※この記事(通算第3話)はNHK放映前後編でいうところの第5回(前編)、第6回(後編)に相当します。
『刑事フォイル 兵役拒否』3話 (シーズン1第3話)の相関図

印象に残った主要キャスト
デヴィッド・ビール(ニコラス・オーズリーさん)
兵役拒否を申し立てた青年。
青年と呼んだのは、このドラマのキャスト情報をAIに聞いてみたら、「青年」という言葉を使ってきたからなんだけど、演じているニコラス・オーズリーさんは、放送当時20代前半だったのね。
20代前半にしては、かなりしっかりした大人の顔立ちにも見えるわ。
後出のフローレンスを妻に持つ…という設定だから、やっぱりしっかり感が必要だったのかしら。
彼は、平和主義者。
でも、この主義者とかいう言葉に、ママ的には何となく違和感を感じる。
主義者って、なんか少し少数派みたいな響きがして。(言葉自体にその意味はないんだろうけど、なんかそれ以外が大勢という感じがして…)
それが当たり前の世の中だったら、こんな呼ばれ方もしなかったんだろうし、ましてや、彼の言動が法廷で裁かれたとまではいわないけど、認められないとか、そういうことってないと思うのよね。
そんな世情の中で生きていかなければならなかったから、自然と顔つきにも厳しさがにじみ出てきたのかもしれないわね。
フローレンス・ビール(マデリーン・ウォーラルさん)
デヴィッドの奥さん、フローレンス。
彼女の芯の強さも相当なものだと思う。
まあ、その強さは、戦時下で苦境にあえぐ人たちの暮らしを支える活動をしているところにも、よく表れているわね。
同じ志を持ったご主人を、まったく思いもよらなかったタイミングで失ってしまった。
その憤りや悲しみ、いろんな感情が彼女の心の中を渦巻いていたと思うんだけど、彼女って、今回の事件に関わった人たちの中で、唯一、本来の自分自身を見失わずにいられた人なんじゃないかしら。
どうすれば、彼女のような心持ちでいられるのか。
きっと、彼女には彼女なりの、日頃から大切にしている心のあり方があるんだと思う。
もちろん、そんなことがドラマの中で具体的に描かれていたわけではないんだけど。
でも、彼女がなぜ、あれほど周りの人たちに親切にできていたのかを考えると、何となく、その答えが見えてくるような気がするのよね。
人に親切にするというのは、ただ優しい気持ちがあればできることではないと思う。
自分のことばかり考えていたら、ほかの人の苦しみにまで心を向けることなんて、なかなかできないもの。
だから、彼女は普段から、自分の損得や感情よりも、もっと大切にしているものがあったんじゃないかしら。
そして、その大切なものに心を向けて生きてきたからこそ、どんなに理不尽な出来事に遭っても、怒りや悲しみに自分自身を明け渡さずにいられたんじゃないかと思うのよね。
もちろん、これはママの勝手な想像。
でも、怒りの中で自分を見失っていった人たちが描かれた今回の物語で、フローレンスだけは、最後まで自分が大切にしてきたものを手放さなかった。
そんなふうに感じられたわ。
ビル・フェリス(トニー・モーズリーさん)
刑務官。デヴィッドの拘束中の死亡事件に関係する人物。
ローレンス・ガスコイン(オリバー・フォード・デイビスさん)
デヴィッドの申請を却下した審査官。
字幕版ではギャスコインと表記されていたわね。
彼が裁定している良心的兵役拒否なるものが、当時実際にあったようにAIが教えてくれた。
どの程度の規模で、どの程度が却下されたのか、逆に認められたのか。
認められた人の数も相当数に上るみたい。
デヴィッドは却下されたんだけど、彼が納得できなかったように、ママ的にもいったい何が根拠で却下されたのか、頭の中の整理がつかなかった。
あのレベルで却下されたんだとしたら、逆に、認められた人たちって、いったいどんな人だったのかしら。
このドラマがある程度の史実を反映しているんだとしたら、認められた人って、このドラマの設定にあったみたいに、誰かのことを裁いたり、政治に携わっている人との関わりで、認めてもらえてたとかそんなことがあるのかしらって、ちょっと懐疑的な思いが込み上げてきた。
もちろん、ここでは、実際の審査でもそうした不正が行われていたとかいう話ではなく、あくまでドラマを見て感じた疑問なんだけど。
レイモンド・ブルックス(ジョン・シュラプネルさん)
ガスコインと親しい実業家。
息子スティーブンの兵役に関する問題が、判事との関係に絡んでるみたいね。
カルロ・ルチアーノ(アラン・コーデュナーさん)
今回、息子を愛する親たちの想いみたいなのがいくつか描かれるんだけど、このカルロさんも息子トニーのことを愛し、でも同時に、気がかりだったりもする一人。
でも、親って、子供たちが何考えてるのかとか、全然わかってないのよね。
このカルロもそうだし、フォイルもある意味同類かもしれないようなこと言ってたわね。
子供から知らされるのはいつも事後だ……みたいなこと言ってたわね。
トニー・ルチアーノ(ダニー・ダイアさん)
サムに一目ぼれしてしまったみたいね。
カルロさんの息子さん。
なんか、初対面のサムにイタリア語で愛を表現してみたり、結構なやり手なのかなって第一印象だったんだけど、全く違ったみたいね。
どちらかといえば、純朴なタイプ。
でも、うじうじしたりするタイプではないの。
言ってること、誘い文句は、結構ゴリゴリと押しまくってるのよね。
その対象となったサムは、そういうゴリゴリ来るタイプはあまり……という感じじゃないのかなって思ってたんだけど、受け入れちゃったのよね。
トニーがゴリゴリ行った背景には、何か特別な想いか何かがあったのかな?
ジョー・ピアソン(グレッグ・プレンティスさん)
ロンドンからガスコイン家に疎開してきた11歳の少年。
彼がガスコインのところにやってきた状況が理解しづらくて、ちょっと調べてみたの。
疎開児童のようなんだけど、ちょっと日本のイメージと違って、集団で児童が疎開するんだけど、児童たちは個別の家庭にお世話になるみたいなのよね。
なので、ガスコイン家とは元々何のつながりもなかったのね。
11歳の少年にとって、戦火を逃れるためとはいえ、全く見ず知らずの家にお世話になるのって、ちょっとその心中って、想像しにくいわよね。
それも、戦火をかいくぐって……という状況だったなら、そこにたどりついて、そこが見知らぬ人の家であったとしても、安堵みたいなものも生まれるのかもしれないけど、このドラマの今の状況では、ロンドンでは火の手は上がっていないのよね。
ジョーにとっては、それこそ、「なんでやねん!なんでこんなところに来なあかんねん!」ってなってもしょうがないような気がする。
大人の価値観が入れば、疎開先が大きな立派なお屋敷でよかった……とかいうのもあるかもしれないけど、子どもにとっては、いや、少なくともママが子どもだった頃の価値観に照らせば、家が大きかろうが何だろうが、そんなことどうでもよかったような気がする。
ただ、家族と離れ離れなんかにはなりたくない……そんな恨めしい気持ちばかりが募るんじゃないかな。
ガスコイン夫妻の娘、スーザンが彼を一生懸命に気遣っていたのに、彼が全く心を開こうとしなかったのも、なんかわかるような気がする。
スーザン・ガスコイン(ソフィア・マイルズさん)
ガスコイン夫妻の娘。
ピーター・バッキンガムという恋人がいる。
両親の考え方とかにとっても不満があるみたい。
大雑把に言えば、自分の親は自分や家の利益のことしか考えていない……そんな風に彼女の目には映っていたのかもしれないわね。
エミリー・ガスコイン(シェリル・キャンベルさん)
ローレンスの妻でスーザンの母。
なんで、ジョーにあんなに冷たくするのかしらねえ。
でも、ドラマの中で、この人が涙を流すシーンもあった。
単なる鬼というわけではなさそうね。
彼女にとっては、お家柄というのが何よりも大切。
ただ、別の言い方をすれば、自分の欲のみに突き動かされているというタイプではなさそうなのよね。
彼女、お家柄へのこだわりとか、もしかしたらどうでもいいところにいつも思いが向いてしまっているせいで、少々、怒りっぽくなってたりしないかしら……。
エリック・ピアソン
ジョーの父親。この方も、息子への愛が描かれたうちの一人ね。
ジャック・ウィンターズ(クリストファー・フォックスさん)
トニーの幼なじみ。過去にガスコイン判事の判断で少年院へ送られたことがあり、判事ガスコインに恨みを抱いている。
セオ・ハワード(デヴィッド・テナントさん)
デヴィッドの親友で平和主義者。
ガスコインのことを友人を死に追いやった張本人として恨んでいる。
彼ね、ビールのことを本当に大切に思っていたし、彼の作家としての才能も、ある意味、彼が誇れるものの一つになっていたのかもしれないわね。
彼がフォイルにデヴィッドのことを説明するのに、T.S.エリオットを引き合いに出していたわね。
ママはよくわからないので、そのエリオットさんについてAIにちょっと教えを乞うたら、こんな感じで教えてくれたわ。
『T.S.エリオット(1888〜1965年)は、アメリカ生まれの詩人・文芸評論家で、20世紀を代表する詩人の一人です。1927年にイギリス国籍を取得し、1948年にはノーベル文学賞を受賞しました。代表作『荒地』(1922年)は、第一次世界大戦後のヨーロッパを背景に、精神的な荒廃や、人々が生きる意味を見失った世界を描いた長編詩です。また、『うつろな人々』(1925年)では、信念を持てず、決断する力も失ってしまった人間の姿を描いています。『灰の水曜日』(1930年)は、信仰への葛藤や、精神的な救済への願いを主題とした作品です。こうした作品によって、エリオットは近代社会に生きる人間の不安や精神的な葛藤を表現し、文学界に大きな影響を与えました。劇中でセオは、デヴィッドの作品をエリオットが高く評価していたと語っています。これは、デヴィッドが単なる文学愛好家ではなく、当時の著名な詩人からも才能を認められるほどの人物だったことを示す設定です。セオがエリオットの名前を持ち出したのも、親友の才能が客観的にも評価されていたことをフォイルに伝えたかったからだと考えられます。』
……なんだそうです。
そんなセオなんですが、平和主義者だったんですけど、怒りに捕らわれているうちに……まるで別人格ができあがったかのような決断をすることになってしまった。
ピーター・バッキンガム(エリオット・コーワンさん)
スーザンの恋人で機械工(?)。
スーザンに向けて、結構ひどいこと言っちゃうのよね。
結局家やら、今の富やそんなものが大事なんだろ的な。
スーザンの父親の恐ろしさみたいなものをスーザンは何となくわかっていたのかもしれないわね。
ピーター的にはそこまで考えが及ばないものだから、対親父対策という点では、ちょっとスーザンとピーターの間で乖離が生じてしまったみたい。
このピーター、夜這いではないけど、スーザンが住む屋敷の敷地内まで忍び込んで密会しようとしてたのかな。
やり取り的には、もう結婚を考えるくらいのところまで付き合いは進んでいるように感じたんだけど、そのタイミングでも結構な熱量ね。
クリストファー・フォイル(マイケル・キッチンさん)
ヘイスティングズ署警視正。
相変わらずというかなんというか……淡々と……自供させる、いや、淡々とというか、相手の本音、本当のことを引き出すということではもちろんOKなんだけど、フォイル自身は、淡々と……じゃなくって、言葉巧みに……という方が正解よね。
今回も刑務官に自供させちゃったんだけど、その手腕たるや……自供させられた方もあっけにとられてた。
表情だけは淡々としてる。
唯一、彼の表情に「あれ?この瞬間……どうしたものか……」的な表情が何となく漂ったのは、サムが男性から誘いを受けていたあの瞬間くらいかしら……。
サマンサ・スチュワート(ハニーサックル・ウィークスさん)
フォイルの新専属運転手。通称サム。
軍関係の輸送部隊に所属。
前回までには見られなかった、感情むき出しのサムが見られる回ね。
にわかに信じがたいんだけど、あれあれあれ……という間に、彼氏ができちゃって、その彼を弁護するようにフォイルにまくしたてるサムがいるの。
ジェーン・ミルナー(マリ・ハリーズさん)
ポール・ミルナーの妻。
彼の妻は、家を離れる決心をしてしまったみたいね。
でも、前にも言ったみたいに、彼女は、今の世情が恐ろしくてしょうがないだけかもしれないけど。
ポール・ミルナー(アンソニー・ハウエルさん)
うーーん、今回の彼も、まだまだ本来の彼の調子には戻っていないんじゃないのかなって……まあ、本来の彼のことも知らないんだけど。
でも、少なくとも、以前に妻のジェーンにも惚れられて、警察官としての仕事だってバリバリやってたわけでしょ。
今の彼、フォイルの横に立って比較されると、事件の究明や推察なんかも、ちょっとフォイルとは比較にならないレベルにとどまっているような感じを受けるのよねえ。
ちょっとフォイルの右腕と呼ぶには、もう一息という感じが否めない。
まだ、彼の意識の中には、自分がいろんなものを失ってしまったっていう思いが強くて、誰かに何かを与えるというところにはたどり着けてないみたい。
そんなポールなんだけど、今回、ガスコイン判事の警護のために屋敷に泊まり込むことになったとき、「気分はジェームズ・キャグニー」なんてことを言っていたわね。
ジェームズ・キャグニー(1899〜1986年)というのは、1930年代から活躍したアメリカの映画俳優。特にギャング映画で人気を集めた人で、代表作の『民衆の敵』(1931年)では、気性が激しく、怖いもの知らずのギャングを演じて、一躍スターになったんだって。
なるほどねえ。ポールは、自分がまるでギャング映画の主人公になったような気分だったのかしら。
でも、ママには、この台詞がちょっと印象に残ったのよね。
だって、今のポールって、どちらかというと自信を失っているように見えるもの。
そんな彼が、強気で威勢のいい映画スターの名前を持ち出した。
もちろん、単なる冗談だったのかもしれないけど。
でも、もしかしたら、かつての自分のように、もう一度堂々と仕事をこなしたいという気持ちも、どこかにあったんじゃないかしら。
そう考えると、この何気ない一言にも、少し違った意味が感じられるのよね。
ポールが本来の自信を取り戻して、フォイルの隣で堂々と活躍する姿。
ママとしては、そろそろそんな彼も見てみたいところだわ。
視聴後の感想など
2,000ポンドの賄賂と、怒りの中で正当化しようとしたもの
レイモンド・ブルックスが、息子スティーブンの兵役拒否を認めてもらうために、ガスコイン判事に渡した賄賂。
その金額、なんと2,000ポンド。
これ、1940年頃のお金だから、今ならどれくらいの価値になるのかしらと思ってAIに尋ねてみたら、現在のイギリスの物価に換算すると、日本円で約3,000万円前後にもなるんだって。
もちろん、当時と現在では物価も生活水準も違うから、単純に比較できるものではないらしい。
でも、相当な大金だったことは間違いなさそうね。
それにしても、息子を兵役に就かせないために、これだけのお金を用意したレイモンド。
彼は第一次世界大戦で悲惨な光景を目にしていて、息子には同じ経験をさせたくなかったというのよね。
なるほど、そういう事情があったのね。
もちろん、賄賂を渡して特別扱いしてもらうなんて、決して許されることではないんでしょう。
でも、息子を失うかもしれないという恐怖が、父親をそこまで追い詰めていたのかと思うと、単純に身勝手な人だと片づける気にもなれないのよね。
一方のガスコイン。
こちらはどうなのかしら。良心的兵役拒否の審査というのは、申請者がどれほど真剣な信念を持っているのかを判断するものだったはず。
それなのに、お金を受け取って結果を左右していたとしたら、そもそも何のための審査だったのかという話になってしまう。
しかも、レイモンドの話では、賄賂を渡したのは自分が最初ではなかったらしい。
ということは、ほかにもお金を払って認定してもらった人がいた可能性があるわけよね。
彼が最後の方で奥さんにぶちまけていたあの言葉の数々や怒りに、彼がそうなってしまった理由が示されていたけど…
あの姿、怒りによって、人はやってはいけないことを行うことまで正当化しようとするようなところが描かれたような気がした。
でも、それは、怒りの下であってもやってはいけないこと。
だって、怒り自体が、人がそこから脱出していかなければならない領域だから。
その中で、感じ、考えたことをいくら正当化しても、暗闇から抜け出すことなんかできない。
この第3話では、怒りの中で感じ、考えたままに行動した人たちの姿が描かれた。
だから、そこに幸せや安堵はもちろん、なかった。
ただ、そんな人たちの中にあって、フローレンスだけは少し違って見えたのよね。
彼女だって、怒りや悲しみを抱えていなかったはずがない。
でも、その感情に自分自身を明け渡すことなく、最後まで自分が大切にしてきた生き方を手放さなかったように思う。
怒りの中で自分を見失ってしまう人と、怒りをいっとき抱えながらも自分を見失わずにいられる人。
その違いは、いったいどこから生まれてくるのかしら。


コメント