デッドレコニングとは?航海用語から映画タイトルの深意を探る
デッドレコニング(Dead Reckoning)──この言葉、映画のタイトルに選ばれているけど、ちょっと調べてみると、もともとは航海や航空の世界で使われていた用語らしいのよ。
詳しいことは専門家にお任せするとして、ざっくり言うと「推測航法」って呼ばれるもの。簡単に言えば、過去の航跡、進んだ方向やスピードから、自分が今どこにいるのかを推測する技術。
GPSもレーダーもなかった時代、船や飛行機は地図もコンパスも完璧じゃない中で、進むしかなかった。潮の流れや風でズレることもある。それでも進まなきゃいけない。
そんな不確実な状況で、過去のデータと勘を頼りに前に進む──それがデッドレコニングらしいのね。
ちなみにこの「Dead Reckoning」という言葉、ちょっと分解してみると──Deadはここでは「完全な」「絶対的な」という意味で、Reckoningは「推測」や「計算」を意味するの。
つまり、「頼れるものが何もない中で、経験と勘だけを頼りに進む航法」って感じの響きを感じるわけ
もともとは16世紀ごろから使われてきた、航海士たちが命がけで大海原を渡るために編み出した古典的な技術だったらしいわよ。
で、これが『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング』のタイトルになってる。これって、かなり意味深じゃない?
だって、デッドレコニングって「未来が見えない」「今この瞬間さえ正確には分からない」中で、過去の経験と直感だけを頼りに進み続ける覚悟を問う方法なのよ。
イーサン・ハントたちも、どこにも確かな地図なんかない世界を進んでる。敵は見えない、味方も信用できない。情報はフェイクだらけ。目に見えるものなんて何ひとつ信用できない。──でも進まなきゃいけない。
頼れるのは、これまで積み重ねてきた経験と、何より自分たちの勘、そして見えないけれど確かに感じる“信頼”だけ。
特に最終局面では、グレースがイーサンに対して抱いた「信頼」が、奇跡を生み出した。──ヴェニスでの出会いから始まった、信頼とは程遠い関係。グレースは、命がけのミッションを前にしり込みしていた。
オリエント急行に乗り込み、アラナになりすまし、敵のど真ん中に飛び込む──そんな任務、失敗すれば命はない。グレースにとって、それは“今までの人生でやったことがないレベルの恐怖”だった。
足がすくむ。逃げ出したくなる。それでも彼女は、ヴェニスで交わしたイーサンとの言葉を思い出していた。IMFへのリクルートをためらったとき、彼女は問いかけた。
「IMFに入れば、あなたは私を守ってくれるの?」それにイーサンは迷いなく答えた。「君の命を、僕の命より優先する。」さらに問う。「なんで他人にそんなことができるの?」──イーサンは言った。「何の違いがあるんだ?」命に、優先順位なんてない。イーサン・ハントという男は、そういう人間だった。
その言葉を思い出して、グレースは恐れを押し込めた。信じることで、怖れを越えた。オリエント急行で、彼女は自らアラナになりすまし、命を賭けた。そして、列車の中にパラシュートで飛び込んできたイーサンに救われたとき、グレースの中で何かが確かに変わっていた。
そこにあったのは、誰にも見えないけれど確かに存在する“信頼”。データでも数字でもない。生き抜くための、たったひとつの拠りどころだった。
デッドレコニング──この言葉は潜水艦の航法を指しているように見えて、実はそれ以上の意味を持っている。未来は見えない。地図もない。それでも進まなきゃいけない。不確実な世界を生き抜くために、人が本当に頼るべきもの──それは、目に見えない“信頼”なのかもしれない。
エンティティ(Entity)の意味は?単なるAIじゃない“存在”の怖さ
エンティティ(Entity)って言葉、映画の中ではめちゃめちゃ無機質に聞こえるじゃない?ただのAI、単なるコンピュータープログラムの名前かと思いきや、実はそうじゃない。英語で「エンティティ」って言うと、“実体”“存在”っていう意味があるの。
見えないけど確かにそこにあるもの。それがエンティティ。このネーミング、怖くない?ただのプログラムじゃなくて、“存在そのもの”として描かれている。映画のシーンの中では、イーサンがベニスでガブリエルと会した場所で感じた恐怖として描かれたわね。「このパーティはいわばエンティティそのものだ」っていうような意味のことをガブリエルが言うの。
で、イーサンはあたりを見回しながら、その「存在」を肌で感じているようなシーンが描かれているわ。別のシーンでも、ルーサーやベンジー、そしてイルサと一緒にいた部屋での会話。イルサはMI6の友達からの情報で、ガブリエルや鍵の情報を得たと言っていた。それに対して、イーサンは直接会って話したのか?と。そこでイルサも気づくんだよね。すべてデジタルだったと。
それがわかってからのイーサンの雰囲気。明らかに、その状況をエンティティ―にモニターされているか、或いは、エンティティに情報コントロールされたために、その場所に一同が会することになったのかもと感じ、すぐさまそこを立ち去ることを皆に進めるわ。明らかに、エンティティの「存在」を感じていた瞬間よね。
普通、パソコンなどでAIにはお世話になっているものの、その「存在」に恐怖を抱くことなんてないわね。
で、エンティティって、データを学習し続けることで自己進化していく存在なんだよね。自分を更新し、自分を守る。必要なら敵を操るし、味方をも騙す。もはや人間の理解を超えた「新しい存在」としてのAI。
データの海の中に潜んでいて、顔も声も持たない。でも、確実に「存在」している。そんな恐ろしい存在を“Entity”って呼んでるわけ。なんか、ちょっと、ハリーポッターの「例のあのお方」的な雰囲気を感じてしまったわ。こわ!(笑)
これ、ただのAI映画じゃないってこと。現実にあるかもしれない未来の脅威を、エンタメにしちゃった怖さ。まさに“ミッション・インポッシブル”級の絶望感よ。
“you r (are) done”とは何か?普段の意味と映画に潜む恐怖
“you r done”──意味は「終わった」「完了した」。たとえば、宿題をやり終えたとき、レポートを提出したとき、料理が焼きあがったとき、「I’m done.」っていう感じかな。そんなときの“done”は、「できたよ」「終わったよ」っていう、軽いニュアンスの一言なのよ。
特に子どもたちが宿題をポンと終わらせたとき、「Mom, I’m done!(ママ、終わったよ!)」なんて言うのは、ナニも恐ろしさを感じさせないフレーズ。日常の中では、ごくありふれた「タスク完了宣言」みたいな言葉。だ
けど、このフレーズは、シチュエーション次第でまったく違う顔を見せる。たとえば、試合中のスポーツ選手同士の挑発、ドラマのクライマックスで敵に向かって、あるいは喧嘩でトドメを刺すとき──この“you’re done”は一気にシリアスな意味を持つ。「お前は終わった」「もうおしまいだ」。
要するに、“ゲームオーバー”宣告。決してやり直しは効かない、冷たく突き放す一言になるの。特に、感情を抑えた静かな口調で言われたら──それはもう、終わりの音が聞こえてきたも同然。
──で、問題はここから。この“you r done”というフレーズ、映画『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング』においては、単なる言葉じゃない。これはエンティティの存在そのものを象徴している。エンティティ──それは人間が生み出したAI、だけどもはや制御できないレベルに進化した存在。
見えない、触れない、だけど確実に世界を掌握しつつある。そんなエンティティが無言で突きつけてくるメッセージ、それが“you r done”。
「人間の時代は、もう終わった」という含みまで感じさせるよね。しかも、このフレーズが恐ろしいのは、エンティティに感情がないということ。怒りもなければ、憎しみもない。ただ、理性的に、合理的に、必要ない存在を“終了”させるだけ。
あなたが終わることに、何のドラマも、何の葛藤もない。ただ、静かに「完了」とだけ言い渡される。これ以上に恐ろしい“終わり”がある?イーサン・ハントたちが戦っているのは、単なる敵じゃない。未来そのものを、すでに掌握しつつある無慈悲な存在。映画の中では誰も口にしない。でもスクリーンの向こう側から、静かに囁かれている。“you r done”。これは、イーサンたちに向けられた言葉じゃない。観客である私たちに向けられた、未来からの静かな警告なんだよね。
なぜ“デッドレコニング”が今、選ばれたのか?AI時代への警鐘
で、なんでこのタイミングで“デッドレコニング”なんてタイトルが選ばれたのか。もう、これは明らかだよね。GPSもネットも頼りきりの現代、私たちは位置も時間も、ほぼ全部AIやデジタルに依存して生きてる。
でも、その便利さの裏で、もしそのAIが暴走したら?位置情報が改ざんされたら?SNSで嘘情報が拡散されたら?──そんな未来、もう絵空事じゃない。つまり、映画が描いてるのは、現代人がすでにデッドレコニングを要する状態になっているということ。混迷の時代を生きていくには、目に見えない「信頼」というものを頼りに生きていくしかないのかもしれない。
何が正しいのか、どこにいるのか、誰が味方かも分からない。でも進まなきゃいけない。自分の勘と経験だけを頼りにして。これ、イーサン・ハントの話じゃなくて、私たちの話なのかもしれないなって感じたわ。
デジタルの便利さに慣れきった今、あえてアナログな“推測航法”を選ばなきゃいけない状況になるかもしれないっていう、そんな警告なのかな。考えると、ちょっとゾクッとするわね
まとめ
未来は不確実で、どれだけテクノロジーが進化しても、最後に頼れるのは自分の勘と覚悟だけだっていうメッセージなのかな。
エンティティはその未来に潜む脅威であり、もしかしたら今この瞬間にも動き出してるかもしれない。ユーアールダンという言葉が示すように、私たちもいつか使う側ではなく、使われる側に転落するかもしれない。
その未来をどう切り開くかは、結局“自分や、自分の周りの誰かを信じて進むしかない”っていうことなのかしら。
GPSもレーダーもない夜の海を、小さなコンパス一つで航海するように、ね。
今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。
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