映画テルマエ・ロマエ 相関図!ルシウスのタイムスリップの仕組みと真実との“赤い糸”を考察

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この記事はネタバレ情報やあらすじを含みます。シリーズの他の作品含め、未視聴の方は特にご注意ください

一組の男女の赤い糸が、ローマ帝国時代の歴史そのものを書き換えてしまう──そんな事態、誰が想像したかしら?
2000年近くもの時を超えて繋がる、壮大なスペクタクル恋愛映画……と言いたいところだけど、もちろんそれだけじゃ終わらないのよね。

皇帝ハドリアヌス、その傍らに控えるケイオニウス。そして、未来の皇帝となるアントニヌス。
この三人の関係性が物語全体にとんでもない奥行きを生み出しているの。

排水溝の向こう側でぐるぐる出現するタイムトラベルのドタバタ劇を見ていたら、
いつの間にか“歴史そのもの”に巻き込まれている──そんな不思議な感覚がクセになる、歴史サスペンスでもあるのよね。

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目次

相関図①|ルシウスはどうやってタイムトラベルしている?ストリジルとは何?

ローマ帝国のはじまりは紀元前753年にまで遡る。物語は紀元128年というから、ローマ帝国が興ってから900年…900年もあの規模の国を維持していたなんて、考えてみたらすごいコトよね。

時の皇帝ハドリアヌスは暴君として恐れられていた(映画のナレーションより)ようなんだけど、実際の歴史では文化政策をどんどん進めた名君としても語られているの。

その一つがテルマエと呼ばれる公衆浴場の整備で、これが結果的に民衆の支持を集めることにもつながっていたらしいのよね。

なるほど、映画としては理解したんだけど、テルマエが本当に政治的に利用されていたというのは事実なのかしら…と気になって調べてみたら、どうやら“民衆を治めるための公共サービス”として浴場整備はかなり早い時代から使われていたみたいなの。

ローマ帝国の勃興期と言っていいのかしら、あの有名なカエサルの頃にはすでに市民のための浴場建設がはじめられていたというから驚きよね。

その後、この映画で取り上げられた紀元1〜3世紀にテルマエ政策は全盛期を迎えたようね。

もちろん、このある意味文化と言える政策も、時代遅れと呼ばれる時期を迎えるんだけど、ハドリアヌスの頃はその全盛期のちょうど真ん中あたりの時期にあたっているの。

だからきっと、このテルマエ建設にかかわる人々っていうのは、成熟しきったその市場の中で、さらに斬新なアイディアとか、そういったものを求められていたのかもしれないわね。

ところで、歴史、それも何百年もそれ以上も前のこととなると、何が真実なのか突き詰めるのはとても難しいとこととはおもうんだけど、映画の中で皇帝について語られる内容は、インターネットで確認できるレベルの情報と一致しているところも多いのがなんか面白い。

ネットでも「諸説あり」とかなってる内容が、映画の中では「お前知らなかったのかよ。ハドリアヌスといえば、暴君じゃないかよ」「暴君?」って。

その場で繰り広げられる世間話の中で元老院を容赦なく殺してしまったとか、世間一般には賢者として知られる人が、ある情報に触れた人にとっては暴君であったりとか、同じ人に対して人々が抱く思いって様々なのよね。そういうところって今と変わらないのよね。なんか面白い。

主人公ルシウスはこの時代のテルマエ設計技師。だけど、時代についていくのは彼にとっても大変そう。

もっと斬新なものを作れだとかなんだとか。ルシウスはどちらかというと本質にこだわるようなの。

体を休めるべき浴室に格闘技が持ち込まれたり、水泳をやったり。ルシウスにはこの時代のそんなスタイルが辛抱たまらなくなってきているみたい。

ルシウスの目にはそんな騒がしくガサガサした浴場は、時代の凋落とも映っているらしい。

正直、ママはもうこのテルマエロマエは何回観たかしらっていうくらい見ているんだけど、いかにボーっと見てたか今気づいたの。

ルシウスが、浴槽の流しに吸い込まれていくシーンは有名で記憶にも残っているんだけど、

今のところ、何がどうなったらタイムトラベルが起こるのか、よくわからない。

ところで、ルシウスが湯船に頭まで浸かるきっかけとなった、老人が湯船の中で失ったストリジルってなんなの?

ストリジルというのは、古代ローマで使われていた“身体をこそげ落とすための細長いヘラ”のことらしいの。

当時は今みたいに石けん文化がしっかり広まっていたわけじゃなくて、まず身体にオイルを塗って、そのオイルごと汚れをストリジルでシャッとこそげ落としていたらしい。

このストリジルってただの掃除道具じゃなくて、時には「持っていること」そのものがステータスにもなっていたらしいの。

素材も青銅とか銀とかいろいろで、裕福な人ほど立派なものを持っていたんですって。

そう思うと、老人が湯船の中で落としたストリジルを探してあげようとするのもうなずけるわね。

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相関図②|ケイオニウスとハドリアヌスの関係は?アントニヌスとは何者?

そんなある日、ルシウスは皇帝ハドリアヌスから突然の呼び出しを受けるの。

皇帝の居館に足を踏み入れる前に、まず彼の前に現れたのが若い青年ケイオニウス。

皇帝のそばで動く人物にしてはずいぶん若いんだけど、その立ち居振る舞いが妙に落ち着いていて、ただの侍従じゃない“特別な近侍”という雰囲気をまとっていたのよね。

皇帝の信頼を深く得ている存在なのは一目でわかるの。

ルシウスが一瞬ひるんだように見えたのも、きっとその“ただ者じゃない空気”を感じ取ったからなんだと思うのよ。

そしてハドリアヌス。テルマエという文化を政治の中枢にまで引き上げている存在でありながら、その意思決定ひとつで人の運命を大きく動かしてしまう絶対的な権力者。

そのそばにケイオニウスが控えているという構図だけでも、この二人の関係がただの主従ではないことが伝わってくるのよね。

ケイオニウスは若くして皇帝の信頼を得ている存在でありながら、その立ち位置はどこか不安定にも見える。

皇帝に近いということは、それだけで権力の中心にいるということだけど、同時にその評価ひとつで立場が大きく揺らぐ場所でもあるの。

そこに対して、アントニヌスという存在はまた少し違うのよね。

表立って強い存在感を見せるわけではないんだけど、静かに状況を見ているような立ち位置。

ケイオニウスが“今の中心にいる人物”だとすると、アントニヌスは“その先にある流れを担う人物”という印象。

この三人の関係って、単純な上下関係ではなくて、
ハドリアヌス=絶対的な中心
ケイオニウス=そのすぐそばで評価を受ける存在
アントニヌス=その外側から静かに流れを見ている存在

…という、少しずつ立ち位置の違う三角関係になっているのよね。

そしてルシウスは、その構造の中に外側から入り込む存在。

皇帝に評価されることで一気に中心に近づくけど、その分プレッシャーも強くなる。

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相関図③|なぜルシウスは真美がいるところばかりに現れる? アンティノーとは何者?

失意のルシウスと、失意のハドリアヌス。この二人の状態って、立場は全然違うのに、心の構造としてはどこか重なっているのよね。

ハドリアヌスにとってのアンティノーという存在は、ただの側近ではなく、心そのものを支えていたような特別な存在。

その喪失は、権力者である彼から“支え”を丸ごと奪ってしまったようなものだったと思うの。

一方でルシウスも、自分の誇りや価値観が揺らぐような状況の中で、自分自身の存在意義を見失いかけている。

何かを失ったわけではないのに、“自分が自分でいられない感覚”に近いものよね。

この二人に共通しているのは、「心の中に空白ができている状態」。

そして、その空白があるからこそ、何かに引き寄せられる余地が生まれているようにも見えるの。

そこで浮かび上がってくるのが、真実という存在。

ルシウスがなぜ彼女のいる場所に現れるのか。

もしこれを構造として見るなら、
ルシウス=揺らいでいる側
真実=受け止める側

という関係になっていて、ルシウスの中にできた“空白”が、自然とその受け皿に向かっているようにも見えるの。

いわゆる「赤い糸」という表現も出てくるけど、ここで言われているのは運命的な恋愛というよりも、“必要なときに必要な場所へ引き寄せられる関係”に近いのかもしれないわね。

そしてもうひとつ気になるのが、水とタイムトラベルの関係。

これまでの流れを見ていると、単純に水に入ったから起きているというよりも、「何かに強く意識が向いたとき」に引き起こされているようにも見えるのよね。

つまり、
水=きっかけ
心の状態=引き金

という構造になっている可能性もある。

そう考えると、ルシウスがどこに現れるかというのも、場所の問題ではなく、「そのときの彼の心がどこに向いているか」によって決まっていると考えた方が自然なのよね。

アンティノーを失ったハドリアヌス、
自分の立ち位置を見失いかけたルシウス、
そしてその間に現れる真実。

この三者の関係って、直接つながっているわけではないのに、
“心の空白”という一点でゆるくつながっているように感じられる。

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相関図④|ケイオニウスの嫉妬と、アントニヌスの左遷。史実とのズレに真実が気づくとき

ここで見えてくるのは、ケイオニウスとアントニヌスの関係の“質の違い”なのよね。

ケイオニウスは皇帝のそばにいて、いま現在の評価の中で立っている人物。

だからこそ、その立場は常に不安定で、誰かに揺るがされることへの敏感さがあるように見えるの。

一方でアントニヌスは、表立って主導権を握っているわけではないけれど、周囲からの信頼や落ち着きの中で存在しているタイプ。

いわば、“評価で立っている人物”と“積み重ねで立っている人物”の違いとも言えるかもしれないわね。

この二人が同じ場にいるとき、表面上は静かでも、その内側では力の向きがまったく違う方向に働いているのがわかるのよね。

真実はこの時代の人間ではないからこそ、“歴史の流れ”そのものに違和感を持てる存在なのよね。

本来なら内側にいる人間には見えないはずのズレに気づける、外側の視点。

つまりここでのポイントは、
ケイオニウス=今の流れにしがみつく側
アントニヌス=本来の流れを持っている側
真実=そのズレに気づく外部の視点

という三層構造になっているところ。

この構造の中でルシウスはどこにいるかというと、最初は完全にケイオニウス側の流れに巻き込まれている存在なのよね。

評価されることで中心に近づいた分、既存の流れの中に取り込まれてしまっている。

でも彼自身は、その立ち位置に納得できていない。

なぜなら、自分の価値が「借りてきたもの」によって成り立っているという感覚があるから。

ここで真実の存在が効いてくるのよね。


外側から来た視点によって、「それでも意味がある」という別の基準が提示される。

つまりこの④で描かれているのは、単なる権力争いじゃなくて、
「何をもって価値とするか」という基準の衝突なのよね。

・評価によって成り立つ価値(ケイオニウス)
・積み重ねによって成り立つ価値(アントニヌス)
・視点によって書き換えられる価値(真実)

そしてその間で揺れるルシウス。

この構図が見えてくると、物語の見え方がガラッと変わるのよね。表面では歴史や権力の話が動いているんだけど、内側ではずっと「自分の価値とは何か」を問い続けている構造になっている。

まとめ|“赤い糸”とタイムトラベルが示していたもの

こうして見ていくと、『テルマエ・ロマエ』って単なるタイムスリップのコメディじゃなくて、

それぞれの立場や価値観がぶつかり合う中で、「何を信じて進むのか」が問われ続けている物語だったのよね。

ハドリアヌスのもとで評価にさらされるケイオニウス、静かに流れを担うアントニヌス、そしてそのズレに気づくことができる真実。

それぞれが違う位置から同じ時代を見ているからこそ、同じ出来事でも意味が変わっていくのが面白いところ。

その中でルシウスは、評価や結果に振り回されながらも、自分の中にある基準と向き合い続けている存在だったのよね。

だからこそ、彼が引き寄せられる先には、いつも“別の価値観”を持った世界があったのかもしれないわね。

水をきっかけに起こるタイムトラベルも、ただの偶然ではなくて、

心が揺れたとき、何かを求めたときに起きる“視点の移動”のようにも見えてくる。

そして真実との関係に見える“赤い糸”。

それは運命的な恋というよりも、

迷ったときに進むべき方向を照らしてくれる存在とのつながりだったのかもしれないわね。

ローマと現代、権力と個人、評価と本質。

そのあいだを行き来しながら、ルシウスが見ていたのは、

「何が正しいか」じゃなくて「何を信じて進むか」だったのかもしれない。

今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。

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