キセキって、誰かの笑顔を思ったときにふっと生まれる“光”みたいなものなんですよね。
映画『キセキ ーあの日のソビトー』は、あのGReeeeNのデビューまでの道のりを、家族との関係や兄弟の迷いと一緒に描いた作品で、観ているこちらまで胸がぎゅっとなる瞬間がいくつもあるんです。
ときにはぶつかって、ときには支え合って、それでも“素の自分”に戻っていくJINとHIDEの姿があたたかくて…。
この記事では、そんな彼らの歩みを相関図と一緒にたどりながら、家族の中に生まれた小さなキセキを感じられるポイントをご紹介していきますね。ネタバレも含みますので、未視聴の方はどうぞご注意を。
相関図①|兄JINと弟HIDE──森田家に生まれた“揺れる才能”たち

兄のJINはヘビーメタル系のバンドをやっているんだけど、家庭内ではなかなか父親の理解が得られず苦しんでるみたい。
彼は、そんな中でも必死にバランスを保とうと努力しているところがよく伝わってくるわ。
その家族の関係を早々にぶち壊すのは簡単だったかもしれないんだけど、彼はなんとか、今あるものは壊さないという思いでやっていたんじゃないかな。
男二人兄弟の関係というのはよくわからないけど、そんな兄だったから弟のHIDEも、兄と同じようにおかれた環境や周りへのリスペクトというのは忘れずにいられたのかもしれないわね。
HIDEはプレッシャーがある中でも、やっぱり兄同様におかれた環境や関係を大切にするマインドを持っていたんじゃないかな。
ただ、映画の中で描かれたのは、兄の方はブレる時間というものがほとんどなかったのに対して、弟のHIDEの方は、しばし迷いの時間をさまよってはまた戻ってくる…そんな時間の経過も描かれていたの。
でも、もしかしたら、その時間の経過がGReeeeNがみんなに伝えたい音楽や歌詞の中に込められ、心を揺さぶる?支える?寄り添う…そんな音楽になって、そんな言葉を待っていた世の中に広まっていったのかもしれないわね。
ママ的に好きだったのは、森田家の母、森田珠美さん。
ちょっと「厳しい」という言葉ではすませにくい父の息子に対する態度の中にあって、父の憤りに任せたような態度に押されることもあったみたいだけど、それでも暗くふさぎ込む様子はなかった。
それも、JINやHIDEのギリギリのところでバランスをとろうとしていた態度にすくわれていたんでしょうけど、子供たちがそのラインでぎりぎり持ちこたえられたのは、お母さんのあのキャラクターがあったおかげなのかもって感じたわ。
ママ的には、JINはしっかり筋を通そうとして、父親とも向かい合おうとしていたのに、父の方ときたら、自分が息子に思い描く将来像とずれているというだけで、力づくでその方向を変えようとしているように思える。
よくもまあ、ぐれなかったことだわ。
対照的に、父親が望んだ方向に沿って将来を思い描く弟のHIDE。
医学部は彼にとってはちょっとハードルが高かったのか、受験生としてはちょっと苦悩の日々が続いていたのよね。
でも、父親に、音楽で生きていくことの意義を伝えきることも難しかった。
それは仕方のないことかもしれないわね。だって、音楽で生きていこうとする人って、その他の職業について生きていく人に比べたらほんの少数派じゃない。
この後、ある心臓病と向き合わなければならない結衣の決断に影響を与えたのは音楽だった。
その音楽の力のお陰で、その女子高生が治療に前向きに取り組む姿をみることになるの。
でも、心にはたらきかけることをイメージしながら働いたことのないものにとっては、音楽で生きていくというのは経験したことも聞いたこともないわからない世界の話よね。
JINたちの仕事も、彼らの父親の仕事も、本来は何の違いもないのかもしれない。音楽は誰かの心に寄り添うことを当たり前に要求されて、そうでなければ、きっと成り立たないのよね。
彼らの父親の仕事も、本来は同じように誰かに寄り添う気持ちがとても大切なはずなのに、それを忘れていても、成り立ってしまうところがあるのかもしれない。
そういう意味では、JINたちは、父親よりも一歩先を歩いていたのかもしれないわね。
相関②|JINが見つけた“心に触れる音楽”と、HIDEの葛藤
歯医者である父が「自分の歩んだ道はいい道だ」と思って息子たちに勧めてきたように、JINにも“HIDEに伝えたい世界”があったのよね。
それは父が勧める“安定した道”とは少し違って、もっと心に触れるような、誰かの気持ちを動かす世界。JINはきっと、そんな“心にはたらきかける世界があるんだぞ”ということを、HIDEにも示したかったんだと思うの。
でも、JINのやりたかった音楽は、そのとき求められた人気音楽とはちょっと異なっていたみたい。
後にHIDEたちの楽曲に手を入れた時の手腕の高さを思うと、もちろん才能がなかったわけではなく、ただやりたかった音楽がそのときの人気ジャンルにあわなかっただけなのかもしれないわね。
でも、弟であるHIDEたちがやることになる音楽をブラッシュアップすることはできた。
彼らを支えて、世の中のその音楽を必要としていた人に、完全に受け入れられるものに仕上げていく才能というのがあったのね、きっと。
JINはバンドの仲間が去り、一人になり、そしてHIDEが残していった彼らの音楽を耳にして、何かピンとくるものがあったみたい。
もしかしたら、自分の引き受けるべき役割というのが見えちゃったのかしら。
同時に、弟HIDEの中に、何か才能もみちゃったのね。
そこに見たものは、弟たちのバンドの先で心揺さぶられる人々の顔だったのかもしれないわね。
楽しそうにライブで歌う彼らの顔の中に、それに癒される人々の顔や姿がかぶって見えたんじゃないかな。
結局そこに、JINが求めていたものがあったってことね。
相関③|GReeeeN結成とデビュー前夜──役割が動き出す瞬間
JIN、自分の身の丈に合った仕事をみつけたって。そういいながら、かつて抱いていた夢みたいなものに、最後のさよならを言っていたのかもしれないわね。
それに対して、HIDE。ちょっとまだふらつくのよね。
HIDEは彼の役割とか、身の丈(?)というものが彼自身よりはっきり見えている人に囲まれている。
彼がバンドより親の期待に応えようと勉強の方を選んだとき、彼の周りにいたある意味賢者たちは、つかの間、彼と距離を置いたように見えた。
ほんとに賢者よね。だって、無理強いはしない。彼が納得いくようにさせてるんだもの。
お兄ちゃんのJINと違って、彼は自分の役割や、自分が進むべき道を見定めるのに少し時間がかかるタイプなのかな。
そのことが、時に、お兄ちゃんをイラつかせることがあるみたいだけど、お兄ちゃんの懐は深かったわね。
基本、受け入れてあげるのよね。バンドの仲間たちもそう。みんな懐が深かった。
HIDEの何かに気づくのに時間がかかるところは、お父さんに似たということなのかしら。
お父さんはJINに、音楽は医者には勝てないって。人の役に立つ仕事をしてほしかったって。
まだこんなこと言ってるの。
いや、まだと言ってはだめかな。今のところ、彼が気づけるような出来事は、彼の周りには起こっていなかったんだから。
人が何かを本当に学べる時っていうのは「キセキ」が起こった時なのかもしれないわね。
これまで、彼以外の人たちは、自分以外の誰かのためを思って「キセキ」が起こる瞬間を見てきたわね。
JINは弟の音楽に感動して、彼らのライブの姿の向こうに、それに励まされる人たちの顔を見た。
その人たちの笑顔を願ったんでしょうね。
JINは人の役に立つために、心の医者になることを宣言したわ。誰かの役に立つことを誰かのために願った。
お母さんは、いつも子供たちの幸せを願って全てを受け入れていた。
だから、その子供たちの喜ぶ姿を見ることができた。
みんな「キセキ」を見て、自分の考えや態度が正しかったことに気づいていくのよね。
でも、お父さんは、まだ、喜ぶ姿をここまで見せていないの。
でも、彼は、結衣の心が動く「キセキ」の瞬間を目の当たりにすることになるのよね。
その奇跡の前夜なのかな?彼は寝苦しそうに、眠ることができないでいるの。
学びの直前の生みの苦しみなのかな。
JINが彼に宣言したことが、心のどこかに引っ掛かったのかしら。
医者ではないJINが心の医者となり、誰かの心を動かして見せると言ったことが。
自分は自分の患者の心を動かすことができていない。
そう、いろんな意味で、心こそが病のままでいるのかそこから抜け出せるのか、鍵を握っていると言えるのかもしれないわね。
今、JINやHIDE、そして周りのみんなが奇跡に向けて動き出したように感じる。
相関④|届いた思いと“キセキ”──父が初めて見せた笑顔
奇跡というのは、誰かが誰かのことを思って、それがその相手に届いたときに起こるのよね。
歌手の方なら、目には見えない向こうにいるファンの方たちの顔が笑顔になるのを思って歌うとき、それを聞いた人の心に光を灯すんでしょ。
誰かのことを思って、その思いで行動を示したとき、その相手は光が灯った証として、笑顔を見せてくれるのよね。
今、JINたちの父である先生が、初めて笑顔を見せたわね。
誰かの思いが先生の心に届いたってこと。
それはもしかしたら、キセキに背中を押された結衣が、担当医に任せようと思い、その思いが結衣の中で担当医の笑顔という形でイメージされたのかもしれないし、もしかしたら、「キセキ」をレコーディングしていたJINやHIDEの思いの中に、そうはいっても自分たちを育ててくれた父への感謝や、自分たちの活躍を喜んでくれる父の笑顔がイメージされていたのかもしれないわね。
まとめ|ソビトとキセキ 素の自分で輝くときに起きること
映画のタイトルにも入っている「ソビト」って、ネットで調べてみると自由に新しいことに挑戦していく素の自分みたいな意味の造語らしいの。誰かの理想や期待に合わせようとするときって、もしかしたらその人のことを思っているようで、実は自分自身のことを考えているのかもしれない。
JINもHIDEも、父親の期待や周りの価値観に揺さぶられながら、それでも最後は“自分がやりたいこと”“自分が信じられる道”に戻ってきた。あの姿こそまさに、この映画が描きたかった「ソビト」そのものなんじゃないかな。人がやりたいことを考えてワクワクする時って、実は、自分ではない誰かを喜ばせることになることを考えている時なのかもしれないわね。
結衣の心に灯った光も、誰かの笑顔を思って作られた音楽が届いたからこそ起きたキセキ。GReeeeNが描いてきた音楽も、JINが見つけた“心の医者”という役割も、全部「ソビト」が他の誰かの背中を押した結果なんですよね。
きっと私たちも、自分が自分らしくいられる場所で、人のために何かを願ったとき、小さな“キセキ”に出会えるのかもしれません。
そんなメッセージを置いていってくれる、温かい映画でした。
今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。


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