ウィッシュって、英語で意味は「願う」って言うような意味よね。どちらかというとママにとっては得意分野、簡単に読み解けると思っていたんだけど、意外に難解だったの。
なんでかな~ってちょっと考えながら観てみたので、子供向けアニメーションにしてはちょっとわかりずらいと思った方には考察の参考にはなるかもしれません。
相関図①|願いを守ってもらうもの?

イントロでね、お話の背景の説明があるんだけど、この時点ですでに理解がついてけない部分があったのよね。あるところにね、願いより大切なものはないって信じる若者がいたって言うの。
それはそれでいいのよね。あ、そうですか。あなたには「願い」が大切なんですねって話だけだから。
その願いというのはその人を作り上げるような願いだって言うの。
つなり、自分はあんなふうになりたい、こんな風な人になりたいっていうような願いのことでしょ。
まあそこまでは、そんな志を持って生きている人も大勢いるわよねって理解できるの。
でも、この若者は、その願いをもち続けることがとても難しいからって理由で、そうできるように魔法を身に着けた。
そして、その力を、同じように願いをもち続けることに苦労している人のためにも使っていこうと思い立ち、彼の王国みたいなものを築いたっていうのね。
で、最初このあたりまで何気に聞いていると、なんて善良な王様っていう風にも聞こえるの。
ただ、その彼が、お話が進んでいくと悪者になるんだけど、それはあるやってはならないことをやったから悪者になったっていう展開のようなのね。
でもね、既にこの最初の時点で、なんかおかしいのよね。
願いというのは叶ってこそなんぼのもんじゃない?
それなのに、願いをもち続けられるようにしてあげるって、言葉変えると、その願いはいつまでもかなわないようにしておいてあげるねって。
そういう王国を築いていたのよね。
彼、最初からなんかとんでもない考えをもった大悪党なんじゃないのって話なの。
ぞっとするのは、その王国にあこがれを持ってやってきた人が、「いつか願いを叶えてもらえる」と思って、進んで自分の願いをその王に差し出していたっていうこと。
少し混乱を招きやすいのは、「願いを差し出し、それを忘れてしまえば、スッキリしていいでしょ」って話になってるの。
これって、「欲」みたいなものを捨て去れば、幸せな気分になれるっていう話と混同してしまいそうな感じがしたの。
でも、この王が人から奪い去っていた「願い」というのは、明らかにどこかの誰かが笑顔になるような、自分ではない誰かのためを思っての「願い」なども奪い取って忘れさせてしまっていたのよね。
この王が善の王なら、結局は我が身を傷つけてしまうことになるような、自分勝手な願いなどは忘れ去らせてくれるとか、そういう風に描かれると思うのよね。
でも、この王は違ったの。
そして、ママの理解では、誰かのためを真に思う願いは、時間をかけることなく叶えられるもの。
でも、そんな思いをこの王に差し出してしまったために、その善良な願いが叶うことなく100歳を迎えてしまうというわかりやすい例として一人のおじいさんが登場するの。
主人公アーシャのおじいさんのサバ(サビーノ)。
もう一つ、今の子供たちにはわかりにくくなってしまうかも..と感じたのが、私たち世代にはあたりまえになっている「星に願いを」。
もちろん、今でも星というのは色々な幸せや運命の象徴として語られることも多いから、全然ダメという訳ではないの。
でも、今、ママ世代であっても、星といえばその正体があまりにも明らかになっているのよね。
激しく燃え盛る恒星であったり、反射で輝く惑星だったり。
星という言葉が出てくると、それに願いをかけあわされても、「いや、実際にはあんな燃え盛る星が願いを叶えてくれるとかそういうのってないよね。架空の話だよね」って。
何が言いたいかというと、ママ的には、願いが叶うというのは本当にある話だと思っているの。
でも、それは、恒星に願う訳でも、惑星にお願いするわけでもない。
星というのは真っ暗闇の中にあっても、その光を失うことなく、人にとっては永遠といえるくらい長きに輝き続けている存在を、暗闇に輝く光という共通点から引用されたものだと思っているの。
ママはね、その永遠の光というのは、みんなの心の中にあるんだと思っている。
ただ、いつも、真っ暗闇の方ばかり見ているから、その光は見えないし、その光は、この物語や多くの物語で語られるように、願いを叶えてくれる力を本当に持っているんだけど、そもそも、その光の方を見ようとしない、暗闇の方ばかりに目を向けているから、その光が力を発動させてくれることもない。
この物語にね、星形の妖精スターというのが描かれるんだけど、ママはこのスターこそが、みんなの心の中にいる光を表しているのかなっていう理解でこの映画を観てみたの。
相関②|サイモンはなぜ願いを差し出しつまらないやつになった?
サイモンってちょっと大柄な子がいたわよね。なんかいつもボーとした感じ。
18歳になったときに「願い」を王様に差し出して、それからこんな風になったっていわれていたわ。
「願い」って差し出すと、こんな風になっちゃうの?
願いを差し出して忘れてしまうなんてことが実際の世界ではまあないことだから、ここもちょっとわかりにくかったポイントよね。
「願い」っていう言葉があいまいだから余計にわかりにくい。例えば、プロ野球選手になって大活躍するっていう「願い」。
こういう願いって、自分のことばかり考えている願いだから、叶えてもらえない「願い」?
ママはね、そんなことはないと思うのよ。プロ野球選手になって大活躍してるっていうのは、何か別の「願い」が叶って、二次的に目の前に現れる現象じゃないかと思っているの。
多くのプロ野球選手で、本当に長い間、みんなに愛されながら活躍する選手には、ある共通点があるように感じるの。
それは、この人って、自分が活躍してかっこいいところを見てもらいたいとか、お金持ちになりたいとか、そんなことを「励み」に頑張ってきたわけではなさそうねって感じるの。
それがよく感じられるのは、インタビューの時とかに応える「チームが勝ってうれしい」とか「監督のために」とか、或いは、とんでもなくスマートに、いつそんなこと考えてたのかしらって思うくらい慈善活動や寄付みたいなことされていたり。
これって、当事者じゃない方から見ると、へえーって、お金たくさん入ったらそんなこともできるのねくらいに思ってしまうこともあるかもしれないけど、あれ、時間をかけて相当考えてないとできないことなんじゃないかなって思うのよね。
つまり、ずっと前から、普段から、どんな形でどんな風にどんな人たちの役に立ちたいかとか、考えてなかったら、そう簡単にできることではないと思うの。
何が言いたいかというと、彼ら活躍している人は、そういった周りの人が喜ぶところを考えて、そのために頑張ってきた。
毎日バットの素振りやるのはもちろんやるんだけど、そうさせてる原動力が、その行動よりずっと前に、誰かの幸せを願うみたいなところで生み出されて、大活躍というのは、その結果が「現象」として現れているんじゃないかと思うの。
サイモンが「願いを差しだして」つまらないやつになったってストーリーだけど、あり得るとしたら、自分の欲でギラギラしたところというのはなくなるかもしれない。
でも、この物語のように、誰かのためを思う願いも、王様が取り上げてしまって、その思いを元の持ち主はきれいさっぱり忘れてしまうことになるんだとしたら、確かに、サイモンを通して描かれたように、腑抜けのような存在になってしまうかもしれないわね。
相関③|王様とは何者?なぜ善良な願いまで奪い去った?
王様に「願いを差し出す」ことで、その願いが王のもとで保管され、願いがかなうこともなくなる。
これって、実際にはどういうことを意味しているのか考えてみたの。
王様とは何者なのかという話。ママが考えるには、王様というのは、それぞれの心の中に潜む闇の部分をさしているんじゃないかと思うの。
物語は、それを望む者がその王がいる王国にやってきたとされていたけど、実際には、それを望んだ心の中に、その闇の方が巣くうようなかたちでやってきているんだと思うの。
映画で描かれたように、その闇というのはなかなかの強敵よ。
まず、光を見せまいとしていろんな魔術を繰り出してくる。その闇が生み出す魔術の結果の数々を人は目の前で現実と呼ぶ現象としてみているといわれているわ。
人はその現象の数々に目をくらまされ、光の存在を見失ってしまうのよね。
でも、映画の中では、それ(光の存在)が妖精スターという形になって、アーシャたちの前に現れてくれた。
映画の中ではアーシャを通して描かれたように、光の存在が感じられるようになると、闇の一大勢力を押し戻すことができるようになるんじゃないかな。
平たく言えば、目の前に願いがかなったようなことが起こり始めるということね。
これ、意外と簡単に、しかも短時間で、自分でも経験することができるのを学んだわ。
会社でね、とても嫌な人がいたの。なんでこいつこんなイケずなん?って、もう毎日憂鬱になるくらい。
会社辞めようかななんて思った時もあった。でも、どこかの本で学んだことを試してみたの。
その人がね、目の前で笑っているところを、それこそ必死の思いで考えてみたの。
それはそれは難しい作業だった。別にその人の前でそうするわけじゃないの。
家にいてね、自分一人の時にそれをやってみたんだけど、どうしてもその人の顔を笑顔にすることを、ママの心が拒んでいたの。
でもね、その時に、心の中の、映画の中でいう妖精スターみたいな光の部分をイメージしてね、それにすがったの。
どうか、あの人の笑顔をイメージさせてくださいって。
イメージするだけかい!っていわれそうだけど、映画の中でも言われていたわよね。思いだとか願いだとか、それは心の中の一部だって。
後でわかったんだけど、この妖精スターみたいな存在にお願いするというのがねとても大切な作業だったらしいの。
それをやる以前の状態は、執着している状態なんだけど、何に執着しているんですかっていうと、その相手のことを直接考えてしまっているの。
実は、ママの心自体には、その人を笑顔にできる力や機能は備わっていないっていうのを後で学んだ。
「胸に手を当ててよく考えてみなさい」とかよく言われるんだけど、それは心の中の光みたいなところに問いかける間、その目の前の出来事に執着しないようにすること。
執着しないというのは、その人のことを考えるのをいっときやめて、心の中に輝く光、つまり、この物語に出てきた「スター」にお願いするというとなんじゃないかな。
それ以来ね、目の前にいやな人が出てきたら、「スター」にお願いすることにしているの。
だいぶ話がそれてしまったわ、ごめんなさい。王様はなぜ善良な願いまで奪い去ったのか。
アーシャの祖父サビーノの願いを王が見た時、「危険だ」とつぶやいていたの。
何が危険って、その彼が別の誰かを思いやる気持ちが、そのものの心を動かし、王国を脅かすようなことをするかもしれないって。
王国を脅かすことって何?王国とは、ママに言わせれば、光を奪い去り、暗闇と化した世界。ここに、光が差し込んだらダメなのよね。なぜって、光は暗闇を消してしまうから。
王は、もしかすると、自分でも意図しないままに暗闇を生み出し、自分自身はそこにとどまることが安全なように感じていたのかもしれない。
その暗闇の世界を維持するために、善良な願いというのも、その他の欲のような願いと同様で、この国王にとってはその王国にあってはならないものだったのよね。
相関④|儀式とは何だったの
映画の中で、儀式が行われ、願いがかなえられるというのがあったわね。あれは何?っていうのを過去に学んだ知識からかんがえてみた。
人生山あり谷ありっていうじゃない。或いは、禍福は糾える縄の如しとか。いいことがあったかと思えば災いも、これらは順繰りにやってくるみたいな話よね。
正味のところ、この世界にいる限り、それは当たっているようにも感じるし、どちらかといえば、いいことっていうのは、ほんのごくまれにやってくるようにも感じる。
これっていうのは、王が、その世界に人々を縛り付けておこうとする魔術のようなもの。
たまに願いが叶ったり、思いがけず良いことが起こったように感じさせる。それも、この世界にも共通する特徴のようにも感じるわね。
信じる信じないは別として、映画の中では確かにそのように描かれていたんじゃないかな。
映画の中では、その王、王国の存在に影響を与えないようなことがかなえられるとしていたみたい。
実際の世界ではどうなのかな。
ママの実感としては、確かに与えられては奪い取られていく、だけど、誰かのためを思って過ごす時間が増えれば増えるほど、日常は確実に穏やかなものになっていっているように感じるわね。
あの王が目指したのは、今までの、禍福を繰り返す世界の存続。
でも、王女は違ったわね。王女は、みんなの幸せ、つまり笑顔になることを願っていた。アーシャもそうよね。
そして、彼女たちはスターという光を見た。そして、闇の象徴である王は姿を消し、光の世界が取り戻された。
サバたちも、光を取り戻すまで、自分があの王によって暗闇の世界にとらわれているということを巧みに隠されていた。
今、アーシャのお陰でみんなが光を思い出し、心の中にやさしい願いや光を取り戻していった。
まとめ|
国王マグニフィコ、彼は、幼い時、強欲な盗人の手によって家族をみんな殺されてしまったの。そのとき彼はきっと思ったのよね。人間が欲みたいなものを捨て去れば、こんな悲劇はもう起こらないって。
彼は魔法を究めて、人々に「願い」を差し出させ、自分がそれを保管することで安全な世界を築こうとした。
彼は闇の世界を維持したままで、何事も起きない世界を築こうとしたんじゃないかしら。
でも、ほかのみんなは、暗闇の世界の住人になることを望んではいなかったのよね。
自分たちが行くべきところは光の世界。今、アーシャのお陰でみんなが戻るべき世界を思い出したみたいね。
今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。


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