このドラマ、大きなテーマがいくつもあるように感じて、自分はどこまで理解したのかしらって、ちょっと疑問を感じたり。
主人公は『わからないことをわかっていないと、わからないことはわかりません』と何度も語ってくれるんだけど、その意味すらなかなか理解できない。
少しずつでも理解が深まるように、わかる部分だけでも整理していきたいと思います。
1話 裁判官忌避

今まで裁判官による弁護士解任って前例ある?」「前代未聞です」って。
部総括判事という役職の門倉茂さんという方が、主人公の安堂清春さんに、彼が行った裁判の後でかけた言葉。
前例あるか?前代未聞だって。
ママがね、以前勤めていた時に、上司から言われたことのある言葉。
聞いたとたんにいや~な記憶が蘇ったわ。
あの当時、それを言われた直後に何を思ったか、今でも思い出せる。前例?前例がないことはそのまま悪なの?前代未聞?そりゃあ、前に起こっていなければ、初めて聞くような内容なんだろうけど、聞いたこと、前例なければ、すなわち黒なの?って、素朴に疑問を感じたことがあったのを思い出すわ。
ママは、どちらかというと、前代未聞をやらかしがちなタイプ。
上から責められるままに責められて、後になって、その叱られ方、ちょっと理不尽だったのでは?って疑問や時には怒りを覚えたり。
でも、主人公の清春さんは、ママのようにしょうもないところで気を荒立てることがなかったの。
そもそも、この手の嫌味を言ってくる人って、自分の立場や考えの正当性を守ろうとして、このドラマの中でいえば、清春さんを押さえつけようとしてるんじゃないのかな。
だけど、この清春さんは、ママのような次元で物事を見ていないの。
彼は、純粋に真実にたどり着こうという思いで、その意識は、真実を知るために「わからないことをわかっていないと、わからないことはわかりません」という言葉に言い現わされるところに向かっていた…はず。
この言葉の意味を、彼が伝えようとしたそのままに理解することは、このドラマが終わるまでにママが到達しなければいけない宿題のようなものなのかな。
今のところ、正確に理解できていないと思うし、ドラマの中でのその他の配役の方、その言葉を耳にした人みんなが「?」ってなっていた。
ところで、彼は、自分のことを「宇宙人」と言っていたけど、それは、先のような自分の立場だとかそんなことばかり考えている大勢の人とは明らかに異なるということが、自分自身としても実感できているということなのかな。
彼が明らかにしたいと思っていたのは、被告がなぜ知能犯から粗暴犯と呼ばれるような態度に変わってしまったのか、その理由。
清春さんが、家に戻って、彼が先生と呼ぶ、相談相手に今の状況を伝えているの。
先生にとっても、清春さんの心の中というのは予想できなかったみたいね。
清春さんが感じていた思い、彼が口にした言葉は「苦しい。とても苦しい」だった。
先生は「不安」は前を向いていることの証みたいなことを言っていた。
遠い先のことを考えているのか、ほんの僅かばかり先のことを考えているのか。
四六時中人の目を気にする、衝動への恐れをもち続けている。
それが、ほとんど「今」と変わらないほど近い未来のことを考えているということ。
「今」という状態や概念が何なのか、そこに意識が向けられていない限り、人は不安や恐れを抱くんだというのをどこかで聞いた。
でも、ほとんどの人がほとんどの時間、「今」と呼ばれるものに意識を合わせることはできなくて、先のことに目を向けているのよね。
「今」という概念が、人が考えている時間という概念でとらえている限り、「今」というものにたどり着くことは難しそうね。
ある本に書いてあることの受け売りみたいな話だけど、誰しもが、いつか乗り越えていかなければいけないハードルだったりするのかな。
ところで、今、清春さんが担当している前市長が襲われた事件、執行官という肩書の女性が「情報があります」って、清春さんがナポリタンスパゲティーを食べているところにいきなりやってきて、情報を流してくるの。
「あれは、政治がらみですよ。何が真実か、明らかにするのはあなたのお仕事でしょ」って、それだけ伝えていった。
でもその後、清春さんが裁判を行っている間に、彼の席までやってきて、ある記事の切り抜きを置いていったの。
なんでも、記事には、後援会への違法勧誘を副知事が行い、公職選挙法違反に問われたというようなことが書かれていたみたい。
この記事をもってきた女性、執行官という立場が今の時点ではちょっとわかりにくい。
ネットで調べてみると、大雑把には、裁判所で決まった事柄を実際に執行を行う人とか出てくるんだけど、その立場が正しいなら、事件に関連しそうな資料を裁判官に手渡すとかどういう意図なんだろ。
対して、裁判官である清春さんに、わかりやすくコンタクトしてきたのは、被告の弁護士、小野崎乃亜さん。
証人を期日までにそろえることができないって。
でも、清春さんは、独自の調べと、小野崎さんから得たわずかな情報をもとに、「証人は必要ないのでは」と助言した。
暴行事件はある病院の医師と事務局員に目撃されていた。
被害者の男性と目撃者は全員ゴルフの帰り。
これと、先の「政治がらみですよ」という情報が清春さんの中でリンクしたみたい。
そこで清春さんが小野崎弁護士に残した言葉が「まずは、動機から見直してみることだと思います。あなたは証人を探す必要は無くなったと思っています」って。
正直、何がどうリンクするのか、ママの頭では理解不能。
でも、ここって、理解できたら面白いところじゃないの?
小野崎弁護士は、清春さんの助言を聞いて、「被告が暴行に至った」背景にたどりついたみたい。
先の切り抜き記事は、県庁内での国会議員後援会への勧誘というのを取り上げていたけど、同様のことが、ところを変え、病院組織内で行われていた事実に行きついたみたい。
その政治家絡みの企みのせいで、本来病院に勤務しているべき職員の手の多くが奪われてしまっていた日があった。
実は、その夜、被告のお姉さんが脳梗塞で倒れたんだけど、医師不在で処置してもらえず、そのために亡くなってしまったの。
その事実を、タクシードライバーが知ってしまい、その情報が被告に知れてしまったのね。タクシードライバーと被告は、もともと知り合いだった。
「わからないことをわかっていないと、わからないことはわかりません」って、未だよくわからないんだけど、被告には伝わったみたい。
自分は彼のことを理解していないっていうことをまずわからないといけない。
その理解があって、初めて、彼が抱えていて、裁判官である自分がわからずにいたことがわかるようになるかもしれない。
だから、清春さんは、被告の家にまで行って彼のことを知ろうとした..そんな感じなのかな。
でも、清春さんは、彼の家まで行って、そのことで何を知ることができたんだろ。
そういえば、隣に住む老人にあって、清春さんの人柄を聞いていたわよね。
そして、彼は、普段とてもいい子であった被告が、なぜ暴力的になったのか、そこには理由があるはずで、それを調べなければならないと思ったのね。
その思いがあったから、例の原告側の証人になっていたタクシードライバーから、「政治がらみ」の背景を聞き出すことができた。
一応、ママ的には自己満足的にほぼスッキリしたんだけど、なんか謎なのは、例の執行官。
彼女のなんだか秘密めいたところは、この後何話も続いていくのかしら…
2話 真実義務と誠実義務
清春さんが先生に、「スランプ」ですって新たに出現した彼の中の壁のことを打ち明けているんだけど、彼が今気になってしょうがないのが名前のカタチ。
「上田正」っていう名前の見た目が気になるんだって。
全て縦と横の棒でできた名前。
それに正しいという字は「一」歩「止」まって考えるという作りになっているんじゃないかって、脳が勝手にこだわりだすって。
もしかすると、清春さんは、昨日まで、自分がどういう視点で物を見ていたかとか、頭の中に記憶されているということなのかしら。
そこに当てはまらない新たな視点というのが出てくると、それは何なのか..としばらく考えるという感じ?
でも、それこそが、一歩止まって考える「正しい」行動様式だったりして。
なんだか、毎回、ママの以前の職場のことばかり思い出してはつぶやいて恐縮なんだけど、毎回視点をコロコロ変えて、いろんなことを言ってきた上司のことを思い出すわ。
その場その場で、自分の心の中に起こったいら立ちを、以前の指示と整合させることなく、そのまま伝えてくる人。
昨日はこう言ったじゃない?なのに今日はなぜそうなの?ってことがとっても多かったように思う。
考えてみるに、ママの思考も含めて、そんな出来損ないの思考回路というのが当たり前になっていて、それこそ、そんなところを指摘しようものなら、「臨機応変」だとか、「柔軟性」だとか、その場で判断しろだとか、いろんな言葉で応酬される。
一歩止まって、考えてみることができる人の方が、ママにとってはとってもありがたく感じられる。
もしかすると、このドラマを見ていて、清春さんに好感を感じるのは、そんな一面のせいもあるのかも。
でも、彼にとっては、今までの視点とは違うものが生まれてきたということで、それをどう自分の中に再構成するのかっていうところで、大変なのかもしれないわね。
彼は自分のことを宇宙人だって言うんだけど、ちゃんと地球人だと思うわけ。
彼の仕事は、誰かのことを「裁く」お仕事。
地球人は、誰かのことを「裁く」のがとっても得意なのよね。
四六時中そんなことをしながら生活してる。
あの人はあーだとかこーだとか、…でも裁いた後には、たいていろくなことがやってこない。
それは、さばき方が下手なせい?
それとも、人のことをさばいて生きている限りは、なんだか晴れやかに離れない..そんなものなのかな。
清春さんは、「裁く」前に行う「わからないところをわかろうとする」過程をとっても大事にしている。
そんなところが、ちょっと普通の地球人とは違うとこかしら。
それに、「宇宙人」を自認する彼が使用しなければならない「ルール」それは、地球人が作った「ルール」にのっとって「裁き」を行わなければならないということ。
もしかすると、その「ルール」がなければ、清春さんは、もっと別の世界を作り出せた人なのかも…とかママの中にも新たな視点を生み出してくれるから、なんかとっても見ていて楽しい。
今回の事件は、ある高校生が仲間と共に、かなりの額の窃盗を繰り返しているという事件に関連したもの。
彼と親しくする他校の卒業生が、彼のその行動を制止しようとしてもみ合いになり、転倒したときに意識を失ってしまった。
前回の裁判で清春さんと面識のできた小野崎乃亜さん、今回はこの事件の加害者の弁護をしなければならないことになったの。
裁判官として法廷にいるのは清春さんだけ。
そのことに対する疑問を部長判事の門倉茂さん(遠藤憲一さん)にぶつける判事補の落合知佳さん(恒松祐里さん)。なんで単独事件にしたんですか?って尋ねるんだけど、「定年前のささやかな好奇心だ」っていうの。
もしかして、門倉部長、清春さんにいい意味で興味持ったっていうこと?ちょっと嬉しい。
清春さんの中に「知らないことをしる」例の衝動が走った。
弁護側の主張は大雑把に言ってしまえば、被害者といわれている青年の方が先に殴りかかってきたのに対する正当防衛。
でも、それを裏付ける複数証人の言っている内容に違和感を感じたみたいね。
裁判所の傍聴席にいた、加害者が通う高校の校長たちが、何か企むようにささやき合っていたんだけど、この違和感たっぷりの目撃証人たちはきっと学校側が用意したニセの証人ね。
違和感を感じた清春さんにとっては、なぜ、少年たちは、徐々に高額の窃盗を行うようになっていったのか、その理由を抜きにして「裁き」を行うことはできないと感じたに違いない。
小野崎乃亜さんが生徒たちから聞き出した証言のなかに、「握った」というキーワードが含まれていた。
それを聞いた清春さんが連想したのは「お金の浮き沈み」。
さらに連想されたのは、津村綾乃執行官。
1話からの展開で、津村さんは清春さんを利用する立場だと思ったんだけど、今度は、清春さんが津村さんを利用してる。
彼女なら、「お金の浮き沈み」の修羅場を経験しているって。出てきたアドバイスは、「常習賭博」。
未成年によるオンラインカジノ。
小野崎さんは、この実体を高校側も知っていたという事実に行きついた。
高校側は開き直ったかのように、依頼者の利益を守るのが弁護士の務めですよねって詰め寄る。
今、小野崎さんが悩んでるの。
もともと、刑事事件の弁護の場で、自分が何もできないことに対する無力感のようなものを感じていたのかな。
もう弁護士という仕事自体をやめようという気持ちになっていたみたい。
ところが、前回の法廷で清春さんとであったことから、何か、再び心の中に弁護士を続ける闘志のようなものが湧いてきたみたい。
でも、振り返ると、自分は依頼者を信じることができなかった過去もあり、今回もどうするべきか悩んでいる。
その心の状態を、清春さんは明確に整理した。
真実を追い求めるべきなのか、それとも、依頼者の利益のために弁護するべきなのか。
それは、弁護士の裁量の範囲なんだって。
彼女がこの裁判で得たものは「よし!」というマインド。
今回の被告人にとって守るべきものは「兄との関係」。
被告人自身、自分が本当に守るべきものは見えていなかったのよね。
被害者が自分の兄であるという事実も知らなかったわけだし。
でも、それを知らなかったときにおいても、彼は被害者が意識を取り戻したということを聞いて、怖かった思いもあったけど、同時に「嬉しい」気持ちもあったっていうの。
怖い気持ちというのは、自分が自分のことだけを考えている証拠。
その思いに大切なものはないはず。
嬉しい気持ちというのは、心の中のテミスが自動判定を下しているのかもしれないわね。
「そっちが正しいんだよ」って。
彼にとって、大切なものは、他人を思いやる気持ちだった。
彼はどちらをとるべきか、自分の頭の中で判別はできなかった。
でも、心はいつでも真実にたどり着くのよね。
嬉しいと思ったその気持ちが真実にたどり着いた証、テミスからの贈り物。
テミスからの贈り物は、周りの誰もに笑顔を届けるみたいね。
検察側も、被告の有罪を目撃しながらも、「負けたような気分だ」って言っていた。
でも、彼らも地球人だから、誰かが正しい導きを得て、涙するところを見ると嬉しくなるのよね。
よかったねって気持ちなのかな。
清春さんは、宇宙人といいながらも、地球人なので「裁き」を行う。
裁きが行われるところに、関連するすべての人に喜びが訪れることはあまりないような気がするんだけど、清春さんも、今回は小野崎さんも、誰かのためを思って、わからないことをわかろうとしたその先に、小さな笑顔の連鎖が訪れる奇跡がもたらされたって、そんな感じなのかな。
因みにテミスというのは、古代ギリシャ神話に登場する法と秩序の女神の名前。
小野崎さんたちが裁判所の建物の中で、時折見上げる天秤をもった像のこと。
誰かを思ったその先では、「裁き」を超えて、この女神が笑顔を届けてくれる、そんな感じがした第2話でした。
3話 裁判官の資質
清春さんの思いつめた言葉。
自分はカミングアウトはできないんですって。なぜそうなのか。
今、わかるのは、かつて裁判官になることについて自問自答していた13年前、自分の父親からそのような助言を受けていたこと。
裁かれる人はどう思うかって。???それ、親が言う言葉なのかな?
少なくとも、全く愛を感じない言葉。
もっと平たく言えば、清春さんに向けてのやさしさというのを全く感じない。
もちろん、清春さんのことを考えてそう言っているという体裁をとっているのはわかるけど、それだけに余計に気持ち悪い。
ママには、何をどうすれば正解なのかなんて、もちろんわからない。
でも、裁判官だって、自分が気持ちを寄せることができる範囲の中で、精いっぱい寄り添おうとする努力をすることはできるじゃない。
もちろん、目の前に原告から提示されたいわゆる罪のようなものを前にして、それを侵したかもしれない人にも寄り添うというのは、至難の業というか、そんなことができるのか、ママには想像すらできない。
でも、清春さんが言っている、わからなことをわからなければ、わからないことはわかりませんっていうのは、そういうことなんじゃないの?
わからないところをわかるために最善を尽くすということが、あのテミスが天秤で象徴的に示してくるように、どちらにも偏ることなく、ルールに照らしてその天秤がどちらに傾くのか、それを見極めるということなんじゃないのかな。
それが、あの世界に身を置こうとする人が目指すところじゃないのかなって漠然と感じる。
それなのに、清春さんの父親は、清春さんの特性が明らかになったところで、清春さんによって裁かれる立場の人がどう思うか。。。って。
それって、ものすごく腹立たしいほど、エゴに満ちた言葉のように感じてしまう。
自分は正しい判断ができると思ってるの?
清春さんだけだったじゃないの。今日の裁判だって。
「企業努力ってあいまいです。何をやったか明確にしてください」って突っ込んだのは。
わからないところが、わかったのは、あの場で清春さんだけだった。
それが事実じゃないの?
おおかたの、あーでもないこーでもないって考えることって、後で冷静になって振り返ってみると、たいてい誰かにとってはよくても、別の誰かにとっては不利益につながるようなことが多いと思う。
ほとんどのジャッジがそんなところでなされているのが現実のような気がする。
本当に正解にたどり着ける人って、いったいどれほどいるのかしら。
もしほとんどいないんだとしたら、あの父親が、清春さんに言い放った言葉って何だったのって思う。
自分はいつも正しいのかって。
わからないことをわかろうとすることを貫いていく人のことを、それを見ていた人は賞賛するんじゃないのかな。
だから、このドラマの中で、そのように描かれる清春さんのことを賞賛する人はとっても多いんじゃないかと思う。
誰かのために、わからないことをわかろうとすること。
それは、地球上の誰にとっても、等しくとってもとっても難しいコトなんだと思う。
それほど難しいことだから、それは、もしかすると、誰にとってもできない事なのかもしれないし、ときに誰かにとっては導かれたようになしえることなのかもしれない。
その難しさの前には、あの人にはできそうだけど、この人にはできそうもないなどと考えることは、とってもおこがましいことのような気がする。
そう考えると、あのお父さんが言った言葉には、たまたま誰かに特性のことを指摘された経験がなかったものが考えるおごりのようなものしか感じないの。
そもそも、ドラマで描かれた特性に対しては、医学的な言葉がつけられていたりするけど、自分の都合や自分の立場、相手のことを想いやらない行動や考えに至りがちな人に対して、そういった特性に医学的に取り組もうとする言葉が見当たらないような気がする。
世の中の人たちの大多数に共通するこんな特性が、マジョリティーだからという理由なのかなんなのか、ハラスメントと呼ばれる事態にでもならない限り、特別に取り上げられることもめったにない。
一度に3つ以上のことが起こったとき、それらの全てに対処しきれなくなりがちという特性と、いつも自分の保身ばかりを考えているという特性、神様がいるとしたら、いったいどちらに対して悲しみの涙を流してるのかしら。
清春さんは、13年前のあの父親の言葉によって縛り付けられていたところがある。
もし、あの時、、あの父親が、あのようなアドバイスを送る代わりに、「法律は君が考えているように、君自身を助けてくれるものだと思う。君は、知らないことを知ろうとしたり、関心をもつという素晴らしい特性を持っている。その特性を、司法の場で、しっかり生かしていきなさい」とか言っていたなら、清春さんはどうなっていたかな。
もちろん、それによっても、逆に苦しい目にあうこともあったかもしれない。
でも、少なくとも、父親の言葉は、清春さんを縛り付けるのではなく、支え続けるものになったんじゃないのかな。自分を公平に見つめてくれる、そんな父親の愛を感じることができたんじゃないのかな。
4話 伝説の反逆児
「考えない、考えない。考えると落ち込むからね」って門倉さんの言葉が好き。
門倉さんってロックな人なのね。
この4話の終わりでね、門倉さんが清春さんに音楽を聞かせて、清春さんが体でリズムをとろうとするの。
リズム音痴のママと同じようにね、とてもリズム感がいいとは言えない清春さんだったんだけど、こわもての門倉さんが、そんなことは意に介さず、清春さんが音楽に身をゆだねようとするところを心の底から喜んでいるように描かれていたのが印象的。
冒頭に戻って、清春さん、「やらかした」せいで、自分は裁判官を続けていくべきなのか、とっても迷ってる。
10年以上も会うこともなかった父に会いに行くってよっぽどよね。
この父がね、言うの。「私に何と言ってほしいんだ」って。はあ?何それ?
「何を言おうが、人は信じたいものを信じる」っていうんだけど。
そりゃ、そうなのかもしれないけど、こんな言葉を吐かせるために、「あの時のあの発言は、自分の存在を恥じてそう言ったのか?」って尋ねたわけじゃないわよね。正味のところ、身を削りながらの質問よね。
この「人は信じたいものを信じる」といっていたこのおやじが、あの時、あの場所で、何を信じていたのか、それを聞きたかったのよね。
清春さんはこのおやじのために、「あなたの心は、あのとき、本当に信じたいものを信じようとしていたのか?」って、あの再会の場で改めて、見つめてほしかった。。。っていうとよけいにややこしいけど、この父親が何かを学ぶためには、それが必要だったってことじゃないのかな。
あの時、自分は、息子清春の明るい将来を信じて、その笑顔を思い描いていたのか。
人が頑張ることって、一生懸命にその笑顔を思い描くことなんじゃないの?
スポーツとかではチーム一体とか、苦しい状況でもそうすることが活路を見出すとか考えられているようだけど、それは個人でも一緒じゃないの。
チーム環境なら自分の前や周りにいる人たちの笑顔を頑張って思い浮かべること。
それは、チームとかでなくてもいっしょ。我が子に対してだって、ときには頑張って、笑顔を思い浮かべる努力をする。
そうした思いのもとでは、あの「特性は隠した方がいいんじゃないか」っていう発言は出てこなかったんじゃないかな。
ママ的には、この父親は、あの時、清春さんを見捨てたんだって、そんな気がしてならない。
ところで、門倉さん、今回ロックな人って感じがよく出てたんだけど、これまでの門倉さんを見る限り、清春さんの辞表を目にしたときの表情は、違和感以外の何物でもなかった。
当然だけど、4話の冒頭では、まだ「伝説の反逆児」たる言動ってまだ明らかになってなかったのよね。
その門倉さんが、清春さんに心寄り添っている人であるかのような驚きようを見せるから、こっちが驚いてしまったわ。
どちらかというと、自分では抱えきれないと感じた人がいなくなったら喜ぶタイプかと思ってた。
でも、かつてはそうではなかったみたいね。
権力に負けずに真理を追い求め、正しい判決を下していた。。って表現する女性弁護士がいた。
絶対に正しい判決というのがあるのかどうかわからないけど、もしかすると清春さんが言っている「わからないことをわかっていないと、わからないことはわかりません」っていうのが心の支えになっていた人なのかもしれないとは感じたわ。少なくとも、かつては。
立ち飲み屋でね、門倉さんが言うの。
清春さんが「なぜ裁判官を続けてこられたのか?なぜ辞めなかったのか?」って聞いたもんだから、それ言っちゃっていいのかなみたいなことまで清春さんに言っちゃうの。
でも、門倉さんはね裁判官を続けてこられた理由を「考えないようにしたから」って。
提出された証拠に基づいてジャッジを下す。処理件数をあげるためにそうするんだって。
なんだかとても荒っぽく聞こえるけど、それでも門倉さんが続けてこられたのは、考え込むことはしないけど、わからないところはわかろうとするという線を心のどこかでは切らずに持ち続けていたからなのかな。
それなしに、処理件数のことだけ言われたら、はあ?ってなるし、そんなわけないものね、きっと。
第三回労務死亡事故による損害賠償請求事件口頭弁論の中でね、証拠となるあるビデオテープ、肝心な日にちのものが上書きされてて提出できないと被告側弁護人が言うの。
それを、「そうですか」と受け入れて、そのあと言葉を発することのなかった清春さんに、原告側弁護士が、「安堂裁判官(清春さん)、おかしいとお思いになられないんですか?考えても見てください…」といわれ、その瞬間に、清春さんの体と顔つきは突然にこわばった。
今、彼の中では「考えない事」というのが、とても大事なこととして、体の中で咀嚼、吸収されるのを待っているって感じの状態だったのかも。
何も言葉を発することのなかった清春さんを置き去りにしたわけではないけど、続いてその原告側弁護士から新たな証拠提出がなされた。
清春さんにとっては、わからないことが分かった瞬間だったのよね。だから、清春さんのこわばりが少し解けたようにも感じた。
清春さん、今も机の引き出しに辞表をもち続けている。
この先も自分がミスを犯すのではないかと考えると、怖くてしょうがない。
この怖くて…っていうのは、ママの想像をはるかに超える強い恐怖なのかもしれない。
その怖さを払いのけるためには、そこから意識をそらさないといけないのよね。
ママ的には、その怖さに向かい続けるのではなく、意識をそこから別のところに持っていく方に賛成。
清春さんは、音楽に意識や体をゆだねることで、そこから逃れることを経験したのかもしれないわね。
でも、それを先にやっていたのは、門倉さんね。
清春さんは、裁判の場で、その場所から嘘が消えていくのが好きで、裁判官を続けているようなことを言っていた。
嘘が消える瞬間、全てのウソが消えたのかどうなのか、そんなことは誰にもわからないんだと思うんだけど、少なくとも、清春さんにはそのように思える瞬間が訪れているのね。
嘘が消える瞬間、すなわち清春さんにとっての奇跡の瞬間というのは、誰かの学びのために訪れるもののような気がする。
人を裁く、うまく裁く、なんてところに人としての学びがあるわけではないと思う。
逆に、その判断から意識を切り離す方法を学んだ時に、そんなところに、学びの証としての奇跡が起こるのかも。
門倉さんが、あれこれ考えるのをやめて、愚直にわからないことをわかろうとするマインドになったとき、わからないことをさらに隠そうとする人の企みに、自然と体や心が動いたように感じた。
そして、その思いは新たな証人を引き寄せるという奇跡を招いた。
人を裁かなければならない、そんなつらい状況の中でも、ほんの一瞬、人を裁くことから意識を外して、そこにいる誰かを思いやる気持ちを思い出したとき、そこに小さく見えるかもしれないけど大きなキセキが起こるんじゃないかな。
「わからないこと」をわかっていくようになるためには、そんなキセキの力が必要なのかもしれないわね。
そして、その“わからないこと”というのは、実は「人や出来事をどう裁くか」を考え続けることではなく、一度そこから意識を外してみることの中にあるのかもしれないわね
何を裁くかではなく、何に心を向けるのか。それを学んでいくことが、「わからないことをわかるようになる」ということなのかもしれないと感じた4話でした。
5話 書証主義と人証主義
門倉さんの「事件に大きいも小さいもないんだよ」って言葉。
なんだかわからないけど、こういう人がいるとホッとするわ。
いつも超たんたんと、いや、ちょっと違うな。なんだろう。無駄を嫌う割には、人の批判は目いっぱいするし。落合知佳さん(未特例判事補)という人なんだけど、この方が今話の主役。
わからないことがあれば、とことんまで調べようとする清春さん。
人づてに情報を集めることが多いようなんだけど、そういうのを人証主義というらしいの。
対極といっていいのかな、書面上、必要な情報が得られたかどうかに重きをおいているのを書証主義と呼んでいるのかな。
落合さんは、今日まで書証主義で仕事をこなそうとしてきた人みたい。
因みに門倉さんが言っていた言葉「深く考えずに熟慮する」なんだかよくわからなかったのは、ママも清春さんも同じなのかなと、ちょっとAIにその答えを求めてみたら、意外にもなるほど~って思わせられるようなことを返してきた。
なんかね、熟慮の慮という文字には、「思」とか「心」という文字が含まれているでしょ。
そのあたりから、この言葉には、いろんなことをこねくり回して「考える」という言葉に反して、ちょっと静まって、心の中の違和感を見つめてみるなんてニュアンスが含まれるように説明してきたの。
まあ、ここまでこのテミスの記事を書くにあたっては、色々相棒のAI君に相談もしてきたから、ママ的思考がAI君の方にも乗り移ってて、こんな回答になってるのかもしれないけど。
でも、「慮」という感じの語源をくってみると、「心を込めて物事を考える、あるいは他人の立場に立って考える」という意味があるという説明もネット上で確認できるわね。
そこからすると、手に入れた限られた情報だけ見てあれこれ考えまくるだけではなく、ときに、静まって、相手の立場に思いを寄せてみることも必要じゃないの..みたいなことを言っていたのかな。
ママ的には、これが門倉さん流の「いい感じ」に行こう~っていうのにつながっているような気がする。
今回、グエンさんの裁判で、小野崎弁護士の法廷内での雰囲気がとっても印象的だった。
わからないことをわかりたいと思いませんか?っていう当たり前の疑問と基本スタンスに行きついた人の安定感なのかしら。
清春さんも同様に思っているはず..となんとなく清春さんの言動を確かめながら、時にそれを見て満足げにしているところに、まだまだ師匠と弟子的な雰囲気も残るんだけど、でも、だいぶ安堂イムズが小野崎さんの中に根付いてきたようにも思える。
少しタイプは違うけど、それは裁判所執行官の津村さんの中にも見えるような気がする。
わからないことだらけのまま、手続きを進めようとしていた落合判事補に対して、結構厳しいことを言っていたわね。
いや、「わからないことだらけ」に気づくという視点をそもそも持っていなかったのかもね。手続きを進めるための要件がそろっているのかそろっていないのか、そんな視点のみに頼って仕事してたのかな。
グエンさんが助けようとしていた身元不明の少女、春さんが、保護先からまた行方知れずとなってしまった。
心配して、彼女を探しに行こうとする清春さんと津村さん。
そこに居合わせた落合さんは、職務外と言って、探しに行こうとはしなかった。
津村さんは彼女に「鋼のハートだよね」って言うんだけど、まあ、ちょっとかわいそうかな。
鋼のハートなんて人はいないんだと思う。
ただ、ちょっと、そのタイミングでは反応や行動が心の状態をうまく反映できなかっただけなんだと思う。
グエンの思いやりや、春さんが置かれていた状況を、裁判所に届けられた資料からは読み解くことができなかった落合さん。
まだ、裁判所に勤めだして3年だっていうから、このタイミングで、熟慮してみる必要性が感じられたのは彼女にとってよかったのかも。
今回の一件で、落合さんも、清春さんと共に歩もうとする人たちの輪の中に片足突っ込むことできたのかなって、ママ的には大満足なんだけど、気になるのは最高裁事務総局事務総長という肩書の矢延という男。
なんかいけすかないんだけど、彼との相関が彼女の今後に変な影響を及ぼさないことを祈るわ。


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