとわからないようなことまで察知できるようになっていた。
相関図③|兵士はなぜ最後の日に立ち去ってしまったの?
今更なんだけど、トトの本名はサルバトーレというの。
サルヴァトーレは、エレナという青い目をした女性に恋をする。
でもね、この恋は、実ることはなく、恋をしてしまった男性は、袋小路に入り込んでしまうっていうの。
アルフレードが引用した映画のジョン・ウェインのセリフらしいんだけど。
街で見かけて以来、彼女の虜になっているアルバトーレ。
ある日、勤め先の映画館の近くを通りかかったエレナの姿に気づき、慌てて走って彼女の元へ。
思いを伝えたかったのよね。地中海の方に住む男性だものね。きっと思いのたけを表現する天賦の才をもっているはず。
期待してみてるんだけど、わざわざ呼び止めて、彼が言った言葉はいい天気だねって。
なるほど~。何か心の中に灯ったものを伝えなければならないっていう衝動は強いんだけど、それをうまく表現するのには、彼らにとってもやっぱり修練が必要ということなのかしらね。
それを聞いたアルフレードは、「やっぱり、青い目は手ごわいだろ」って。
いや、手ごわい以前に、何も言葉にできていないし(笑)。
彼を励ますつもりかどうなのかよくわからないんだけど、アルフレードはサルヴァトーレにある話を聞かせるの。
ある話といっても、「昔々…」で始まるような話よ。
だから、本当の話なのかどうかは分からない。そのお話はこんなお話し。
ある王様がパーティーを開いたの。そこを護衛していたある兵士が王女を見かけたというのね。
王女は、パーティーに集ってきた多くの貴婦人たちの中でも一番美しかった。
兵士はその王女に恋をした。兵士の立場だからね、身分の違いというのもあって、簡単には声なんかかけられるわけもないんだけど、今のサルバトーレのように抑えられないものが心の中に芽生えてしまったんでしょうね。
ある日ね、ついに告白したの。あなたなしでは生きていけないって。
王女は、その男の思いの強さに驚かされてしまい、こんな風に男に伝えたの。
「100日の間、昼も夜も私のバルコニーの下で待ってくれたら、あなたのものになります」って。
これって、どうなん?って。その当時なら、そんな言葉って、なんか響くものがあったっていうの?
もちろん、その兵士からしたら、100日、そうすればその女性と一緒にいることができる!って、きっと喜んだとは思うのよね。
実際そうしたらしいんだけど、でも、実は、99日、必死の思いで、もうそれこそ体は干からびてしまうくらいの辛抱の末に、あと1日というところまできて、そこに座っていた椅子と共に引き上げて立ち去ったというの。
アルフレードはその話をこう締めくくったの。「なぜかはわからん。わかったら教えてくれ」って。
なんやそれ!わからんのかい!って話なんだけど、この映画の中で答えが示されるのか、もう少し映画を見続けてみるわね。
でも、何となく、わからんじゃないのよね。
99日で、彼は、もう死の間際まで行ってしまっていたのよね。なぜか涙が流れていたんだけど、涙を止める力すら残されていなかったって。
それは、肉体が欲するものを超越してしまった状態まで行ってしまったのかなって。
その状況で、その目が見て喜んだ過去のものに、もはや何の魅力も感じなくなっていた。
兵士は、王女の見た目だけに惹かれていたのよね。
言葉を交わすことはなかったんですもの。目で見ただけのものに、魅力を感じるというのはある種のまやかしのようなものなのかもしれないわね。
人はそれに心を奪われてしまう。もちろん、それは、例えば絵画のようなものとか、そういうものを否定しているわけではないの。
そこから、心に伝わってくる何かをとらえることができたかどうか。
その兵士は、王女から、自分の真の心をとらえる何かを感じ取っていたかというと、もしかすると何もなかったのかもしれない。
だから、自分は今まで何を欲していたんだろう…って、そういう感覚が芽生えたのかもしれないわね。
サルヴァトーレはエレナに思いを伝えることができた。
でも、その場で「好きではない」と瞬殺されてしまったの。
でもね、そのやり取り、ママ的にはちょっとよくわからない。だって、サルバトーレが思いのたけをぶつけたのは、1分以上くらいもあったように思うの。
その間ね、彼女は微笑んだりとか、それって受け入れているのかもって思えるようなそぶり連発なのよね。
これって、「好きではない」という言葉の前後の言葉が省略されていたっていうこと?
例えば、まだ心の準備ができていないの。今言われても、即答できないわ。とか。
そう感じたせいなのかどうかはわからないけど、サルヴァトーレはアルフレードに聞かせてもらった「昔々..」のお話の如く、エレナを待ち続けると伝えたの。
相関図④|話すことも黙ってるのも同じこと
彼は、嵐の日にだって彼女の家の下で待ち続けた。
もちろん、兵士とは違って、ちゃんと日常を送りながらだったんだけどね。
これが兵士とサルヴァトーレが行った彼女に対する想いの伝え方で異なっている点。
たぶん、彼は日常を保ち続けた、つまり、肉体は何とか維持していたせいで、彼女への思いを断ち切ることはなかった。
それも、お話のように100日ではない。カレンダーを見るが切り、半年以上もそうしていたみたいね。
でもその年の大みそかの夜、彼はいくらかの望みを抱えながら、彼女の家の窓を見ていたんだけど、窓は開くことはなかった。
彼は思いを断ち切ることができないまま、でも、もしかしたら諦めようとしていたのかもしれないわね。
アルフレードのお話とは違い、かれは、彼女を手に入れたいという熱い思いを抱いたまま、最後には彼女を手に入れることができたの。
彼女の方が彼の映写室を尋ねてきた。物語とは異なり、彼は、彼女への思いを捨てることがなかったし、彼女を手にも入れた。
アルフレードの疑問の答えを、サルヴァトーレはまだ自分自身で体験して理解することはなかったみたいね。
その後まもなく、エレナは引っ越し、サルヴァトーレは軍隊配属。
会えない日々が、彼らを文字通り引き裂いた。
軍隊から戻ったサルヴァトーレだったけど、そこに自分の居場所はなかったみたい。
でも一人だけ、温かく迎え入れてくれた人がいた。アルフレード。
でも、彼にも何かあったのか、外出することも無くなり、サルヴァトーレにこんなことを言っていた。
「話すのも黙ってるのも同じことだ。黙っている方がいい」。
あれ以来、彼女と会えなくなっていたサルヴァトーレに気遣いの言葉もかけていた。
そして、村を出ろと。この町に居てはいけないという思いがあったみたい。
物語の兵士は、王女への思いを断ち切ることができた。
でも、サルヴァトーレはそれができずにいる。
きっと、言葉を話すことがなくなり、アルフレードは物語の結末の答えを自分で理解したんじゃないかと思うの。
そこには何もないって。
あれだけ手に入れたいと思っていた「王女」だって、時が過ぎればそこには何も残らないただの幻だったということに気づく。
でも、体の思いに振り回されている間、その幻に夢中になり、別の大切な何かを失っている。
アルフレードにとっては、言葉もまたただその時、宙を舞うだけの虚しいものとして捕えられていたのかもしれない。
それよりも、アルフレードにとっては、サルヴァトーレを思う思いやりの気持ちだとかそういうものの方が大切だって、そんな風に感じられたんじゃないかな。
アルフレードは目を失い、周りのことに心奪われてしまうことが少なくなり、大切なものに気づいた。
アルフレードはサルヴァトーレに、「お前は私と違いまだ盲目だ」みたいなことを言っていたわね。
何かに心奪われてしまっているサルヴァトーレを案じた言葉だったのかも。
その地を離れ、ローマに行くことで夢を見ろって。それが一番いいとはアルフレードも思ってはいなかったんだと思う。
でも、自分のように、盲目になって大切なものがみえるようになれなんて言えるはずもない。
ローマでの忙しい日常、夢を見させてくれる日常が、ある意味盲目にしてくれると感じたのかもしれない。
それが、アルフレードが体験したように大切なものを見せてくれるわけではなかったということは、後にサルヴァトーレも体験するわ。
映画監督になって、富を得て、でも、どこか空虚な毎日を送っているように感じる。
そして、アルフレードがなくなったという話を聞き、再びその地を訪れた彼は、そこにアルフレードの姿は見ることができなかったんだけど、ずっとアルフレードに対して抱いていた彼を大切にする思いとかそういうものを思い出し、その気持ちこそが大切だったんだと気づいたんじゃないかな。
アルフレードはがサルヴァトーレをローマへ見送る時にかけた言葉「自分のすることを愛せ 子供の時 映写室を愛したように」って。
彼はもちろん「自分を愛してくれたように」とは言わなかった。
その代わりに、彼が間違いなく愛していたもの「映写室」というもので、愛を伴った気持というのがどんなものだったのか、いつも、その状態でいることがどれほど大切かということを伝えようとしたんじゃないかな。
映画監督になって、成功を収めたのち、彼は生まれ故郷を訪れた。
知ってる人がいなくなったのに、「何も変わらない」とつぶやくサルヴァトーレ。
それは、昔、村を出る前に抱いていた幻の数々に心奪われていた自分の心の状態、その状態から感じ取る虚しさのようなものが、映画監督として成功を収めた今でも、昔と変わらず心に去来してくるといっているのかな。
30年ほども離れていたのに、何も変わらないって。
そりゃそうよね。彼が感じているのは、見える景色からのものではなくて、心が抱え大事にしまい込んできた思い。
アルフレードは、その心が抱え込んでいた思いから離れなさい、そのために、ローマに行って、決して戻ってくるんじゃないと言ったんじゃないかな。
でも、それだけでは、彼の心に埋め込まれた虚無感のようなものを取り去ることはできなかった。
それを取り除くためには、そこに光を当てなければならなかったのよね。
エレナとの出会いをただ嘆くのではなくて、その出会いによってもたらされたものなどに想いをはせて、そこに光を見出さなければ、「何も変わらない」のよね。
サルヴァトーレのお母さんが言うの。電話をするといつも違う女性が出る。
でも、その女性たちから愛を感じることはなかった。
続けてサルヴァトーレにこういうの。お前が誰かを愛して、落ち着いてくれれば。。って。
誰かを自分のためではなくて、その人自身の幸せを願って愛する時に、その人も、同じように愛を返してくれるでしょう。
いまだ、寂しさにとらわれている我が子をおもって、周りにいる人のことを愛しなさいって言っているのね。
まとめ|儚く消えるカタチあるものと、いつまでも存在してくれるもの
人はみんな、幻を追って、幻を手にして、そしてそれを失う時にまた悲しむ。でも、そこに本当の愛を感じていた人は、悲しむこともないし、その愛した思いだけは消え去ることもない。
エンディングでは、儚く短い時間映し出されては消えていく映画の中のたくさんのキスシーンが描かれ続けたんだけど、それらのカタチはいつか消えてなくなってしまうもの。
でも、そこに、本当に相手を思いやる気持ちがあれば、それはいつまでも、その人たちの心の中に光を灯し続ける。。。そんなことがようやくわかって、その映像を見ながら涙し、笑うサルヴァトーレが描かれていたのかなって思いました。
今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。


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