今回は、雫と聖司だけではなく、西司朗さんや家族、男爵とのつながりまで含めて、登場人物たちが雫の人生にどんな影響を与えたのか、ママなりの視点でゆるっと整理してみました。
主要相関図

雫ちゃん、中学3年生の女の子。
ママが子供の頃の同級生にも、すごい読書好きの子がいたな。
ものすごく頭は良さそうだったんだけど、結局進学校みたいなところにはいかなかったみたい。
雫ちゃんもそうだったみたいに、本からいろんな情報が入って、そのお陰でもしかしたら自分自身の世界観というのが頭の中に描きやすくなったりするのかな。
情報が乏しいと、やっぱり限られた情報の中でしか考えることができなくなりがちなのかな。
いや、これはママ自身の経験からね、将来の夢とか追うこともなかったし、学生時代の進路決めるとか言うのも、クラスの中で自分はこのあたりだから、この辺の高校に行くのかな…とかね。
何がやりたいからとか、そういうの全然なかったのよね。
でも、意外とこういう状態の子って、ママの周りでも多かったような気がする。
あの時、雫みたいに、たくさん本読んでたら変わってたのかな。
いや、今なら断言できるけど、絶対変わっていたと思うわ。
結果的に、同じ道を歩くことはあったかもしれないけど、何か違う妄想をして、何か違うことにチャレンジするようなことがあったかもしれないな。
雫の様子をみてると、彼女の使えるほとんどの時間は読書に充てられていたみたいね。
まだ誰も読んだことのない本を借りようとしていたけど、その本のタイトルはフェアリーテイルだった。
おとぎ話って意味のタイトルね。
本の中で夢を見ているのが好きなタイプだったのかな。
そんな13歳の雫に恋愛感情というのはまだあまり芽生えていなかったみたい。
…いや、13歳でそんなわけないわよね。
まだ明確な姿となって目の前に現れていなかっただけよね。
それが証拠に、ちょっと気になる人物はいたのよね。
貸し出しカードに繰り返し出てくる天沢聖司。
彼女が彼に関心を持ったきっかけが、何とも言えず、導かれを感じさせるのよね。
かっこいいからとか、顔がいいからとか、性格いいしとか、そういったのじゃないのよね。
ただ、貸し出しカードに繰り返し現れ、自分より先にその本を本でいる人物。
このあたりに何かを感じるあたりが、やっぱり感性が研ぎ澄まされている少女の証なのかしらね…
その天沢が初めて雫に会った時のことば「月島雫、お前、コンクリートロードはやめた方がいいと思うよ」。
彼、既に雫ちゃんのことを意識していたのよね。
にもかかわらず、この言葉、幼い男の子の思考回路を感じさせるんだけど。
それに、お前呼ばわりかい!
しかもコンクリートロードやめた方がいいよ!って。
そりゃ雫も腹立てるわよね。
でも、なぜかしらね、こういう最初の相関って、結局、その二人しっかり結ばれるという流れが、現実世界でも多かったように思うのよね。
特に、20歳になるまでの、淡い恋とかそういうので多くない?
なぜだか知らないけど、最初はそいつのことが嫌いなの。
その誰かに対する感情があるかないかということだけで言えば、好きという感情にも劣らないほど大きな感情があるのよね。
でも、それが、真逆の好きという方に転じるというのが、未だによくわからない。
でも、現実によくあることよね。
今振り返っても、それがなぜだったのかわからないんだけど、もしかしてもしかすると、この映画の中で描かれたような不思議なご縁っていうのが、そういう状況になりがちということなのかな。
不思議なご縁をうまく成立させたのが、ムーンなのよね。
あの猫、めっちゃ不思議要素たっぷりで描かれるんだけど、でも、この物語の中では、一応、現実にも起こりえるぎりぎりのラインくらいで描かれてて、この猫が化け猫や不思議な力を宿した存在という風には描かれていなかったのよね。
でも、雫は、なぜだかその猫に異常なまでの関心を示したわけで。
普通、電車の中で出くわした猫、まあ、シチュエーション的には変わっているけど、それを追いかけるところまで行かないものね。
もしかすると、現実世界でもこんなふうに、最初は嫌いと思っていた誰かのことを好意的に見ることになるきっかけのようなものがあるのかもしれないわね。
でも、残念ながら、ママの恋愛経験上はそのパターンはなかったのな。
ママの周りの友達を見ててね、あんた、あの人のこと最初嫌ってたじゃん!なんで好きになってるの?っていうのが多かっただけ。
だから、自分の経験で、何かそんな心変わりが起こる不思議な出来事があったのかどうかは確かめようがないんだけど…
ネットでその理由をググってみると、嫌いな対象にも、好きな対象にしてるのと同じような行動をとったり意識を向けていたりするから云々という説明とかが見られるわね。
なるほどなんだけど、ママ的、心の仕組みから考えてみるとこういうことなのかなと思ってる。
その対象に向けて、「嫌い」という思いを向けているのは、ママ自身の心の誤った使い方。
その対象はママから「嫌われるためにそこにいるわけではない」ということ。
嫌いに思えるような態度で来る人というのは、もちろん、その人自身の中に課題もあるんだけど、ママとの相関の中で言えば、ママの心に光を灯すために目の前に現れた人。
まあ言えば、神様のような存在が、敢えてその人を目の前に送ってきたということね。
双方のために。
ママはその人の中にいいところを見つけようとする。
そして見つかったときに、ママ自身の心の中に、見つかりましたという証で光が灯る。
つまり「気分がよくなる」。
相手は、実は、ママがその思いに至ったとき、なぜだか本人はわからないと思うんだけど、心が緩む、つまり光が灯るの。
この光が、後々、その人のことも助けていくことになるのよね。
で、その相手が、恋愛の対象となりえるような人だった場合には、その相手となる可能性があるということね。
なぜ、周りにいる何とも思わない人を好きになることがなくて、逆にマイナス側、嫌いと思っていた人に好意をもつようになるかと言えば、その相手が、もともとそういう特別な役割をもって、目の前に現れてくれたからということね。
ある種、美女と野獣的な、魔法をかけられた王子様、その醜い姿という壁を乗り越え、そのお相手が愛を向けた(つまり、その野獣の中に良いところをみつけた)時、その魔法が解けて、目の前の野獣の姿が消え去り光り輝く王子が現れる。そんな関係ね。
西司朗と雫の相関
西司朗さんって、物語を見終わったあとに振り返ると、「この人がいたから雫は前に進めたんじゃない?」と思えてくる、そんな大事な存在に思える。
地球屋というアンティークショップを営み、古時計や人形、長い時間を経た品々を大切にしている人。
時を重ねたものの価値を知っている大人なのよね。だからこそ、まだ完成していない雫の中にある“これから光るもの”にも気づけたのかもしれないわ。
雫が地球屋を訪れたとき、西司朗さんは彼女をただの中学生として扱わなかったのよね。
古時計の中のドワーフを見て、その意味がわかる雫に対して、「この子は人が抱える物語の世界を理解できる子なんだ」と感じ取ったようにも見える。
子どもだからと軽く見るのではなく、一人の人としてちゃんと会話してくれる。
その姿勢って、実はすごく貴重よね。
ネットの情報を見てるとね、それには理由があるという記事も見かけた。
それに関しては、きっと多くの人が感じ取ったんじゃないかな。
それについては、少し後の見出しでも触れてみたいと思います。
そして何より大きいのが、雫の創作意欲に火をつけたこと。
男爵を題材にした物語を書いたら、自分に読ませてほしい——あの言葉、中学生の雫にはものすごく大きかったと思う。
「書いていいんだ」「読んでくれる人がいるんだ」って思えたはずだから。
若い頃って、同世代の誰かに刺激を受けることもあるけれど、それだけでは動けないことも多いのよね。
自信がなかったり、失敗が怖かったりするから。
そんなときに、大人の誰かが本気で受け止めてくれると、人って不思議なくらい前へ進めたりするの。
西司朗さんって、まさにそういう人。
雫の才能を褒めちぎったわけでもなく、無責任に夢だけ語らせたわけでもない。
ただ、未完成の原石としてまっすぐ見てくれた人なのよね。
雫と西司朗さんの相関って、「人生のある時期に出会うべき導き手」とでも言いたくなるような、静かで深い縁だった気がする。
カントリーロードで感じる雫と両親の相関
でも雫ってさ、自分の進路も決められない、何もできてないって悩んじゃったりするんだけど、よくよく見てると、受験生の身でありながら、夏休みの多くの時間を物語の本読むのに費やしてるのよね。
これ、止められないのよね。
なんで止められないかっていうと、まあ月並みに言えば好きだからということなんだけど、それだけではないと思うのよね。
そっちの方に、あなたが出会うべき何かがある。
いや、誰かがいるといった方がいいのかな。
結局、人生って、誰かに出会って、その誰かの幸せを願ってなんぼってところがあるじゃない?
どっちに行けばその誰かと出会うことになるのか、導きっていうのがあると思うのよね。
こんな風に夏休みに、読書に没頭なんてなると、周りの人も、いい加減になさいとか言ってくるんだけど、でも、それは、この世界でのちっぽけな価値観の中で判断されてそんな風に言われているのであって、本当は、そんな風に突き動かされる自分の心の導きってところに、出会うべくして出会う人っていうのが待っていたりするんじゃないのかな。
この物語にね、カントリーロードという曲がうまいことハマるように感じるのは、もしかすると、自分が帰るべき場所、母なる何かが待っている場所というのは、こんな風に突き動かされる心が描く道の先にあるのかもとか思ったりするわ。
つまりね、雫は、自分が突き動かされるままに、本を読めばいい。
その先に、彼女が愛するということを学ぶことができる相手がいるはず。
この人生の旅路ってそういうことじゃないのかな。
結婚するとかしないとか、そういうことじゃなくって、出会ったその人のことの幸せを願うことができるかどうか。
それができれば、その旅は成功だったってことよね。
彼女の両親、彼女が学校の勉強をしないことについて何も言わないって。
でも、そのことが、雫にとって逆にプレッシャーになってたりするとかも言っていたわね。
これ、雫がいくらか毒されているということなんだろうなって思う。
素直に、自分の心に従っていけばいいのに、でも、それは世の中で言われている価値観からは、ズレた方向に行ってしまってる。
雫はそのズレを終始プレッシャーとして感じていたのよね。
だから、目標がもてない事にも焦りをもつし、勉強しないことに多少の罪悪感も感じる。
でも、それでも、心の感じるままに本を読み続ける雫なんだけど、その両親もさすがよね。
雫を生み育てた両親。
だって、世間の価値観に流されずにいてるってことでしょ。
雫はまだ、このご両親ほどには、心の感じるままに生きてみるということが腹に落ち切ってはいないのかもしれないわね。
でも、それでも、彼女は帰るべき場所へたどり着くために、カントリーロード、心の導くままの道をなんとか歩んでいこうとしてるように見えるわ。
「ずっと前から知っていたような気がする」雫と男爵の関係は?
おじいさんの恋人の生まれ変わりが雫だって考察をどっかで読んだわ。
それって素敵だけど、ほんとにそう?って思って、何度もこの映画を見返したの。
そして、雫が男爵のことをずっと前から知っていたような気がする…って言っていたその理由を探そうと思ったの。
でも、見つからなかった。
そしてたどり着いたのが、生まれ変わりの考察だった。
ママ的にも、それ以外、雫が男爵のことをずっと以前から知っていた根拠って考えられなかった。
その考察、とっても素敵なまとめ方がされてたわ。
おじいさんが椅子で眠っていた時の夢と、直後にそこを訪れた雫がリンクさせたものだったんだけど、おじいさんが夢の中でつぶやいた「私は年をとった」っていう言葉がね、なんだか切なくてね。
でも、ママ的にはね、おじいさんが雫にその昔の彼女をだぶらせたという感じは受けなかったの。
きっとそれは、生まれ変わりの概念の捕らえ方の違いによるものかもしれないわね。
ママ的には、心というのはすべて繋がってると思ってるの。
だから、肉体同士の間に見るような区別とか距離や経験の相違というのはないと思ってる。
おじいさんが愛したその人をこの世界に映し出した心は、また違う時に、別の体を投影した。
それが雫だったんじゃないかなって思う。
投影された雫は、自分を映し出した心が以前に体験したことを鮮明には思い出すことができないんだけど、何となくその雰囲気だけは思い出せてるんじゃないかな。
おじいさんが愛していたのは、その心が映し出した以前の女性。
心がもし、その肉体に属しているなら、ちょっと切ないんだけど、実際はそうではないとママは思ってる。
体はあくまで永久不滅の心が映し出した投影物。
そう考えるとね、雫は、その女性をこの世に投影した心が、少し後に描き出した別の体なんじゃないかなとおもうんだけど、そう考えると「生まれ変わり」というよりは、別の存在として感じられるのよね。
ただし、心は元々繋がっていたから記憶は共有されていたって感じ。
するとね、おじいさんのことを考えてみても切なくはならないし、雫と聖司が恋仲になったからといって、それもおじいさんにとって切ない話ではないような気がしてこない?
まとめ
ところで、この物語の英語タイトルを見ると、『Whisper of the Heart』とあるのよね。直訳すると、「心のささやき」。
では、『耳をすませば』何が聞こえてくるのかなと考えてみると、それは自分自身の心の声だったのかもしれない。
雫は、物語の中で少しずつその声を聞けるようになっていったように見えるのよね。
でも、心の声って、いつも自分の内側から直接聞こえるとは限らないのかもしれない。
聖司の言葉だったり、夕子の本音だったり、西司朗さんの励ましだったり、家族のやさしさだったり。
誰かの口を借りて、自分に必要な答えが届くことってある気がするの。
そうやって雫は、自分の心のささやきを受け取り、その声が示す道を進んでいった。
そしてその道、カントリーロードの先にあったのは、誰かに寄り添えるやさしい心だったのかもしれないわね。
今日も最後までご覧いただいて、ありがとうございます。


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