このお話、大人の人たちが、自分たちがそれぞれの背負ってきた何かを、それぞれの想いで子供たちに伝えることができる、魔法のようなストーリーのように感じたの。
原作者さんが伝えたかったことだけでなく、お父さん、お母さんが、子供たちに自分たちの想いを乗せて、原作者さんの想いを超えて何かを伝えることができる、そんなキセキの物語なのかも。
今日は、ママが、子供たちに伝えたい思いを、この物語の相関やあらすじにのせて、したためてみたいと思います。
相関図①|外の世界にあるもの

『星を見るにはな、その一瞬を逃さねえように誰よりも長い時間、ずーと上を見続けなきゃいけねえんだ。信じ続けなきゃいけねえんだ。』
これは、主人公ルビッチのお父さんブルーノが、ルビッチに煙突の上で語り聞かせた言葉。
お父さんの想いが乗っているのよね。
ルビッチがこの時の言葉をすべて信じることができたとしたなら、お父ちゃん的にこんな幸せなことはないんじゃないかしら。
この世界は煙もっくもくで、星なんか見えやしない。それはそうよね。
ママ的にはアダムとイブ的なリンゴをかじってっていう世界観、実は、本当のことだと思っているの。
ちょっと余談なんだけど、人って、例えば森の中に入って、ちょっと爽やかな空気や風を感じたりしたとしたら、森の木々に守られたその環境は、ほんとに静かで心穏やかにしてくれる場所って思おうとするじゃない。
でも、ある本ではね、こんな風に言っていた。
いやいや、地面の下を見ることができたなら、そりゃあ、すごいことになってるよ。
生き残りをかけて、お互いに根を張り巡らせようと競い合っているんだって。
確かに、陽の光を求めての葉っぱ同士のせめぎあいというのも、見ようによっては熾烈よね。
この世界は、一見穏やかな風に見えても、そもそも、そんな風にはできていないんだよって教えられたことがある。
じゃあ、なんでそんなところにいるのかな。
ルビッチの物語で言うなら、なんで、煙もっくもくの世界に生まれて生きているんだろう。
ママの別の知識から勝手に状況を補うとするなら、それは、リンゴかじっちゃったからなのよね。(この映画の中にそんな背景が描かれたわけではありません)
モクモクの世界からは見えないところに、美しくて、静かで、清らかな世界がある。
でも、ちょっとした好奇心だったのよね。
その静けさに飽きてしまった心の一部が、ちょいとリンゴをかじってしまったの。
そして、その心はね、眠りに落ちた。
ママ的にはね、心が眠り落ち、行きついたところが、煙もっくもくの世界だと思っているの。
でもね、この心、死んでしまったわけではないの。
ちょっと、眠って、夢をみているだけ。
ただ、いつも夜に眠りについて、朝になったら目が覚めるように、簡単にはこの夢から目を覚ますことはできないの。
なぜかって?それは、ちょっと間違いを犯した心、リンゴをかじっちゃえって思った心の部分は、まだ眠りから覚めたくないの。
もうこりごりだっていうくらいの悪夢を見るまでは、きっと、このもっくもくの世界の外に希望を託そうなんて発想は出てこないみたい。
でも、なんか感じるんだけど、最近、ママの周りにも、もっくもくの煙の外に、別の世界があるんじゃないかって、禁じられた上を見てみようとする人たちが増えてきつつあるような感じがしている。
だって、もっくもくの世界の外は、決して退屈な世界なんかじゃなかった。
そこには、完全な平安の世界があったっていうことを徐々に、心が思い出し始めているような気がするの。
ママの勝手な妄想的感想がもう少しだけ続くんだけど、ルビッチが活躍するの映画なんかも、そういったことが、インスピレーションとなって生まれてきたのかもしれないなって思ってる。
ところで、どうやったら、元居た世界に帰れるのかしら。
だって、この煙の世界を描き出してるママの間違った心の部分は、この世界から目覚めたくないって思っていて、つまり、まだ、刺激が欲しいのよね。
だから、いろんな情景や、人間関係だったㇼ、色々刺激的な状況を映し出してくる。
刺激が強いから、ママの心は、そこから目をそらすことができない。つまり、悪い夢を見続けてしまうのよね。
この世界は、そんな風に、目覚めることを許さない仕組みがしっかり出来上がってる。
映画の中には、上を見ようとするものを取り締まろうとする世界の構造や異端審問官なるものが描かれていたわね。
この追跡を逃れて、上を見るためには、相当強い信念が必要ね。
相関②|なんで星の存在を語ると殴りかかってくるものが現れるんだろ
ルビッチのことを、同じ年齢くらいの子がなぐってる。
いじめてるっていうよりは、まるで自分の居場所を守ろうとしているかのような厳しい顔つきに見えたのよね。
ルビッチやお父さんのことを守ろうとしてくれていたダンは、命を狙われるような状況になってしまった。
ゴミ人間プペルという、ルビッチが星を見ることを受け止めてくれていた存在も、完全に否定されていた。
「あいつが来たからおかしくなった」って。
でもこれ、ただの悪意だけじゃないようにも見えたのよね。
この町で生きている人たちにとって、「空の外なんてない」という前提は、自分たちの生活そのものを支えている考え方でもある。
だから、それが崩れてしまうと、自分たちが何を信じて生きていけばいいのか分からなくなってしまう。
少しややこしい話になるんだけど、人って、自分が見ている世界を「そのまま現実だ」と思い込んでしまうことがあるじゃない。
でも実際には、その人の考え方や思い込みで、同じ出来事でも見え方が変わることってあると思うのよね。
この町も、それに近い状態なんじゃないかなって感じたの。
「空は見えない」「外の世界なんてない」そう思い続けている限り、その考えに合うように世界を見てしまう。
逆に、それと違う話が出てきたときには、強く否定したくなる。
もしここで、「本当は違うかもしれない」と認めてしまったら、今まで信じてきたものが崩れてしまう。
だから、それを避けるために、必死に否定する。
ルビッチに対して向けられたあの強い反応は、そういう「揺らぎたくない気持ち」が前に出てしまったものにも見えたのよね。
そしてもうひとつ。
この町って、ずっと苦しいだけの場所ではなかったのよね。
つらいこともあるけど、普通に生活して、笑ったり、安心できる時間もある。
だから、「このままでもいい」と思えてしまう部分もある。
もし本当に苦しいことばかりだったら、もっと早く「外の世界」を求めるはず。
でも、少しでも落ち着ける場所があると、人はそこにとどまろうとする。
その状態で、「外には全く違う世界があるかもしれない」と言われても、すぐには受け入れられないのよね。
だから、上を見ようとする人に対して、強い言葉や行動が向けられてしまうのかな。
それは、その人を傷つけたいからというよりも、「自分の立っている場所を守りたい」という気持ちの方が強いのかもしれないなって思ったの。
ただね、ママが見ていて感じたのは、あれだけ強く否定している中にも、どこか少しだけ迷いのようなものが見え隠れしていた気がするのよね。
本当に完全に信じ切っているなら、そこまで必死に否定する必要はないはずじゃない?
もしかしたら、「違うかもしれない」という気持ちがほんの少しあるからこそ、それを押し込めるために、あそこまで強くなってしまうのかもしれない。
そしてここから先、ルビッチたちがどうやってその状況を変えていくのか。
ただ否定されるだけじゃなくて、少しずつ何かが動いていくはずなのよね。その流れを、もう少し追いながら見ていきたいなって思ったの。
相関③|外の世界を見るために必要なもの
ところでね、ママはよく考えるのよ。人って本来どういう存在なんだろうって。
性善説とか性悪説とか、いろんな考え方があるけど、どちらかを選べと言われたら、ママはどちらかというと「そのままにしておくと、人は流されやすい存在なんじゃないかな」って思ってるの。
別に、生まれつき悪いって言いたいわけじゃないのよ。ただ、何も考えずにいると、自分を守る方を優先したり、楽な方に流れてしまったりすることってあるじゃない。
この世界で、いじめや争いがなかなかなくならないのも、そういうところが関係しているのかもしれないなって思ったりするの。
だって、「もっと穏やかで安心できる世界があるよ」って言われても、実際に見たことがなければ信じるのって難しいじゃない。
見たこともないものを信じ続けるって、かなり大変なことよね。
でもね、ふとした瞬間に、「あれ?もしかして違うかも」って感じることってないかしら。
たとえば、誰かのちょっとした優しさに触れたときとか、思いがけず助けられたときとか、「なんでこんなことが起きたんだろう」って思うような出来事。
そういう出来事って、小さいけど、どこかで「今見えている世界だけじゃないのかもしれない」って感じさせてくれることがあるのよね。
ママ的には、そういう瞬間が、この物語の中でも何度か描かれていたように感じたの。
ルビッチやプペルの周りでも、小さな出来事が積み重なって、少しずつ流れが変わっていった。
最初から全部がうまくいったわけじゃない。でも、少しずつ、少しずつ、何かが動いていく。
じゃあ、そのきっかけって何だったのか。
ここがね、ママはすごく大事だと思ったの。
それは、「誰かのことを考える時間を持つこと」なんじゃないかなって。
自分のことだけじゃなくて、「あの人にとってよい結果になるといいな」とか、「この人が少しでも楽になればいいな」とか、そういう気持ちに一度目を向ける。
それだけで、見え方が少し変わることがあるのよね。
ただね、ここでちょっと難しいのが、「それが本心なのかどうか」っていうところなの。
ママもね、誰かに親切にしたときに、「これって本当に相手のためだったのかな」とか、「よく思われたかっただけなんじゃないかな」とか、後から考えたことが何度もあるのよ。
正直なところ、自分の気持ちがどこまで本当なのかなんて、はっきりわかることの方が少ない気もするのよね。
でもね、考えてみると、そこで大事なのって、「完璧な気持ちかどうか」じゃないのかもしれないの。
一度でも、「誰かのことを考える」という方向に意識が向いた時点で、それまでとは少し違う状態になっているのよね。
目の前の損得とか、自分の立場とか、そういうものから少しだけ離れて、別の視点で物事を見ている。
その状態って、それだけで少し余裕が生まれている気がするの。
だから、何か特別なことをしなくてもいいんじゃないかとも思う。
まずは、ほんの少しでもいいから、自分の外、目の前の人に意識を向けてみる。
そして、その気持ちに合わせて行動してもいいし、行動できなくても、そのままでもいい。
人って、いつか体が思うように動かなくなるときもくるじゃない。でも、それでも「誰かのことを思う」こと自体は、結構最後の最後までできるかもしれない。
そう考えると、思いを向けることだけで何かが変わるんだとしたら、「何もしてあげられない」ということに落胆する必要もなくなるんじゃないかな。
この物語の中でも、そういう一人ひとりの誰かを思う気持ちが重なっていくことで、あの流れが生まれていったように見えたの。
信じること、そして誰かを想うこと。
その2つが重なったときに、今まで見えていた景色とは少し違うものが見えてくるのかもしれない。
ママは、この物語を見ながら、そんなことを感じたの。
そして、この先、ルビッチたちがどんなふうにその変化を広げていくのか、もう少し追いながら見ていきたいなって思ってるのよね。
いつか、自分の子どもがこの映画を見たときに、ママが感じたようなことを、ほんの少しでも感じ取ってくれたらいいなって、そんなことを思いながら、この部分を書いているの。
相関④|プペルはブルーノなの? なぜプペルは消えてしまった?
きっと、奇跡はたくさん起こっていたと思うんだけど、ゴミ人間プペルがルビッチのことを想い、ブレスレットを探していたところ、ここには、奇跡が投影される(起こる)条件が満たされていたわ。
難しく考えることはないのよね。誰かのために、やさしく。
その思いを、まず、抱くこと。そして、それが叶うようにと心の中に投げかけるだけ。
プレスレットは、プペルの体の中にあったのよね。
それを取り出し外そうとしたプペルをルビッチは「それは君の脳みそじゃないのか」って言ってた。
ママ的にはね、少し違う言葉の方がしっくりきた。心という言葉に置き換えて見ていたの。
脳みそって、人それぞれに分かれてるじゃない?
そこには人と人とのつながりというのがイメージしにくかったんだけど、心は体の中にあるものではないと思っているし、心の良い部分というのは、みんな繋がってると思ってるの。
何かを愛おしく、大切に思い、それから生じる喜びなどの感情は、心の中にあって、それはみんなで共有されているものだと思ってる。繋がってるから。
逆に、恐れだとかの感情は、心の中の眠りについた闇になってしまった部分を注視することになったときに思い出されるもの。
今、私たちがこの世に生まれてやらなければならないことは、この暗くなってしまった心の一部、そこを光で埋め尽くして、二度と暗闇の中の恐怖に捉われることのない、つまり、いついかなる時も、光の方を向いていられるように、光の存在を思い出そうとすること。
ブレスレットは、ルビッチのお父さんがルビッチへの愛を込めて渡していたもの。
なくしたから、また別のものをもらってはいたけど、そもそもそれは、なくなるようなものではないのよね。
心の中の愛の部分は、ルビッチにとっては、彼が気づかぬうちではあったけど、しっかり、別の誰かの心に光を灯すことになっていた。
物語の中ではそれは、脳みそと表現されていたけど、ママ的には、元々ルビッチの心の中で灯っていた光の部分なんだと思ってる。
正直、ママには、お金のことはよくわからない。
なるほど~とかっては思うけどね。外の世界というのは、かつて腐るお金が存在していた海の外の世界というよりは、煙の雲を突き抜けた先にある星が輝く世界という理解でいいのかしら。
このモクモクノ煙のような幻にすべて覆われ、光を見ることを許さない世界。
ここで光を見つけるために奇跡を起こす。
ルビッチは、そこにいるみんなに、星という光を見せてあげたかったのよね。
ちゃんと誰かのためにという条件を満たしているわ。
そして、ルビッチは、その奇跡が起こることをどこに願ったのか。
ママはね、お父さんがルビッチが今よりもっと小さかった時に話して聞かせてあげた物語。
これがね、ルビッチの心の中に、光のように、彼のみちしるべとなるように、輝き続けていたんじゃないかと思うの。
みんなが光を見ることを、ルビッチの心の中に父ちゃんが描いてくれた光に託したんじゃないかな。
ルビッチの父ちゃんブルーノの心の中に、その星を描いて見せたのは、爆薬を巧みに使いこなす父ちゃんがおしゃべりモグラと呼ぶ男ね。名前はスコップ。
これで、奇跡が起こる二つの条件が満たされた。
そして、そこに起こった奇跡は、とんでもない奇跡だった。
だって、奇跡の目的は、光の世界があることを、バラバラになってしまった人たちが、再び信じることができるようにすること。
今、あの世界にいたすべての人が、暗闇の向こうに光をまじかに見たんだから、これ以上の奇跡はないわよね。
ところで、プペルの中に父ブルーノを感じるルビッチだったんだけど、プペルの中にブルーノがいたのかしら?
ママは、こんな風に思ってる。プペルは、誰の心の中にもある優しい心が形をとったもののような気がするの。
この物語の中で、誰かに対する優しい気持ちというのを粗末に扱って、優しさなんかに意識を向けない人がたくさん描かれていたように思う。
そんな、多くの人にとって、役にも立たない「優しい気持ち」というのが、ゴミとして描かれたような気がする。
でも、本来ね、優しい気持ちというのは、繋がってるものだとおもうの。
これは誰にでもわかる話。
優しい気持ちで人に接したとき、その相手の心には確実に優しい気持ちが届いたように思える。
これは、届いたわけではなくて、もともとその人の中にもやさしい気持ちというのは備わっていて、ただ、その人は、その気持ちの存在に意識を向けていなかっただけなのよね。
誰かが優しくすることで、その相手の中の優しい気持ちの部分も、ちゃんと感じ取られるレベルのところまで浮き上がってくる感じかしら。
もともと、優しい気持ち(心)というのは、すべて繋がっているのよね。
だから、あの映画の中でみんながゴミのように振り返りもしなかった誰かに対する優しい気持ちというのが、その象徴として描かれたプペルの中に感じられるのは当然のことなんじゃないかな。ルビッチの父、ブルーノの優しい心も、もちろん、プペルの中に含まれてるわ。プペル自身、その心の部分が、ルビッチの心と強く反応し合ったときに驚いていたみたいだけど、お互いのやさしさを確かめ合えた時に感じる喜びのようなものが、プペルが時折流す涙に現れていたような気がするの。
プペルは最後には、消えてしまった。なぜなのか考えてみたの。
ママにとってプペルは、前にも言ったみたいに、人々が見向きもしなくなってしまって、ごみのように扱われた「やさしさ」。
でも、ルビッチが起こした奇跡で、人々は、光を見たの。
光は優しさそのものなのよね。人々は、優しさこそが、自分が大切に持ち続けなければならないものということを思いだした。
もはや、「やさしさ」はごみではなくなった。…だから、プペルはルビッチの前から姿を消すことになったんだと思うわ。
でもね、人々が必要としないがらくたではなくなったプペルの大切な部分は、光の世界の中でもまた一段と輝く光となって、輝き続けていたわ。
まとめ ブルーノはなぜ星の存在をしっていたの?
ブルーノは、信じることができる人だったに違いない。それは、既に、心で何度も光を感じていたからじゃないかな。人は、誰かに親切にしたときに、そこに光を見るって言うわ。そこにないものが見えるということは、きっとどこかに隠されている。酒場で耳にしたたわいない話に耳を貸すことができた。ブルーノたちの世界では、あの分厚いもっくもくの煙を突き抜けたところに、その光はあるに違いないと信じることができた。きっと、ほかの人たちよりも、親切にふるまうことが多かったせいじゃないかな。なんどもなんども、そこに奇跡の光を見て、光に満ちた世界がどこかにあるということが信じられたんじゃないかな。
今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。


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