『魔女の宅急便』って、子どもの頃には「空を飛べる魔女の話」として見ていたのに、大人になってから見ると、まるで別の物語に見えてきますよねえ。
なぜキキは魔法の力を失ってしまったのか。
なぜジジは言葉を話さなくなったのか。
今回は、登場人物たちの相関図とあわせて、この物語がそっと伝えていた“奇跡の正体”について、ママなりに考えてみました。
相関図|魔法使いの修業とは。キキを包んだやさしい相関

優しさに包まれたなら奇跡が起こるというのはユーミンのことばなんだけど、その奇跡って何なのッて自分なりに答えにたどり着くと、日常が奇跡にあふれ出すのよね。
そう、その奇跡というのは、不思議な出来事だから、それは魔法によって引き起こされたといってもいいわね。
若いうちは、それに気づくのがとても難しかった。
だって、幸せになるために勉強して、いい会社に入ってって、世の中の全てがそんな風に動いていたから。
子供の頃って、その影響が少ないから、まだ奇跡が起こる余地が残されていたのかもしれないわね。
大きくなるにしたがって、周りにいる人の多くを競争する相手としてみるように仕向けられてたような気がする。
そこに奇跡は起きないのよね。
でも、逆に言うと、優しい気持ちに包まれたなら、大人になってもそこに奇跡は起こるの。
そしてね、もっと大きくなってから、学んでわかることもある。
奇跡ってね、周りの人みんなが笑っていること。
その日に出会う誰かの顔が笑顔になったら、それが奇跡が起こった証。
笑顔になるために何が起こるかは、人それぞれ。お金が来ることもあるでしょうし、体が癒されることもある。
でもね、何が起こるかは、その人に必要なことが起こるのよね。
自分には奇跡らしい奇跡がおこらないって、ずっと嘆く人も見かけるけど、そこに奇跡が起こったかどうかというのは自分が関わった人の「笑顔」で証明されるわ。
それはね、ある種の魔法ともいえそうよ。
例えばね、有名なお笑いタレントさんのネタを、ママが今、誰かの前で披露したとしても、目の前にいる人が笑ってくれる可能性はほぼ0だと思うの。
あのタレントさんたちの笑いは、魔法なんだと思うの。
実はね、人の笑顔というのは、その時、その場にないものによって作り出されてるの。
ね!それって、不思議でしょ。
その笑顔は奇跡の証だし、不思議な出来事だから魔法とも呼べるのよね。
お笑いの場合には、その場で披露された芸によって笑ってると錯覚するから、魔法とは感じないだけのことだと思ってる。
いい笑いをもたらす芸人の皆さんは、きっともれなく、舞台に上がる前に、自分に会いに来てくれた人が笑顔になりますように!って、真剣に願ってるんだと思うの。
その願いがね、もう舞台が始まる前に、その観客の皆さんの心のところまで届いているのよね。
そして、開演したら、確かにその思いは、たくさんの皆さんのところまで届いていましたよって証となって、みんなの笑顔になって返ってくるの。
そんなことがね、ママ自身も仕事をしていて、長い年月かけて、お客さんとのやり取りの中で笑顔を見て、確信するようになるのよね。
お客さんにお会いする前に、そういう気持ちをもてていなかったとき、そこにはね、奇跡の証拠なんてものは起こるわけもなくって、魔法のような出来事だって起こらないわ。
そういう意味ではね、人は誰でも魔法使いなんだと思ってる。
物語の中ではね、箒にまたがって空飛ぶことが魔法使いの象徴なのよね。
小さい頃はね、神様がいてってユーミンも歌ってた。
そうなのよね。小さい時にはね、いつも楽しく過ごしていたいの。
誰かと競争だとか、生存のための仕事だとか、そういったことに気をとられて、本来持ち続けなければいけない、誰かに対する優しい気持ちとかいうのをそっちのけにしてしまう。
小さい時って、お父さんお母さんが優しく笑ってくれることを期待して過ごしてる時間多いと思うし、友達とも楽しく過ごすことを望んでる。
だから、そんなことが目の前に起こりつつづけるのよね。
そう願って優しい気持ちでいる限り、目の前にその笑顔をもたらしてくれるのは、そう、神様なのよね。
では遅ればせながら、奇跡を起こす主人公がどんな人たちとの間にやさしい空気を感じていたのかその相関を見て見ましょ。
キキの旅立ちは、ひとりで生きていくための修業として始まるんだけど、その道のりでキキのまわりには、少しずつあたたかなご縁が集まってくるのよね。
旅立ちの時からそばにいたジジは、不安な気持ちを受け止めてくれる相棒。
知らない街へ向かうキキにとって、心細さをやわらげてくれる大切な存在だったわ。
新しい街で居場所をくれたおソノは、何も持たずにやって来たキキを受け入れてくれた人。
あの出会いがあったからこそ、キキはこの街で前を向いて歩き始めることができたのよね。
トンボは、外の世界へ目を向けさせてくれる存在。
少し苦手に感じることがあっても、自分とは違う風を運んでくれる人との出会いって、大きな意味がありそうね。
そして、うまく飛べなくなった時に寄り添ってくれたウルスラは、立ち止まる時間にも意味があることを教えてくれる人だった。
こうして見ると、キキの修業って、魔法の技術を磨くことじゃなく、人のやさしさを受け取り、自分もまた誰かへ届けていくことの大切さを学ぶことだったのかもしれないわね
キキはなぜ魔法の力を失った?
でも、キキはその奇跡の力、魔法の力を失ってしまうの。
13歳で魔女は独り立ち。
うーーん、もしかすると、この13歳というのは、さっき言っていた熾烈な競争社会にいやおうなしに放り込まれる象徴的な年齢なのかな。
だから、魔女の皆さんは、そこから1年修業をしなければならない。
そして、ある気づきに至らなければ、魔法の力を失うことになる。つまり、幼い頃には溢れていた奇跡を起こすことができなくなってしまうのね。
キキもまた、家族に守られていた場所を離れ、知らない街で、自分の力だけで居場所を作らなければならなくなったのよね。
これまで当たり前にあった安心や笑顔は、そこにはまだ用意されていなかった。
新しい街で出会った おソノの優しさに助けられながらも、仕事というのは、楽しいことばかりじゃないのよね。
思うようにいかない日もあるし、報われた気がしない日だってある。
トンボのように、まぶしく世界を楽しんでいる人を見ると、自分だけがうまくやれていないように感じてしまう時もある。
若い頃って、ああいう何気ないことで、自信をなくしたりするのよねえ。
魔女の皆さんというのは、自分に魔法の力があるというのを自認している人たちなのよね。
でも、大人になるにしたがって、人にやさしくするという気持ちを忘れがちになってしまうのかもしれないわね。
そうなると、もちろん、奇跡というのは起きないから、すなわち魔法の力は失われていくのよね。
奇跡というのは、誰かのことを大切に思って、その人にやさしくしようと思って、その人の笑顔を願った先に起こる出来事。
いがみあったり、競争ばかりしているようなところに、奇跡というのは起こらないわ。
もう、なぜキキが魔法の力を失っていったのか明白よね。
それは、空を飛ぶ方法を忘れたからじゃないの。
誰かに腹を立てたり、誰かと比べたり、うまくやらなきゃと力んだりして、自分の中にあったやさしい気持ちを見失ってしまったから。
ウルスラは、うまくできない時期があることを知っていた。
だからキキを責めず、「そういう時もある」と受け止めてくれたのよね。
人って、正しい答えをもらうより、そうやって分かってもらえた時に少しずつ力を取り戻すことがあるのかもしれないわね。
そういうもんなんだよというのを13歳の時に学ばせるというのが、魔女の世界の独り立ちの1年として描かれたんじゃないかな。
空を飛べなくなったことそのものより、
飛べなくなった時に、どうやってもう人に対する優しさを取り戻すか。
この映画が本当に描きたかった修業って、そこだったのかもしれないわね。
ジジはなぜ言葉を失った?
ジジが言葉をしゃべるのだって、奇跡であり、魔法よね。
もちろん、それはキキの力に支えられた魔法なのよね。
奇跡というのは、その時その人に必要な形をとって示されるもの。
13歳までのキキにとっては、自分に寄り添ってくれる黒い猫というのが必要だったのよね。
なぜ必要だったのかはママにはよくわからない、あの世界の中の世界観によるものなんだけど、でも、なぜジジがしゃべらなくなったのかは明白よね。
これも、先の話と同様に、キキの魔法の力が衰えたせいよね。
ついこないだまでは、たくさんの笑顔に当たり前のように囲まれていた。
でも、あるころから、自分の周りに笑顔の人たちを見かけなくなってきた。
こんな時期ってママにもあったような気がする。
人と仲良くしようという気持ちより、競争心の方が強くなっていった時期よね。
そんな時、周りのみんなの声も聞こえなくなっていった。
もちろん、周りの皆が黒猫なわけはないんだけど、ママがそれまで、周りのみんなから楽しい話を聞けていたのは、ある種の奇跡であり魔法だったのよね。
ママは、その魔法の条件を失ってしまったから、周りから笑顔や楽しく語りかけてくれる人の姿が消えていった。
キキにも、同じようなことが起こったんじゃないかしら。
新しい街で頑張って、失敗しないように気を張って、ちゃんとしなきゃと背伸びしているうちに、隣にいる誰かのことを気にかけるような優しさ溢れる時間を失っていったのかもしれないわね。
因みに、公式に近いところの情報によると、ジジのしゃべりというのはキキの心の中の声という情報もあるから、ここでママが書いていることは、ママの勝手な世界観での考察に過ぎないということだけご了承くださいね。
魔法の力を取り戻した後も、ジジがしゃべらなかった理由
もうあの時のキキには、しゃべる猫は必要ではなかったということよね。
魔法の力は失っていったけど、キキは自分の心を開いて話をすることができる人たちに囲まれていた。
新しい街には、おソノのように、何も持たずにやって来たキキを受け入れてくれる人がいた。
トンボのように、不器用でもまっすぐ近づいてきてくれる人もいた。
ウルスラのように、うまくいかない時の気持ちをわかってくれる人もいたのよね。
魔法の力は完全に失われることはないのよね。
ちゃんと助けてくれる存在は、いつも、自分のそばに与えられている。
自分がそうと気づいて、その人たちにやさしい気持ちを向けさえすれば、その人たちは、そこに奇跡が行われていることをチャンと証明してくれる。
優しく語りかけて笑顔を返してくれるわ。
奇跡はいつもその人に必要な形となって現れてくれる。
13歳までのキキには、自分と会話してくれる黒猫という形や存在が必要だった。
知らない街でひとり立ちを始めたキキには、安心して帰れる場所や、見守ってくれる人たちという形が必要だった。
そして、少しずつ成長したあの時のキキには、もう以前と同じ形の魔法は必要ではなくなっていたのよね。
あの時、あれから後のキキにとって、自分と会話してくれる猫は必要ではなくなっていたということじゃないかしら。
まとめ|『魔女の宅急便』で読み解く本当の魔法とは
『魔女の宅急便』って、人がどうやって心の力を失い、そして取り戻していくのか を描いた作品のように感じたわ。「
キキが魔法を失ったのは、箒の乗り方を忘れたからではなく、目の前の世界に疲れてしまったから。
ジジが話さなくなったのは、キキに別の支えが与えられたから。
キキのまわりには、おソノやトンボ、ウルスラのように、ちゃんと人を支えてくれる存在がいたのよね。
奇跡(魔法)って、特別な光が降ってくることではなく、
誰かが笑ってくれること。
誰かと心が通うこと。
これって実はとても不思議な出来事だったということを忘れがちなのかもしれない。
そして、誰かにむけるやさしい気持ちが引き起こす相手からの笑顔こそが、実はとても不思議な出来事で、それこそが本当の魔法なのかもしれないわ。
今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。


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